IV 皇帝(THE EMPEROR)
正位置の意味:権力者・支配・目上の男性・父親・長男
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春の休暇も間も無く、それが終われば学年が変わる。
最下級生ではなくなって、夏には基礎過程さえ終わる。
放課後や週末に、気安く外出を願えるのもこの3月限り。
学年変われば、授業時間外にいつ抜き打ちで訓練喰らうやら分からないのだから。
まあ…外出に訓練しそびれても、その分の点数が付かないだけの事だが。
「訳分かんなさそうな表題(タイトル)の本だな〜」
書店の通路。
真後ろからのそんな声に、心底驚かされた。
「よ」
振り返ったら、そこに同じ制服。
同じ教室に、既に見知った顔。
但し、見憶えのある…というだけで、これまで特に親しく話した事も無い。
こういう場合、奇遇だな…とこの出逢いに付いて語れば良いのか、何をしているんだ…と今現在のその行動を問い質(ただ)せば良いのか。
「お前…頭良かったよな?」
それを考えて終わるまでに、あちら側からそんな問い。
「あ、いや…まあ」
どう答えろというんだ、こんな質問に。
はい…と素直に頷くのも、如何にも図々しい。
いいや…と否定してしまうのも、これまでに公開されている成績に嘘になってしまう。
「昆虫(ムシ)は、お前の知識の範疇か?」
「…は?」
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そう言えば、喫茶店なんて場所(ところ)に入店(はい)ったのなんて、初めてかも。
目の前に置かれたコーヒーカップに…つい、そんな事を考えた真田である。
「弟から、メールが来たんだよ」
そこまではここに落ち着くまでの道すがら、既に聞いた。
…と言うより、聞かされた。
何だかの…多分、蝶では無いかと思われるサナギを見付けた…と写真を一緒に送り付けてきて、これって何だろう…と問うてきたと。
「…で、今度の休みに帰るまでに何とかしねーと…って訳」
だから、何で…それに俺が今巻き込まれているんだろう…と思う真田だ。
そして、それを素直に口に出して目の前に座っている男に問う。
「弟の『お兄ちゃんへの尊敬の念』を奪って良いと思ってんのか、お前は」
「…それは、俺の所為か?」
そもそも、その「弟」に逢った事も、その話を聞いた事も無い。
それどころか、兄の方ともまともに話すのはこれが初めてだ…と言うのに。
「話を聞いた以上、何%かはお前の責任だろうが」
「何故、そうなる?」
「そう言わずに、助けろ」
どう贔屓目に見ても、知恵を貸してくれ…と頼む側の態度では無い。
しかし、そんな事に躊躇(ためら)いや途惑いを感じるような古代ではなかった。
「さっきの本屋で、図鑑見てみたんだけどさ。
幼虫だとかサナギだとかって、あんまり載って無いんだよな」
いや…そういう事は、図鑑によるのだが。
寮から近い事だけが取り柄で、決して大きくも無い書店だ。
そして、図鑑や辞書といった類の書籍はそうそう売れる代物でもないし、大きくない書店では極端に品揃えが薄い。
ついでに言えば、この辺りには他に「普通の」学校も無い。
その意味で、古代は単純に立ち読みしに行く店の選択を誤った…と言えるだろう。
「…図書館に行けば、どうなんだ?」
真田にとっては至極当たり前の提案に、古代が今更思い知らされたように胸の前、如何にも意外だったというような顔でぽん…と手を打つ。
それを見ていて、本気で思考の範囲外だったのか…と逆にものすごく納得してしまった真田だ。
ともかく、自分の言葉でこの問題には解決方法が見付かったらしいと見て、軽く椅子を鳴らして腰を浮かせた。
「じゃあ…俺は帰るから」
提出してきた外出届も、その時刻が迫っている。
いや…時間的余裕でなら、まだもう少し付き合えないでも無かったのだが。
今までの半時間程の会話でも既に、自分のこれまでの価値観の何処かが崩れたような気がして。
自分が100%正しいとも思わないし、相当に平均から外れているだろうつもりでもいたが。
その自分より古代の方がずっと…変だと、この半時間で強く認識してしまった真田だ。
自分の精神的安定の為には、今まで通りあまり関わらないで過ごしたが良さそうだ…と判断して。
「逃げるな、こら」
しかし、偶然からだがやっと見付けた相談相手を、そう簡単に逃がす古代ではない。
立ち上がってから、すっかり失念していた自分の代金を思い出した為に、その場をすぐに離れなかった真田の失敗だった…とも言えるが。
…とは言っても、もっと簡単に知れると思っていた為に、古代の方でも外出届に記入してきた時刻まで大した余裕は無い。
「明日、一緒に図書館な」
人の予定を勝手に決めるな…と思ったし、1人で行け…というのを付け足して実際にもそう言った。
「自慢じゃないが、何処に在るのか知らないんだよ」
「…それは、本当に自慢にならないぞ?」
「仕方無いだろ?
地元じゃないんだからさ、ここら辺は」
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自分が、はっきり頼られると意外に…断れない人間だったという事を、今更だがつくづく自覚させられた真田である。
まあ…確かに、まだ基礎過程で同じクラスなのだから朝から夕方まで同じ時間割(シラバス)に同じ場所に行動して、非常に逃げ出しにくい位置にいたのも確かだったが。
「…へえ」
古代の感心した声は、図書館という建物の大きさに…だった。
そして中に入った後にも、もう一度同じ感嘆を。
「古代…お前、本当に来た事無かったんだな」
昨日のあのセリフは、自分を付き合わせる為の嘘が多分に交ざっていると思っていたのだが。
どうやら本当の事を言っていたらしいとこれで知り、いよいよ呆れた真田だった。
「そうだよ。
昨日、言っただろ?」
しかし、古代は悪びれもしないで堂々と。
「調べものの有る時はどうしてたんだ?」
「誰かに訊く」
興味持てば自分で何でも調べてきた真田の素直な疑問に、古代の返答はこれまたきっぱり。
「だって、その方が早いだろ?」
「本の方が早くて、もっと正確な気がするんだが…」
「訊く方が、絶対早いって」
昨日だって、お前が教えてくれたしな…と古代が笑う。
解答(こたえ)を教えた訳じゃないだろう…と、真田が苦虫を噛み潰したような顔で視線を外した。
その書架、全ての棚に図鑑が並んでいた。
但し、その全てが昆虫図鑑では無かったが。
「…って、半分以上が昆虫(ムシ)じゃないかよっ」
「当たり前だ」
今度は、真田の方があっさり、きっぱり。
「出現の早かった分だけ、昆虫類は種類が多いんだよ。
未だに、新種の発見されるくらいにな」
「それで、この冊数(かず)かよ〜」
「それでも…多分、全部は網羅してないと思うぞ?」
取り敢えずぱらぱら…とめくってみて、成虫以外の詳しくないようなのはまた書架に戻していく。
「そう言えば、そのサナギってどういう奴なんだ?」
昨日からの話題の中心で大元でもあるそのサナギの姿を、今まで全く見ていなかった事に今更気付いた真田だ。
裏返せばそれだけ興味が無かった…どうでも良かった、という事なのだが。
「ああ…これだ、これ」
言われて古代が制服の胸から、折り畳まれたメールのプリントアウトを引っ張り出した。
その気無く巻き込まれた側の真田が、今更ようやく問うのはともかく。
無理矢理巻き込んだ側の古代が、その発端を全く説明し忘れていた…というのは、どうだろう?
「…確かに、蝶みたいだな」
添付(つ)けられていた写真に、まず一言。
「後…一つ、言っても良いか?」
「何だよ?」
「変換が面倒なのかも知れないが、もう少し漢字を使え…とお前の弟に言っておいてくれ。
読みにくい」
何故か写真と一緒に渡されてしまったメール本文を、古代に取り返されなかったを良い事にざっと眺めて、もう一言。
「ああ…そりゃ、単純に漢字知らないだけ」
言われてその手元を見もせず、真田の取捨選択した図鑑を早速繰りながら。
「まだ、子供(ガキ)だからな」
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「え…?」
自分と同期の…同い年だろう古代の弟なら高校生くらいだ…と、勝手に思い込んでいた。
子供…と言われて真田は、まだ手の中に残っていた本文を改めて読んでみる。
眺め飛ばした時にはその白さ…画数の無い文字の多さだけが目に付いたが、きちんと文章を追ってみれば確かに少し…幼いような。
「…って、幾つだ?」
「9つ。
今度4年」
古代は頬杖突いて、相変わらずページ繰りながら、即答。
…何だ、本気だったのか。
『弟の『お兄ちゃんへの尊敬の念』を奪って良いと思ってんのか、お前は』
この1年間に余所ながら…昨日だって目の前に、ふざけた物言いを繰り返すのを見てきた。
だから昨日のその言葉も、ただ自分をそのペースに巻き込む為だけだ…と思っていた。
どさり…とちょっと大きな音に見れば、どうやら3、4冊まとめて置いたらしい。
同時に、引かれた椅子の鳴る音。
「探すぞ」
積み上げられて山になった図鑑の向こうに、それと別に持ってきたらしい1冊を開きながら、そんな事を言い放つ横顔。
まだ見ていれば、真面目な表情(かお)して視線走らせて、結構な速度でページ繰って。
「…何で、お前。
いきなり『やる気になって』んだよ?」
「煩い。
今日も、時間無いんだぞ?」
今日もまた平日だったから、授業終わって出てきたのが既に夕方。
届に記した時刻は昨日よりぐっと遅いが、閉館まで数時間しか無い。
古代も興味薄い事には、はっきりやる気の起こらないタイプ。
だからこそ、何となくは気付いていた。
自分の勢いに引き摺られているだけで、真田に本気で自発的な気持ちの無かった事を。
「…変な奴」
それに、真田の返事は無かった。
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休み明けて、寮の部屋に心細げな様子で新入生が居た。
最上級生の卒業して居なくなった時には実感無かったのだが、後輩の目の前に現れた事に自分が進級したんだな…と改めて思った。
何しろ、学年こそ1年から2年になったが、まだ半年続く基礎過程に教室の顔触れの変わらない事は分かっていたからだ。
本当に実感持てるのは、きっと専科に進んでからなんだろう。
「どうした?
風邪か?」
そもそも、休み前に散々額突き合わせた奴が、こうやってやっぱり目の前に居るしなあ…とつい溜息吐いてみた真田だ。
「現実の容赦無さに、くらくらしただけだ」
「…何だよ、そりゃ?」
「分からないなら良い。
気にするな」
「ああ…ほら、土産」
私物の大して持ち込めない場所に、一体何を持ってきたんだ…と思いながら振り返れば、目の前に写真が数枚。
「羽化したのか?」
「帰ったら、もうサナギじゃなくて蝶になってんだよ。
ひでえよな」
最初の1枚に、図鑑のページに見た羽の色が大きく写っていた。
「良いじゃないか。
喜んだだろう?」
「俺の苦労は〜?」
「苦労が必ず報われると思うのが間違いだ」
大体、苦労させられたのはお前より俺だろう…と内心で思う真田である。
いや…苦労と言うより、迷惑か。
結局、閉館ギリギリにようやくこれだろう…という名前を見付けて。
今から戻っても夕食は無いから、礼の代わりにと食事に…また付き合わされて。
次から次へと聞かされる「家族の話」にうんざりしながら、それでもちょっと…羨ましくも。
「…次は、もう御免だからな」
残りを見る事無く、そう言いながら写真を突き返した。
このまま写真を眺めていれば、その間は古代との会話が続く事になるから。
会話が続けば、余計な事を思い出しそうで。
今でも既に、一つ二つ…亡くした姉(ひと)の事など、思い出してしまったから。
「え〜?
これから何かあったらお前に訊けば良いや…って、既にアテにしてたんだけどな〜」
「するなっ」
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Last Update : 20121201
Tatsuki Mima