続編と言われる代物

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有る事は知ってる。 …が、興味が無いので観た事が無いし、観ようとも思わない。
美馬にとって、古代や島や雪が乗っていたあの「ヤマト」が自沈・消滅した段階で、「宇宙戦艦ヤマト」というアニメシリーズは「完全に終わった」のだから。

太平洋戦争時の戦艦「大和」から、ヤマトが「ヤマト」の名を戴いたように。 それ以降の宇宙戦艦が「ヤマト」から名を戴いて、ヤマトで有っても構わない。 スペースシャトルだって、過去の船名を戴いているものばっかりだ。 十二分に在り得る事だろう。
「さらば」の後、生き残った島が他の艦の操舵席に座っても、それは「ヤマトの続編」ではないし。 「完結編」の後、古代が別の艦の艦長になっても、それは「ヤマトの続編」ではない。 例え「完結編」の直後に、同じ構造を持つ「ヤマト」という艦が造られてその艦長に古代が就いても、旧ヤマト乗員が全て乗り込んでも「ヤマトの続編」ではないのだ。

「宇宙戦艦ヤマト」というアニメシリーズの「ヤマトという名の艦」は、あくまでもイスカンダルまでを往復した艦で無ければならない。 ワープテストで艦尾を破損し、未知の外宇宙に戸惑いながら手探りで進み。 敵も味方も多数の血を流し、その屍を踏みしだいてようやく、イスカンダルに辿り着いた艦でなくてはならない。
大量の血を流した事を承知し、多数の生命の失われた事を嘆きつつ。 その時その時の「地球の繁栄」が、過去の多くの犠牲の上に成り立っている事を、深い痛みをもって認知している艦でなくてはならないのだ。
目の前で失われた生命を見ていない艦など、ヤマトではない。 戦闘を行う為の艦で有りながら、戦闘の虚しさ・馬鹿馬鹿しさを分かってない艦ならば、それはヤマトでは在り得ないのだ。
それが、シリーズ最初から観ていた美馬の感覚だし、恐らくはデスラーにとってもその通り。 ガミラスの侵攻を塞ぎ、ガミラス本星を沈黙させ、デスラーを追い詰めた艦でなくては、それは「ヤマト」ではない。
「観る側(キャラクタ、及びファン)の心の中」にもう「ヤマトという艦」が無いのに、その状態で「ヤマトの続編」なんて在り得ない。 時代背景が同じでも、科学設定が同じでも、「ヤマト」という艦名が同じでも。

だから、どうしても「ヤマトの続編」を作りたければ、まず「完結編」のリメイクから始めてくれ。
「さらば」が「2」になって、生き残ったように。 ヤマトが、あそこで「自沈しなくて済む結末」を観せてから、再度ヤマトを地球から発進させてくれ。
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Last Update : 20031201
Tatsuki Mima