(3)
「ホワイト、デー。…ですか?」
きょとん、とした表情を見せて、テレサは島大介の顔をじっと見上げた。
この女性は、先入観というものがない。地球人だけでなく、他人と接することもあまりない暮らしをしていたためか、コミュニケーションの取り方には、まだまだ馴れないことがある。いや、慣れないこと、この上ない。
中央病院の奥まった特別棟から、実験施設とはいわないまでも科学技術省管轄のこの棟に移されて、日に日に不安げな様子を見せるようになっているテレサである。
佐渡がついてきてくれていることと、こちらに移ってのメリットは、ユキが通えるということだろう。現在、防衛軍長官付き秘書である森ユキは、中央病院の看護師への復帰は叶わず、その医療・生体の知識は、真田の班での仕事に限り生かされていた。現在、テレサの世話をある程度任せられる人間として、これほどの適任者は無いため、ユキにとってもテレサにとっても、それは幸いなことだっただろう。
その日も、大介が来るのと入れ替わりにユキが帰っていって、テレサは早速、ユキから聞いた“女同士の話”の中、地球の習慣についての単語を持ち出してみたのだ。
「この間、バレンタイン・デー、というのを知りました。チョコレート、美味しかったですわね」
にっこりと、幸せそうに笑うテレサを、島はとても美しいと思う。
「君の星には、チョコレートは無かったのかい?」
頷くでもなく首を振るでもないように、曖昧に頷いて、テレサはゆっくりと言葉を出した。
「――似たようなお菓子はありましたわ。……甘くて、固くて」
思い出すようにうっとりとする。「でも、地球のチョコレートほどには、美味しくありませんでした――そのような気がします」
……テレサの記憶がところどころ抜け落ちているということは聞いている。それに、テレザートで最初に接待を受けた時は、生の果実のようなものばかりで、確かにそれらしい菓子はなかったのだ。
その様子を見て、島は(チョコレートが気に入ったのなら、またいつでも買ってきてあげるのに)そう思い、微笑ましかった。
「――なんというのでしょう、幸せな味ですわね」
「そうかな」と島は言い、テレサを安心させるようにその手を握るとまた微笑んだ。
バレンタインには、ユキにいわれて、自分でもチョコレートを買った。まだ出歩けなかったため、ユキに教えてもらって(彼女のIDを使って)ネットで注文したらしい。
島は思わぬプレゼントを貰って、真剣に驚き、また喜んだ。
――いや、自分がテレサからチョコレートを貰ったから、というわけではなく(もちろん、それも予想外に嬉しかったのだったが)、そうやって地球の習慣に興味を持ち、普通の女の子の興味や喜びを味わう機会を持つことができること――これこそまさに奇跡のような気がして。涙が出そうになった、というほどの感動だった。
それでまた、ホワイトデー、なのかい?
島はユキの心配りにこっそり笑顔を漏らした。
少しずつでよい。くだらないことでも良いのだ――地球という、この星に。生きようという気になってくれさえすれば。ゆっくりと馴染んで、そして幸せに、安全に暮らせるようになってくれれば。――島の願いはそれだけだ。
その上で、たとえ自分を選んでくれなかったとしても。
俺は全力で彼女を守ろう――自分が必要でなくなるその日まで。そう誓っている。
★
「地球人という人々は、無邪気で、優しいのですね――」
じっとベッドに半身を起こした目を上げて、テレサは島を見る。
「テレサ――」
きょとん、と首をかしげる様子が、かわいい。――大介は触れていた手を掴むと、ふい、と自分の方に体を引き寄せ、腕の中に包み込んだ。
「島、さん……」
そのまま腕に抱え込み、包んで、抱きしめる。壊さないように――そっと。
テレサの金糸がはらりと肩にかかり、流れた。
肩に、胸に体重を預け、ほぉと息をつき……本当に、安心したというように、目を閉じる。
「見えるんです――目を閉じると。……すると、とても恐ろしくなることがあります」
「…テレサ」
「私はまだ、あの惑星にいて、白い尾を引いた恐怖の星が、その重力で空間を歪ませながら迫ってくると……あの、圧迫感は普通の人にはわからなかったでしょう。不安で、胸が苦しくて、息が出来なくなりました――心配で。もはや死ぬことは恐れてもいなかった私でしたけど――でも」
「テレサ…」
大介は、ぎゅ、と彼女を抱きしめた。
「し、島さん――くるしい、です、わ…」
華奢で折れそうな体。まだ本調子ではない――いや、本調子というのがどのような状態を指すのかはわからない。
能力は、失われているのだそうだ。少なくとも今現在は。腕を上げ、簡単なテレキネシスさえ使えないという。体を包んでいた柔らかな光も、ある種のエネルギーだったそうだが、それも失われ、また、相手にメッセージを送ったり心の声を聞くこともできない。
――要するに、普通の人間。地球人と何ら変わらない、と。その結果が不本意とでもいうように、そういったデータがこれまでに出ている。
だから、地球の恩人として。此処で、普通の人間として暮らしても構わない……その結果をもって、島大介は此処にいる。
「テレサ――君は、どうしたい?」
あの直後であったなら、もう引き離すのも難しいと思うほどに、島とテレサの間は近かっただろう。互いが互いを失いたくないと思い、そしてそのために命を投げ出そうとした。
その、“守ろうとした惑星(ほし)”地球にあって、戸惑いを隠せない異星の女。
――そして、ただ穏やかに見守るだけの、男(あいて)。
島大介にしてみても、どこまで自分の意思を押し通してよいものなのか。宇宙空間で見えた時の、リンとした強さは影を潜め、目の前にいるのは、ただたおやかで美しく、儚げな少女だった。――いや、少女に見えるが、実際に年齢(とし)も幾つなのか、大介は知らない。地球が果たして、彼女の体質に合うのかどうかも。
「――どう、したら。よいのでしょうか…」
故郷の星はもう、無い。
テレザリアムもなく、宇宙を放浪(さすら)うのも、もう、辛い。
島(あなた)を知ってしまったから。……傍に居てみていられるだけでも、良い。
地球に来て、初めてわかった――宇宙では。あの時は、島さんは私を見て、手を差し伸べてくれたけど――抱きしめてくれたけれど。そして、今でもそれは望めばすぐそばにあるけれど――地球(ここ)での島さんは、島さんの生活があって、人がいて、やるべきことも、ある――。私は、どうしたら。
ただ儚げに見えるテレサが、どういった想いを抱いているのか、大介はわからなかった。
愛している、と言ってしまえば、解決するのだろうか?
此処につなぎとめることは、果たして彼女のためだろうか?
――俺は、彼女を、愛しているのだろう、か?
考えればわからなくなるのだった。
(4)
「島――どうするつもりだ」
仕事帰りに、もはや日課となっている特別棟へ向かおうとしたところを、古代に呼び出された。
「古代――」久しぶりだな。今回の寄航は、長いのか?
「久しぶりだ、じゃないだろう」
古代は珍しく声がとがっている。
――言わずもがな、だ。
理由なんて、わかっている。
「わかっているんだろう? お前が決めなきゃ、どうしようもないんだぞ」
そろそろ決めなければならない。役所の根回しにしろ、住居にしろ。
身元引受人には大介が名乗りを上げてなっていたが、「もしお前が煮え切らないのなら、俺が面倒をみる。――お前、この期に及んで、裏切る気か? 彼女を」
きっ、と島は古代を見据えた。「――言って良いことと、そうでないこととっ!」
古代は掴みかけた胸倉を、離した。
「……そう思うなら。さっさと決着、つけろ。彼女は、この地球上に、頼れる相手は、俺たちしかいないんだから、なっ」
俺たち――ヤマトの仲間。しかも、直接見知っていた者たちの多くは、もはやこの世の人間ではない。古代、島。そして、ユキ――そのくらいで。
「守ってやらなきゃ――このまま露出でもしてみろ……そりゃ大事にはされるかもしれないが、彼女に一生安息の日は来ないっ! わかってるんだろ?」
「あぁ…」
わかっている。……お前に言われなくたって、俺が毎日考えてるさ。
だが。
だけど――。
いいのか? それで、俺が引き取っても。彼女は、本当に、俺を、愛しているのだろうか?
★
部屋を訪ねて、眠っている顔を見れば、その肌の白さに不安になった。
また、失われてしまうのではないだろうか――そうも思えて。
散歩に出ていたりして姿が無いと、消えてしまったのか、夢なのかと、不安になる。
そして、目の前にいるときは――その、静かな表情と、何かを言うときの儚さが、次の瞬間彼女を消してしまいそうで。つい、手を伸ばして、触れていないと不安で仕方ない。
毎日、抱きとめて、腕の中にくるみこんでみなければ――その体温を感じないと、不安で。そうしていると彼女も安心するのか――まるで、親を失った鳥の子どもらのように。体を寄せ合って怯えているようなものだ、俺たち2人とも。
――俺は。どうしたい、のだろう?
宇宙に、出る。輸送艦の艦長という仕事は、地上にいることはほとんど、できない。
守ってやることが、できないのだ――。宇宙に出れば、彼女がいると思って、生きてきた。
だけれど、本当は生きていて、目の前にいて。
その彼女を残して、宇宙に出ることが、できるのだろうか?
その悪夢に脅かされるくらいなら、手許に置かない方がよいのでは――俺が、彼女から離れられなくならないうちに。彼女が、一人で、生きられるように――。
理性は、そう囁く。
だけど――もう。
離れて暮らすことなど、考えても、苦しいだけだった。
「ホワイトデー、ってバレンタインデーのお礼をする日、なのですってね」
テレサが唐突に言い出した。穏やかに微笑んで返し、島は言う。「この間の、続きかい?」
えぇ、と彼女はゆるやかに微笑んで。
「好き、と言った相手が、その方の“好き”によって、違うお返事をするものだということでしたわ。本当ですの?」真面目に、訊ねているらしい。
なので、島は。テレサが不安にならないように、真面目に答える。
「――そうだね。特別の“好き”じゃない場合は、お礼をするんだろうな。お返し、っていうこと。“お返し”ってわかるかい? 何かをいただいた時に、返すお礼だよ」
「少し、わかるような気がします」くるくる、と少し悪戯めいて瞳が動いた。
――あ。こんな表情(かお)もするんだ? テレサは。
「それでは、好き、には特別と、そうでないのがあるのですか」
「あぁ――あるね」少なくとも、普通の人間には。俺にも、もちろん。
「あの…それで」
口ごもるように、テレサは少しうつむいた。
「ん? どうしたの」「あの……島さん。しまさんは、…あの、“特別”な方が?」
あの時は確信していたことが、この新しい環境では不安になる。
真っ直ぐに自分だけを向き、ただひたすら地球から自分を目指して来てくれたこのひとは、地球に戻れば多くの仲間、友、同僚たちと生きる人なのだ。自分とは、違うのだと。
だから。――期待しては、いけないのだ、と。
「あぁ…いるよ、もちろん」「……」
握ったままの指をいやいやをするように振りほどこうとするテレサを、さらにしっかりつかまえようとして、島は首を逸らした彼女を、くるりと抱きこんだ。
「テレサ――君があのとき、言ってくれたこと。今でも、有効かい?」
ずるいな、と思いながら、島の口から出た言葉はそれだった。
「――俺は……意識を失っていた。だけど、覚えている。君が言ってくれた言葉。救ってくれた命。俺の故郷だから、と守ってくれたこの地球(ほし)」
思えば、大介とテレサは、再会して初めて、言葉に“その時”のことを出したのだった。
テレサにしてみれば、“あの時”と“今”に時差は無い。
エネルギーを開放し、宇宙に溶けた。時空を飛び、再び「ひと」という存在として再生した時、現れた時空間が10か月後の此処だった――それだけだ。
彼女にとって、ガトランティスとの戦いは、まだほんの僅(わず)かな過去。
「島さん――愛してます」
言葉を飾ることを知らない。駆け引きも、無い。
告げる機会がなかっただけだ。
必要だとも、傍にいてくださいでもない。ただ、事実だから。己れの存在する、それが今の、テレサにとっての「意味」だから。
「……テレサ」
「――だから、どうではありません。ただ、【そう】なのです。あの時も、その前も。ヤマトと出会う前から――戦いの終わった後でも。愛していました――愛しています」
まっすぐ前を見た目に、真珠のような光が湧き上がり、みるみる大きくなって目じりから落ちた。毀れるそれは微かな光を反射して、まるで清浄な何かのように掌を濡らす。
「テレサ――泣かないで、テレサ」
島は慌てて、彼女の目じりの涙を手の甲で拭ってやる。
「…ごめん。俺がいけなかったね――もっと早く、言っておけばよかった」
いいえ、と彼女は首を振った。
「いいのです……私は、後悔して、いません」
「テレサ」
「――今日は、お帰りください。お願いします」
島は悄然と立ち上がった。するりと腕を抜いて、額に軽く唇を落とす。
――そう。指を握り、手を取って、抱き合っても。2人はまだ再会してからキスも交わしていない。――互いの想いを確かめる術を持たなかったからだ。
「また、来るよ」
静かにそう言って、島は辞した。
なにごとかを胸に。
(5)
それから2日――。島大介は病棟を訪ねなかった。
そろそろ退院後の具体的な話が取りざたされるようになっている。いつまでもこのまま、というわけにはいかないだろう……現在の管理責任者である真田にも言われている。
古代などは、あれから、会うたびに無言でプレッシャーをかけてくる。
いつもの彼らの立場からすれば、むしろ逆だろう、というようなものだが。ことが“愛する女”となると一直線の古代にとって、様々なことを考えすぎる島はじれったく、不誠実に写るのかもしれなかった。
(――そうじゃない。そうじゃないんだ、が)
そうして、3日目にテレサの顔を見た日。……3月14日。
「島さん?」
病室といっても、もう四六時中ベッドにいるわけではない。小さなソファとテーブル。デスクと棚。いくらかの本が置いてあり――それは学童用の簡単なものと、学習用のペンタブがあった。言葉を話すのに不自由はしないようだったが、文字の読み書きが習いたい、それは彼女が自分で言い出したことだ。どこの国の言葉にせよ、いずれ地球の保護の中で生きる彼女にとっては、言語の取得は必然だったからだ。
だが、そういう必要よりも、新しいことばや文化を覚えること。それに好奇心とでもいうような興味を持っている。
部屋からほとんど出ることのできない彼女にとって、楽しみでもあっただろう。
書いていたものから目を上げて、テレサは表情を変えた。
なにせ2日ぶりだ。
「――いいか、な?」戸口で珍しく逡巡して、だがいつもと同じように優しく微笑んで大介は言った。テレサの顔が輝いたのは言わずもがなだろう。
なにせ、前に帰ったときに、「お帰りください」といわれ、そのままだったのだから。
「今日は、プレゼントがあるんだ」
天気の話でもするように、気軽な感じで大介は切り出した。
ソファに並んで腰掛け、きょとんとするテレサに彼は言う。
「ホワイトデー、だろ?」「え? あぁ、そうですわね…」
ユキに聞いていた。バレンタインデーの1か月後、だと。
「――もしかして、お返し、ですか?」
そう言う時の彼女の表情は読めない。押し隠しているというのではなく、本当に読めないのである。
だが、大介は。いいや、と首を振った。そして小さなものを手の中に握らせた。リボンが付いた、小さな袋。
「俺の、“特別なひと”への、プレゼントだ――」
「何ですの?」不思議そうに、見る。
「開けてごらん――」
えぇ。と言って袋の中を覗いて――「これは?」
「キーロック」――入っていたのは、IDパス、カード。そして数本の鍵の束が二つ。
「地球で生活するために必要なものだ。――そして、その鍵、だけど」
はい? とテレサは手の中のものをテーブルの上に並べた。
「これと、これ。どちらが良いか、選んで欲しい」
だから、行こう。許可はもらってきた。
――不思議そうな顔をしたまま、やってきた世話係の女性が服を用意してくれる。
「どこか、の鍵なのですね?」「あぁ。君がこれから住む場所だ」
島の運転するエアカーに乗り込みながらテレサは訊ねた。
「遠いんですの?」
「――いや。近い。軍の施設群の中だ。セキュリティもあるからね、あまり目の届かない処へというわけにはいかない、少なくとも最初のうちは」
「…はい」
テレサは目を伏せた。
「そして、選ぶんだ。どちらかを……君が」
「選ぶ?」
大介は横を向いたまま答えなかった。
ここだ――。
一つの束を取り上げ、三重のセキュリティを解除する。官舎の一角。すでに幾らかの家具は備え付けのものがあり、さほど広いというわけではなかったが、単身者用にも見えなかった。「此処――それと、もう一つ」
大介は部屋の中に彼女を引き込むと、まっすぐ目を見て言った。
「――俺からの、ホワイトデーのプレゼント。俺と一緒に此処に住むか――もう一つは」
言われなくともわかった。もう一つは、それを選ばなかった場合の住処(すみか)、ですね。
テレサはもう一つの鍵を島の手から取り上げ、彼はハッとして見返した。
「……要りませんわ」
カシャリと音がして、そのキーの束は玄関の傍らに落ちた。
「せっかくご用意いただいたのですが――私は、ここが良いですわ。……もしも、島さんが。貴方が付いてくるのなら…」
そんな言い回しをどこで覚えたのだろうというような科白をテレサは吐いて、大介はそのまま彼女の手を引き寄せると唇に自分のそれを近づける。
「――いいの?」
吐息の合間に、そう問うと――「何度も、言えません。貴方は、私が存在する“意味”です」
……その真実の理由を、彼が本当にわかる必要は無い、とテレサは思う。
爆発の閃光の中で四散した命と、意識――それをまたつなぎとめ再生したものがあるとすれば、それは、島大介という存在だったということなのだろう。
彼女自身すら、目覚めるまで確とはわからなかったもの。だがそれが確かに、目の前に、温度を持って、此処にある。
「テレサ――一緒に。生きてくれるかい?」
微かに、彼女がこくりと頷いたような気がした。だがそれは、一度だけ見たあの微笑の向こうに消えた気がした。
Fin
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Last Update:20080421
Tatsuki Mima