目が覚めた時、私のそばにいたのは白衣を着た見知らぬふたりの女性だった。
ふたりは大層喜んで、一人が慌てて部屋の外へ出て行き、
もう一人は私の耳元でそっとこう囁いた。
「地球を…救ってくれて、本当に…ありがとう」
……では、ここは…島さんの、地球(ほし)…なのですね……
時を違わず、背の低いころんとした男性医師が駆けつけてきて……、
「すぐに島が来るから」と言って顔をほころばせた。
私はまだ目を開けているのが精一杯だったけれど、
手も足もまるで動かせず、呼吸をするのさえ億劫だったけれど。
ドアの所に息を切らした彼が見えた時には 生きていて良かったと
――こんな私でも、生きていて良かったのだと……
心から、思ったのだった。
私がいた病室は、大きな窓の外に青空以外何もない高層階のようで、
私は目覚めている短い時間のほとんどを、この地球(ほし)の空を眺めて過ごした。
時折、窓辺に姿を見せる小さな鳥がいたが、ほんのちょっと翼を休めると
またすぐにいなくなってしまう。
そういえば、私はあの小鳥のように宙を移動する力を持っていた……
けれど、そのことはもう、思い出したくもない。
まどろんでは目覚めるたび、私は恐る恐る試してみるのだった。
……あの能力(ちから)が甦ってはいないかと。
しかし今、何をどう念じても私の身体には何も起こらなかった。
私は、あの呪われた能力(ちから)から、本当に解放されたのだ。
二度と、この手で誰かを傷つけることもなく、屠ることもない。
それを恐れて愛する人から遠ざかる必要も、もう……ないのだ。
* * *
「文字…、ですか?」
その朝、部屋のカーテンを開けに来てくれた呉さんに
私は思い切って頼んでみた。…文字を、教えてください、と。
「…はい。私、日本の文字は…書けないんです」
「そんなに流暢に喋れるのに…」呉さんは不思議そうに笑った。
「でも…、思っている事を言葉にするのは…とても難しいです…」
「そうかもしれないわね。どこの出身なんですか?ヨーロッパ?」
「え…?……ええ」
残念ながら、私は地球のヨーロッパ、という国は知らない。
しかし、私の容貌がおそらく、その地方の人間に近いのだろう。
呉さんは、私が異星人だという事を知らされていないのだ。
ここでそれを知っているのは、佐渡先生と中川先生だけだった。
「日本語は、何種類も文字があるものねえ。…でも、なんでまた?」
「あの、……手紙を、書きたくて」
耳に当てるだけの体温計を渡されて、
私はそれを動くようになった右手で耳介にセットする。
瞬時に計測される体温データを手元の端末に入力しながら
看護師はああなるほど、というように頷いた。
「ヤマトの航海長さん、にですね?」
「はい」
彼を思うと自然に頬が熱くなってしまう。
呉さんは微笑んで、考えておくわ、と言ってくれた。
私がここに入院している事は、どうやら秘密なのらしい。
毎日定時に来てくれるふたりの女性……中川先生と看護師の呉さん、
そして佐渡先生以外、誰かを見ることも誰かと話すことも、まったくない。
一度だけ、古代さんと雪さんが来てくれたが、
それ以外に外から誰かが訪ねてくる事はなかった。
彼が見舞いに訪ねてくるのも、2日に1回程度。
「……寂しい」と、口に出して彼に言ってしまうのは簡単だけれど、
それをしてしまったら、優しい彼は困ってしまうだろう。
ごめん、今は勤務地が遠いんだ、と彼は言った。
この病院は都市部から遠い郊外にあるらしく、
彼は毎回車で片道2時間以上かけて来てくれる。
ヤマトは私が眠っていた間に大きな戦いをまた一つ、乗り越えてきて。
彼はやむなくその航海に参加したけれど、
その間眠ったままの私をここに残してきた事が気がかりでならず
今は直接乗り組まなくてもいい艦隊の遠隔操作プログラムに関わっているのだという。
「……できれば、もう君を残して宇宙に出たくないから」
そんな彼の言葉に、私はどう答えていいのかわからなかった。
ありがとう、と言えばいい? それとも、うれしい、かしら?
…でも、申し訳ないとも思っていて。
では、……ごめんなさい…を?
戸惑っている私を、彼は抱きしめてくれて……。
こう言った。
「君がいてくれて、僕は……幸せだ」
……島さん。
気持ちはこんなに溢れているのに、
それをあなたに伝える言葉が見つからない。
言葉ではなく、抱きすがる力の強さで……、
こぼれる涙の粒の数で、
どんなに私が幸せかあなたに伝えようとするのだけれど。
あなたは、わかってくれたかしら……?
だから、私は「手紙」を書きたい、と思ったのだった。
* * *
守さんとサーシャを、無事に地球へ連れ帰って後。
俺はまっすぐにテレサのいる南部医科大学病院へ向かった。
そこは裕福な連中が特殊な医療を求めてやって来る郊外の大型総合病院で、
もちろんかの南部グループの経営だった……つまり。
テレサを極秘に治療してもらうにはうってつけの病院、ということだ。
白色彗星戦後、半死半生で帰還した俺が担ぎ込まれた地球防衛軍中央病院に、
しばらくして古代と雪が「第11番惑星の前線基地から収容した技術者」と称して
一人の女性を搬入した。
古代と雪は、自分たち自身傷を負っていたにもかかわらず…、
俺を救命艇の佐渡先生に託してそのまま、
ヤマトで彗星帝国の母艦があった場所へ引き返し一帯を捜索したのだという。
そして、四散する溶けた残骸のひとつからテレサを見つけてくれたのだ。
彼女は身体の一部を失っていたが、それでも一生懸命生きていてくれたのだった。
俺が覚醒して最初に古代から聞かされたのは、
「喜べ、テレサは生きてるぞ」と、「白色彗星はもう消滅したよ」という二言だった。
古代のやつはあんな調子だから、分かり易く順を追って説明してくれればいいのに支離滅裂で。
ことの顛末を呑み込むまでに俺は、随分沢山の質問をしなくてはならなかった。
俺にとってはテレサが生きていた事はもちろん、あの戦局から地球が勝利した事が…
いや、俺たちが無事に地球(ここ)へ還って来られた事自体が驚きだったが、
何よりもまず。
俺は、古代が無事でいてくれた事に、真っ先に感謝した。
古代が言うには、最終的にテレサが単身で白色彗星に挑んで行ったのだという。
そのおかげで、地球もヤマトも、生き存えた、というのだ。
俺はひどく驚いた……そんなはずはない。
だって、彼女は…どんなことがあってももう闘いたくない、と
言っていたじゃないか。
たとえ自分の惑星(ほし)が滅びてしまったとしても、彗星帝国とは戦わない、と
俺にはっきり言ったじゃないか?
それがどうして、地球を救う気になってくれたんだろう?
「……地球を救うため、というより…
お前の、還るところを護りたかったんじゃないかな、彼女は」
だから、……彼女はお前を俺たちに託して行ったんだよ。
古代はそう言うが、俺には理解できなかった。
検査から分かった事だが、俺の生命を繋ぐために
おそらく彼女は自分の血液を大量に俺に輸血したのだろう、と
雪が言っていた。
そうまでして助けた俺の、大切な故郷だから……?
だとしても、そんなことで……、
いや、たったそれだけのために、
“もう誰も殺めたくない”という彼女の長年の誓いは破られてしまうものなのか?
「お前を愛したからこそ、彼女は結果的に地球を救う事になったんだ」
………彼女が俺を「愛してる」?
たったあれだけの時間で、そこまで彼女に愛されたという実感は……、
俺には……なかった。
俺が想っているほどには、彼女は俺のことなど…想ってはいないだろう。
古代の話が本当なら、それこそ。
俺がいっしょにいたいと望んでも、彼女は結局、
……使命の方を選んだ、ということじゃないか……
いや、彼女が生きているのなら、彼女に訊けばわかる。
――早く会いたい、今…どこにいるんだ?
しかし、テレサが中央病院に搬入された後間髪を入れず、佐渡先生が大慌てで
彼女を南部グループの息がかかった郊外の別の病院に転送したらしい。
病院関係者に聞いてもその転送先は分からず、
佐渡先生直々に雪へ連絡があるまでの数日間、俺達は辛抱強く待たなくてはならなかった。
しばらくして。
南部グループの精鋭SP部隊が守る、郊外の総合病院の特別室に彼女が極秘裏に収容され、
手厚い看護を受けていることを雪が知らせてくれた。
その前日、軽傷だった南部がベッドの上で焦れている俺の見舞いに来て
「島さんにサプライズがある」と言ったのはこのことだったのだ。
佐渡先生は二つの病院を掛け持ちして奔走しているのだという。
俺は当分、みんなに頭が上がらないだろう。
昏睡状態から彼女が目覚めたと佐渡先生から知らされて、
俺が南部医科大学病院の特別室に駆け込んだ時に彼女が見せた表情は
きっと一生、忘れない。
左半身は動かず、美しかった手足は義手と義足に代わってしまっていたが、
彼女の顔は穏やかに笑っていた。
今度こそ嘘偽りのない笑顔だと、俺は……思った。
記憶を辿れば、「私も行きます」と言って俺についてきた彼女が
最後に見せた微笑みは、どこか哀しげではなかったか。
その数分後、テレザートの地表に彼女の姿を見た時、
なぜか俺は「ああ、やっぱり…」と心の片隅で思ったのだ。
彼女と俺は、お互いの心の内を打ち明けあう時間もなく別れてしまったから、
俺の頭は彼女に訊きたい事でいっぱいだった。
どうして、君はテレザートに戻ってしまったの?
俺のこと、本当はどう思っていたの…?
古代が言うように、俺を、そんなに愛してくれていたのなら
……なぜ、俺をヤマトに送って、一人で行ってしまったの……?
だが、病室に彼女を訪ねるといつも、何も訊けなくなってしまうのだった。
なぜなら、いつだって彼女は全身で答えてくれていたからだ…、
俺に会うのが嬉しい、と。
………それは、「言葉」ではなかったけれど。
答えを、彼女の口から聞きたいと、……毎回思う。
君は、俺といて幸せ?
本当に、俺といっしょにいたい?
「あなたが必要」と君の目は言っているけれど、
そう言いながらまた……
どこかへ一人で行ってしまうんじゃないか?
こんなに近くにいるのに、俺は馬鹿馬鹿しいほど不安だったのだ。
一つ一つの問いに、彼女から、はっきり言葉で答えを聞きたかった。
けれど、そう言ってしまったらまるで俺が彼女を疑っているみたいに見えるじゃないか…。
日本に古来からある「以心伝心」。俺は、本当はあれが嫌いだ。
必要な事は言葉に出す、そのほうが合理的だと思う。
だから、愛しているなら俺はそう言葉に出すし、「君が必要」ならストレートにそう伝える。
けれど、……彼女からもそういう言葉をもらいたいと望むのは、
やっぱり独り善がりのわがままなのだろうか。
* * *
目に悪い、という理由で、最初のうち呉さんは
あまり長時間「書く事」を許してくれなかった。
「上半身を起こしているのも文字を書くのも、
まだ負担が大きすぎる、って中川先生には言われているのよ」
地球の医療技術がある程度私のからだに通用するだろうことは、
私自身が取った無謀な行動(彼への輸血)のせいでいくらか承知していたが
新陳代謝や自然治癒力などのスピードは異なるらしく、
私の快復力は中川先生や呉さんを驚かせているようだった。
驚かなかったのは佐渡先生だけだが、
それは彼がもう一人の異星人
(正しくは、異星人と地球人との間に生まれた子ども)
……を同時に診ていたからだと後で知った。
呉さんが持ってきてくれたのは、
地球の子どもが文字を覚えるのに使うポータブルの端末機と、
病室の壁の色と同じ淡い桃色の便箋だった。
便箋にはこまかい罫線が引かれていて
一番下には金箔で小さな花がいくつかあしらってある。
文字が奇麗に書けるようになったら、
それに書いて彼に渡すのはどう?と呉さんは言った。
最初は一文字ずつ。
次第に数文字、数行と、私の文字は増えて行く。
ポータブルの端末機の画面に出る文字を組み合せて選択すると、
意味のある言葉が現れ、ついでそれを漢字に変換してくれる。
それを見ながら今度はタッチペンで画面に書くと
音声で正しく書けているかどうか教えてくれるので、
私は夢中で沢山の言葉を書いた。
彼の名前を、書いてみる。
彼の弟の名前。お父さん、お母さんの名前。
呉さん、中川先生、佐渡先生。
彼の、大事な親友たちの名前。
そして、自分の名前……(なぜ、私の名前は片仮名なのかしら?)
声に出すのが恥ずかしくて、
でも、一番彼に言ってみたかった言葉を……画面に入力する。
端末機が言う…「アイシテイマス」
また、書いた。「島さんが好き」
端末機が繰り返す。「シマサンガスキ」
「会いたい」…「アイタイ」
――もう一度、会いたい…あなたに…
そういえば、私は随分前にこの言葉を、
彼に向かって何度も何度も、……思ったのだった。
端末機が電子音でその言葉を繰り返す…「シマサンニ、アイタイ」
知らぬ間に、画面に涙が落ちていた。
私は、説明しなくてはならない。
なぜ、嘘をついてまでテレザートに戻ったのか。
……それは、あなたを、失いたくなかったから。
私しか、それが出来る者がいなかったから。
なぜ、あなたを古代さんに託して、一人でズオーダーのもとへ赴いたのか。
……それは、あなたを、失いたくなかったから。
あなたが、ヤマトを…、
地球を、失いたくない、と思っているのが分かっていたから。
……そしてそれが出来るのは、私しか、……いなかったから。
あの時――、これで最後だと、覚悟した。
私の周囲で、大帝の築いた都市が次々と誘爆を起こし
彼に従うしか選択肢のなかった人々までも呑み込んで行ったのを、
今でも憶えている……。
それが正しかったのかそうでないのか、それは……
私にはわからない。
一方を救えば他方が滅びる。
それは……人と人とが争う限り繰り返される、宇宙の摂理。
だが、私が裁きを下す権利などどこにもない。
けれどあの時私には、あなたを護ることしか考えられなかった。
この生命をもって、あなたを救うために犯した大きな罪を贖おう……
……そう思っていたのに。
今……私は生きている。
呪われるべき所業の一方、感謝してくれる人もいるのだと、
目覚めた時私は知った。
「地球を救ってくれて、本当に…ありがとう」
中川先生は、確かにそう言ってくれたのだ。
身勝手に……自分の望むものだけを守りたいと、
ただそれだけのためにしたことなのに。
彼女のその言葉は……私にとって救いとなったのだった。
「生きていたい」 ……「イキテイタイ」
「あなたのそばにいたい」……「アナタノソバニイタイ」
生きていてもいいですか、と問うても、
その答えをくれるものは…もうどこにもない。けれど、
私は今、生きていたい。
彼のそばで、生きていたい。
画面に繰り返し、私は書いた。
窓の外は、奇麗な茜色に染まっている。
桃色の壁紙の室内が同じ茜色に変わり、ベッドの上の掛け布団も端末機も皆、
同じ色に染まった。
涙が勝手に出てきて、視界を歪めるので私は幾度も瞬きした。
機械が文字を判別できるくらいに文字がちゃんと書けているのだから、
そろそろペンをもってきてもらおうかな……
涙がこぼれるのをそのままに、私は微笑んでそう考えた。
* * *
「これを、彼女が全部、書いたんですか?」
茜色の空が濃紺の闇に変わる頃。
無人艦隊管制センターから勤務明けにまっすぐ見舞いに訪れた島は、
ロビーで呉に呼び止められた。
呉から手渡されたのは子ども用の国語学習端末機。
島は、その入力履歴を見て驚いた。
「ええ。放っておくと、何時間でも書いているから
しばらくお預けにしたんです。悪いとは思ったんですけど、
中を見てしまいました……申し訳ありません」
呉はバツの悪そうな顔で謝った。
端末機に入力されていた書き文字のほとんどが
島に宛てた熱烈なラブレター、の様な内容だったからだ。
「全部見たわけではありませんから。最初の方だけ見て、
ちょっとびっくりしたので……。
島さん、ものすごく想われてるんですね……!」
島は、照れ隠しにわざとらしく咳払いをしたが、
顔が火照ってくるのは止めようがなかった。
テレサはこの端末に、履歴を見る機能がついている事に気がついていないのか、
毎日同じ事を必ず書いていて、少しずつ内容が増えている。
「ええと…、テレサさんは、あなたに手紙を書きたいんだ、って言ってて。
多分、その練習をしていたんですよ」
「それじゃあ、これは下書き、っていうことですか」
「……だと思います」
呉も、困ったように笑った。
「本番用のレターセットも渡してあるので、これについては……
知らん顔してあげてくださいますか?」
「……そうですね、わかりました。ありがとうございます
だよな。そんなもの、見ちゃあ悪いよな……、と思いつつも
島は画面を日付ごとにスクロールせずにはいられなかった。
「それでは、私はこれで。今彼女、眠っていますから、
あとで会ってあげてくださいね」
呉は軽く会釈してナースセンターに戻って行った。
島はロビーを見回して、空いているソファを見つけ、腰を下ろした。
ポータブル端末機を改めて眺める。
これでテレサが一生懸命勉強している姿が目に浮かび、思わず笑みがこぼれた。
「し」「ま」「た」「い」「す」「け」
彼女は最初に、「あいうえお」ではなく島の名前を一文字ずつ書いていた。
濁点が抜けてるじゃないか……。
島はくすっと笑った。
そして、島の家族や古代、雪の名前も。
人名漢字は間違えていても、それは後から教えてやればそれでかまわない。
そして、自分の名前も彼女は書いていた。
そうか……、当然「テレサ」だけじゃなかったんだよな。
気品のあるフル・ネームが、一度だけ書かれていた。
けれど、それは二重線で打ち消してあり。
……もしかしたら、彼女はこのラストネームが嫌いなのかもしれない。
それなら、俺も…見なかったことにしよう。
そして、その後には胸が詰まるような言葉がずっと、続いていたのだった。
端末に入力された、彼女の思いを全部下まで見てしまって。
島は、目頭が熱くなるのを止められなかった。
聞きたかった事はすべて書かれていたし、それ以上に……。
言葉は拙いけれど、
何度も似たような語彙の言葉が選び選びして書き連ねられているので
彼女が自分のことをどう思っているかも痛いほど、良く分かった。
訪れる見舞客もまばらになったロビーのソファに腰掛けたまま、
島は端末の画面を何度も何度も、読み返した。
最後に、深い溜め息をついてソファの背にもたれかかり…天を仰ぐ。
……テレサ、君は……。
「愛しています」
「大好き」
「島さんに会いたい」
「生きていたい」
「あなたのそばにいたい」
端々に何度も繰り返されるこれらのフレーズが、一つ一つ胸を突く。
俺の方こそ、君が俺を想ってくれているほどには
君を愛してはいなかったのかもしれない。
「命をかけても護りたいもの」
「かけがえのないもの」……という言葉の意味を、俺は今まで……わかっていただろうか。
それが究極の愛の形だと、わかっていただろうか……。
ほんの少しでも、不安になったりした自分が恥ずかしかった。
目尻を拭わなければ。
……こんなところで泣いていたら、みっともないぞ……
夜間勤務の看護師が何人か、彼を見つけて通り過ぎざまに会釈して行くので、
島はソファから立ち上がり、テレサのいる特別室に向かった。
* * *
病室のドアを軽くノックして、開けてみる。
眠っている、と呉看護師が言っていたので返答は期待しないで中に入った。
カーテンを開けると、明るい照明の下でテレサはベッドの上体を起こした姿勢のまま、
手元に食事用のワゴンテーブルを引き寄せた格好で眠っていた。
「しょうがないなあ」
苦笑して、島はテーブルをベッドの上からどかそうとした。
ふと見ると、テーブルの上には、便箋が数枚乗っている。
……テレサの右手にはまだペンが握られていた。
――便箋には、最初の一行が書かれていた。
呉が端末を持って行ってしまった後に、
起き出して便箋に直接書き出してはみたものの
うまく行かずにそのまま疲れて眠ってしまったのだろう。
大好きな 島さんへ
たったそれだけだったが、島は便箋を取り上げて、
愛おしそうに数秒の間その文字を見つめた。
そして、テーブルの上にそっと戻す。
彼女の右手に握られていたペンがベッドの上に転がり落ちたので、
それも拾ってテーブルに載せた。
上着のポケットからポータブル学習機を出して
便箋とペンの横にそっと置く。
「テレサ…」
抱きしめたい衝動に駆られる。
しかし、その代わりに彼女の背中に当ててある大きなクッションをどかしながら、
ベッドを水平に戻した。
すう、と安らかな寝息を立てて、テレサは眠り続ける。
島は、ベッドサイドに持ってきたスツールに腰掛けて
しばらくその寝顔を見つめていた。
……せっかく来たのに、いつまで寝てるんだい?
手紙を書くのに夢中で、くたびれて寝てしまうなんて。
そして、テーブルの上の便箋をもう一度見て、
微笑んだ。
……この続きは、なんて書くつもり?
ベッドサイドの灯りだけを残し、部屋の照明を落とす。
……目覚めないテレサの唇にそっと口付けて……
島は、部屋を出た。

* * *
その後、退院したテレサは俺の実家に身を寄せることになった。
俺は、彼女が誰でなぜこうなるのか、その経緯も含め全部丁寧に説明したのだが、
両親は最初首を縦に振らなかった。
それは、もちろん彼女が島家の嫁としてどう、とかいう些末な理由ではなく
地球を救った女神を、こんな小さな家に閉じ込めておいていいのか、
それ相応の処遇を防衛軍本部に諮るべきではないのか……、
というもっともな懸念からだった。
父の言い分は、結果的に彼女に命を救われた民間人の意見としては理解できたが
一般には彼女の存在も功績も公表されていないばかりか、
第一その生存の事実すら軍内部においても(藤堂長官や守さんを除いて)伏せられている。
それは、ことの顛末を知るヤマト乗組員の誰もが、
彼女が「あの」テレサだということが必要以上に知れるのは
望ましくないだろうと考えたからだった。
それに、今の彼女には、佐渡先生が幾千通りもの検査をしたが、
以前のような超能力は残っていない。
何より半身が不自由な彼女には、俺がいない間、
誰かについていてもらわないわけにはいかないのだから。
「普通の女性として、迎え入れてやって欲しい」と、
俺は辛抱強く両親を説得し続けた。
しかし、最終的に俺の両親を説得したのは、なんと南部の一言だった。
「敷地を買い足して、地下に母屋との連絡通路のある『離れ』を造りましょう……
いえ、いいんです。防衛軍の最高機密保持を、わが南部グループがバックアップするのは
当然です。それに」南部は俺をちらりと見てウィンクした。
「これはヤマトを代表しての、結婚祝いですよ」
この野郎……、何が軍の最高機密だ?
くそ、えらい借りを作っちまったもんだ。
俺は悪態をついたものの、内心ものすごく感謝したのは言うまでもない。
一番喜んだのは次郎だ。
「大介兄ちゃん、じゃあ、これからはいつも宇宙から帰ってきたらここにいるんだね!
テレサもずっと、一緒に、うちにいるんだね!!」
ああ、そうだよ。お前が大きくなって、家を出るまではね…
次郎は車椅子のテレサの手を握って、そのままぴょんぴょん飛び跳ねた。
テレサも次郎が好きみたいだ。
「これ次郎、テレサさんが疲れちゃうでしょう…」
母さんが次郎をたしなめる。
「当面は、我が家の1階をバリアフリーにリフォームして対応するかな」
父さんもようやく、腹が座ってきたみたいだな。
みんなの真ん中で、車椅子に座ったテレサはしきりに目尻を拭っていた。
そう狭くはないと思っていた我が家のリビングは、
この日彼女の退院祝いに訪れたヤマトクルー、長官と守さん、
治療に当たってくれた佐渡先生や南部医科大学の中川先生……
皆でいっぱいで…。
俺は、そばにいた古代に耳打ちした。
「お前たちが先だ。南部があんな事言ってるけど、
俺はお前より先に、式は挙げないからな」
古代が慌てる。
「島、ちょっと待てよ」
「だから、さっさとしてくれ。テレサもそのつもりなんだから」
名前を呼ばれて、彼女がこちらを振り向いた。
満面の、笑顔を浮かべて――。
* * *
今、俺の戦闘服の内ポケットの中には、
あの時テレサがくれた手紙が入っている。
「大好きな 島さんへ」
その書き出しから始まる手紙は、普段滅多に自分の気持ちを口にしない彼女の
心の内奥を映し出した鏡みたいなものだった。
淡い桃色の便箋はあまりにも繰り返し眺めているおかげで、もう端々がぼろぼろだ。
彼女の言葉の一言一句はすべて、頭の中にくっきり刻み込まれてはいるが、
俺はそれを肌身離さず持ち歩いている。
再び地球へ新たな脅威が侵攻してきて、
俺と彼女はまた……離れ離れにならざるを得なくなってしまった。
だがどういうわけか俺には、必ず生きて還れるという強い確信があった。
彼女は、俺の家族と一緒に地球で最も信頼性の高い南部重工のシェルターに
避難していたし、雪が生存していてパルチザンとして活動している事も分かった。
古代参謀の消息が依然として分からないが、サーシャも間一髪、
デザリアムから救助する事に成功した。
*
帰途、何度目かの復興基地への通信で。
長官室へコンタクトを取ると、なんと雪がテレサを連れて来てくれていた。
よく見ると、モニタの中で雪と一緒に松葉杖のテレサを支えて歩いているのは
……消息不明だった守さんじゃないか。
「兄さん!無事だったんだね……!!」
古代が腰を浮かして叫ぶ。
「よう」
守さんは包帯だらけで満身創痍、といった出で立ちではあったが、
元気そうに片手を上げて古代に呼びかけた。
「俺の娘が、世話をかけたな。…どうだ、サーシャは…元気か?」
「今はまだ医務室で休んでいるよ。心配するな。俺がついているんだから」
真田さんが立ち上がって、その問いに答えた。
前回の通信で、イスカンダル女王の忘れ形見、サーシャがいっしょに帰還する、
という話を雪には伝えた。
雪が、シェルターに避難していたテレサに、それを教えたのだろう。
『島くん、実はね』
雪は俺にそう言ってから、テレサの両肩を後ろから抱いて
彼女の耳元で何ごとか囁いた。
テレサは何とも言えない複雑な顔をしたが、意を決したように話し始めた。
『あの、私…サーシャさんに、訊きたい事が……』
『そうじゃあないだろ、テレサ。ちゃんと島に言わないと』
と、隣で守さんが苦笑する。
彼女は守さんにそう言われ、頬を染めて黙ってしまった。
テレサの後ろで、雪まで赤くなって笑っている。
俺は、彼女が苦労してわざわざ長官室まで出向いてきた理由を唐突に悟った。
そうまでして、直に俺に伝えたい事があるとしたら……それは……
佐渡先生と雪から聞いて、彼女はサーシャが
守さんと異星人スターシャとの子どもである事を知っているはずだった。
「テレサ……!そうか、そうなんだね?」
彼女は恥ずかしそうに、小さく頷く。
「おい、……島?」
古代が、ぽかんとした顔で自席から俺を見つめる。
通信をつないでいた相原が、唐突に声を上げた。
「島さん、もしかして……」
「全部言わなくてもいい、相原」
真田さんが苦笑しながら相原を止めた。
「テレサ、サーシャの事なら私がお答えしましょう。
…聞きたいことをまとめて、待っていてください」
*
「愛してる。…身体、大事にしろよ」
俺はテレサに笑いかけると、最後にそう言って通信を切った。
後ろで相原が、何か言いたいらしくまだジタバタしている。
南部がこれ以上はない、というくらいニヤついているのも気配で分かる。
「おい、島…!」さっきから古代はそれしか言わない。
……話が違うぞ?!
お前はそう言いたいんだろうが、俺は「『式は』お前たちが先だ」と言ったんだ。
「島さん、何かお祝いを」
感動屋の太田は、放っておくとここで万歳三唱でも始めかねない。
俺は慌てて言った。
「お祝いなんて要らん!それより、早く帰りたい!」
真田さんが、声を立てて笑った。
頬が緩んでしまうのもかまわず正面に向き直り、操縦桿を握る。
朗らかな声で、俺は古代を無視して勝手に号令をかけた。
「ヤマト、地球に向けて全速前進…!」
『 大好きな テレサへ。
俺は必ず、生きて還る。
君のそばに、ずっと居る。
君を二度と、……離さない。
きみも、俺とともにずっと……、生き続けるんだ 』
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Last Update:20071202
Tatsuki Mima