子供は日々、成長している。
少しばかり以前(まえ)には遠くて歩けないだろう…と思っていた距離も、当たり前に通う事の出来る近さになっていたりして。
「…珍しいな。
休日(やすみ)なのに居るなんて」
ここ1年ばかり、娘の休日にその姿を見る事が無かったのだから、守のこのセリフもごもっとも。
それがサーシャの、誰かとのデート…だとか浮いた沙汰などでは無く。
お子様たちの足代わりで動き廻っていただけ…という辺りが、ものすごくそれらしいやら、どうにも情けないやら。
「お呼び掛かんないもん。
弥生もはるかも壱弥も、最近は自分たちで勝手に動くから」
ソファの上にうつ伏せた状態、雑誌を見ながらでサーシャが答える。
「まあ…まだ時々は、呼び出されるけどね〜」
そうして、ページを1枚めくった。
お子様連中から解放されたらされたで、他に…出掛けるような相手とか居ないのか。
たまに休みが重なった…と思えば、色気の欠片も無いような娘の実際を見せ付けられる事になって。
心底、溜息を吐くその父親である。
◇
◇
◇
◇
遊ぶ相手としてならはるかの方がずっと良いのだが、ここのところ「島さんち」にはご無沙汰な弥生だ。
その理由は、見るだけ…ならもっと物珍しくて面白いものが、余所(ほか)に在ったから。
「ねー、寝ちゃったよ?」
そう言いながら弥生は、壱弥を振り返った。
「寝ちゃったねえ」
弥生としては、眠ってしまって「動かなくなる」と面白くないので、壱弥に起こして欲しかったのだが。
当の壱弥はそんな思惑になんて全然気付いていなくて、のんびりとそんな返答。
「も〜っ。
壱弥、嫌いっ」
何で嫌われたのか、良く分かっていない壱弥を放っといて。
弥生は自分で、眠ったものを突付き起こす事にしたようだ。
…途端に、大音響。
「おかーさん。
美弥、泣いてるよ」
我が子の鳴き声に慌てて入ってきた晶子に、壱弥が見て分かるままの状況を報告する。
しかも慌てた様子無く、とっても暢気そうに。
「…そうね」
晶子は、答えて笑いながらも。
もう少し慌てるとか焦るとか…して欲しいわ、誰に似たのかしら…なんて思っていたりもして。
美弥…3人目の出産からさほど経っていない為に、現在は
産休中の晶子である。
もっとも、それもそろそろ終わりだが。
突付き起こされた美弥は、抱き上げられてようやく泣き止んだし。
まだ小さい時弥(ゆきや)は、それを邪魔しようとするように晶子にまとわり付いていた。
だが、壱弥はここでものんびり。
さっきの泣いている報告の後は、それまで見ていた本をまた読み始めて。
弟妹と、母親の関心を争おうという気はさらさら無いらしい。
…と、いう事は。
この場に現在(いま)、弥生の相手をしてくれる者が居ない…という事で。
「つまんな〜い」
これなら、はるかと遊んでいた方が…きっとマシだ。
「何で、ついて来るのよ〜」
「おかーさんが一緒に行きなさいって、言ったから」
1人でも、行けるのに。
だが、後を追い掛けてきた壱弥にもそれなりの言い分が有って。
にこにこと笑う、自分よりも背が低くて頼り無さそうなボディガードを仕方無く引き連れて、弥生は相原さんちを後にした。
◇
◇
◇
◇
相原と島の官舎は、大人の足なら15分程度の距離だが、子供たちの場合は20分以上掛かる。
真面目にただ歩けば20分程度だが、途中どれだけ何に引っ掛かるか…で変わってくる。
散歩中の犬だとか、知った顔などに出会ってしまえば、30分や1時間はごくごく普通だ。
「あ、トリ」
ついてこられる事が、随分と面白くない。
だから、ずんずん…と後ろなんか無視するように歩いていく弥生には、上空にも気付く余裕は無かった。
なので、それを見付けたのは後ろをついて来ていた壱弥の方だ。
「え?
何処?」
この時代、野鳥はやたらと珍しい。
…と言うより、いずれ一度は地下に人の手を借りて避難した連中の子孫だ。
その意味では純粋な「野鳥」なんて、ただの1羽も居ない。
虫や雑草に至るまで、ほぼ同じ状況だ。
好奇心は、殆どのものを凌駕する。
壱弥を無視しようとしていた事なんて忘れて、弥生も…つい。
「あれ。
あの屋根の上」
屋根…と言ってもこの辺り、軍の官舎を含めて集合住宅ばかり。
5、6階建てより低い建物なんて、まず見当たらない。
どうやらスズメ程度の本当に小鳥を、良くまあ…見付けたなと思うような距離。
「あ、ホントだ。
居る〜」
…ほーら、引っ掛かった。
◇
◇
◇
◇
「はいはい、は〜いっ」
取る前に返事しても、聞こえないだろうが。
そう思っても、そうは言ってやらない守である。
実父がどう思っているかなんて知らないで、サーシャはそこに転がしておいた携帯を拾い上げる。
画面の表示からそれが、島…は大気圏外だから、テレサからの電話だと通話の前に知った。
何か、あったかな?
午前中に行ってみた時には、別に…何にも無さそうだったんだけど。
と、そんな事を思いながら。
電話を受けた段階で、冬の短い陽は既に落ち掛けていた。
それから即座に出てきた…のだが、徒歩5分の距離をわざわざ車で、たったそれだけの短い時間にも空は随分と赤味を失っていた。
「…何してたのよ?」
島の官舎の玄関先。
腰に手を当てて仁王立ち…のサーシャの前から、テレサの背後へ逃げ込んでいるのは、弥生と壱弥の2人組。
ついでに、このお宅のお嬢さんも同じようにテレサの後ろに居たりするが。
「トリが居たから、見てた」
問われて素直に答える辺り、壱弥はまだ可愛いものだ。
ぷう…っと膨れっ面の弥生は、何も言わずに逃げ込んだままのくせに…サーシャを睨み上げて。
「でも、見えなくなったから」
「そりゃ…見えなくもなるわよ、この時間なんだから」
あまり見ない動植物を、眺める事に夢中になるのは良く分かる。
サーシャにだって、地上(ここ)よりもっと見掛けない小惑星上(ばしょ)だったのに、似たような事をやった経験はしっかり有るのだ。
そこを責める気なんて、さらさら無い。
問題は、この日暮れまで目的地に辿り着かなかった事。
「…ごめんなさーい」
弥生は未だに、盛大に膨(むく)れて黙り込んだまま。
だから、上目遣いながら申し訳無さそうに素直に謝ってきたのは、壱弥の方だ。
「私に謝って、どーすんのよ。
壱弥が謝んなきゃいけないのは、晶子さんに…でしょ」
ごもっとも。
日暮れまで4歳の息子が戻ってこないとなれば、普通の親なら大慌てだ。
「とにかく、とっとと帰るわよ。
弥生、壱弥」
そう言って、サーシャはキーホルダーを持ち直して鳴らした。
…ところに、玄関のドアが開いて。
息せき切って転がり込むように飛び込んできたのは、相原だった。
「も〜…帰宅(かえ)ったら、まだ戻ってきてないって言うし〜」
無事に安心したところで、駐車場(した)からここまで走ってきた疲れがど…っと出て。
そこにしゃがみ込んだまま、整わない呼吸(いき)の隙間から、相原のそんなセリフ。
「…あ。
忘れていました、連絡する事を」
今更思い出したように、だが…とても困ったような表情(かお)もして。
テレサが…申し訳無さそうに、そう。
「テレサさ〜んっ」
日暮れてから2人が来たので送ってやって欲しい…と私に連絡してきといて、その親には連絡しなかったって事?
…って事は、雪さんの実家の方でも似たような騒ぎの真っ最中って事?
冗談じゃないわ。
「弥生っ、帰るわよっ!」
相原が居るんだから、壱弥の方は放っといて良い訳だ。
左手に弥生の手を捕まえて、右手に携帯を開いて電話番号を探しながら、サーシャは飛び出していった。
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Last Update:20070729
Tatsuki Mima