VI 恋人(THE LOVERS)
正位置の意味:恋愛・愛情・結婚・娯楽…そして、二者択一
◇
◇
◇
◇
沖田さんは、無事に冥王星から離脱出来ていた。
…それどころか、今…ここに居る。
あの時も、今も。
ただ、ずっと「生き延びる」為の戦いを、変わらずに続けてきている…という事か。
「生きていてくれたか」
自分の生存を喜んでもらえる事は…有難い。
有難いが…本当は、のめのめと逢う資格など無い。
あの時、我を張っただけで…何も出来ていないのだから。
生き残ってしまった事は…多分、悪い事ではないんだろう。
沖田さんも、真田も…進も喜んでくれるのだから、恐らくは。
ただ…それが、俺だけでなくとも…良かったはずなのに。
誰かが…泣いている。
そんな気がした。
子供にありがちなつまらない理由の怪我に、その程度の割にひどい出血に、大騒ぎする母親。
「大丈夫だって、痛くないし」
大丈夫じゃないでしょう…と、あたふたとするのを見ているうちに…次第に痛みを感じてきて。
泣かないでよ…ねえ。
本当に、大した怪我じゃなかったんだよ。
ただ…あんまりお母さんが泣くから、自分の怪我がひどいような…そんな気になっちゃったんだよ。
だから…もう、泣かないでよ。
ほら…僕は、平気だよ?
眺めている俺の前で、一生懸命に母親を宥めている、子供の頃の自分。
そんな、奇妙な風景。
大丈夫だよ…だから、泣くなよ。
手に当たる、誰かの温かさを押しやって。
思い返したように…捕まえて。
…だから、女が泣くのは苦手なんだよ。
絶対…俺の方が悪いんだから。
そうじゃなくても…そんな気にさせられてしまうから。
「泣くなよ…俺は、大丈夫だから」
そうと、俺は口にしたのかしなかったのか。
また、眠りがこの意識を闇に引き込んでいく。
夢も現(うつつ)も…全て、闇の中に。
風が動いて、波を岸に打ち寄せる。
雲は、蒼い空に抱かれて揺蕩(たゆた)っている。
昔、見た風景。
今は…地球に無い景色。
海の上に在る艦(ふね)なんて…どれくらい振りで見るだろう。
「一緒に、地球へ還ろう」
誰の口から聞かされても、何て…蠱惑(こわく)的な言葉。
昔の如き、美しいさまを目の前にしてなお、荒れた今の地球の方が懐かしい…愚かさ。
人類の為…などという大義のより何より、ただ自分自身の望郷の念だけで。
還りたい、ただ…帰りたい。
気付いて、最初に目にしたのは、見慣れない天井。
そして、見慣れない…違和感のある室内。
「やっと…気付かれましたね」
それから…彼女。
状況は…まだ、掴めない。
だが、自分の勘が「危険は無い」と教えてくれる。
何となく…自分の体調の悪さを感じている。
俺は、多分…元来から図々しいんだろう。
切迫するものが無いと感じて、見知らぬ人間に身構えもせず。
…それどころか、頭を持上(もた)げもしないで。
「…生きてるんだな、俺は」
そんな独り言に、彼女は、
「…死にたかったのですか?」
と、律儀に返してきて。
「いや…ただ…死んだつもりではいた」
会話のようだが、その言葉も自分自身では独り言のつもりで。
現実の記憶と夢の境界を探して、泥(なず)んでいる記憶を遡りながら。
自分の体調の実際を、自分自身で量りながら。
上体を起こすまでは問題無い…と、踏んで。
「君…が、助けてくれた…という事か?」
わずかに目の前が眩んだが、顔に出さずに誤魔化せる程度で。
「ええ…そうなりますね。
貴方が、生きていて良かった…と、思うのならば…ですが」
感情のあまり動かない顔で、感情の出ない声で、彼女はそう言った。
「死んでいた方が良かった…とまでは思わないから、取り敢えず礼を言っておく」
「それでしたら、有難く承っておきますわ」
その言葉に、やっとその顔に薄く笑みが浮かぶ。
ただ…その時、俺が感じたままに。
「…利口な女だな、君は」
「誉め言葉…と、取っても良ろしいのかしら?」
返ってくる言葉に、やっぱり間違ってないな…と再度感じながら。
「どっちの意味だか、分かってるんじゃないのか?」
「…分からない、と答えておきますわね」
そ知らぬ顔をして、また休め…と促すその手を捕まえて。
「君も…泣くのか?」
「ええ…そう…たまには、そんな事も無いとは言いませんわ」
俺の脈略の無い問いに、ほんの少しだけ、困惑を顔に見せて。
ひどく静かに、自分の手から俺の手を外して。
それから彼女は、振り返りもしないで部屋を出て行った。
残された俺は、やっと今頃。
そう言えば…綺麗な女だったかな…と、間抜けた事を思っていた。
冥王星での、あの戦いの最中に駆け抜けて行ったものは、ゆきかぜのレーダー手も確認していた。
あれが、全てのターニング・ポイントだったのだとは、今まで知らないで来たが。
半年以上の時間は確実に、色んなものを様々に変えていた。
最後まで勝てなかった冥王星に、既にガミラスは無い。
いや…冥王星だけでなく、最早何処にもガミラスは存在しない…と。
この遥かな距離を、光速を越えて航行出来る艦が、地球に存在出来る日が来るなんて…夢にだに思わなかった。
噂でしかなかった沖田さんの病状は、明らかに悪いものとなって、今ここに在る。
地上勤務ばかりだった真田が、よもや戦艦に乗務するようになるとは…考えた事さえ無かった。
俺として、何よりも変わった…と感じたのは、弟の進。
変わった…というよりは、戻った…と言うべきか。
この前に逢った時にはまだ、周囲を極端に殺(そ)ぎ落として、年齢相応の日常に背を向けて、ただひたすら尖っていたのに。
「訓練学校での友人だ」
…と口では言いながら、本当に仕方なく…といった体(てい)で島を引き合わせた事のある奴が。
仲間だよ…と、笑って。
一度に憶え切れないほどの名前を、次々と挙げていって。
そのあまりの変化に途惑(とまど)って、振り返ったら。
真田は、軽く肩をすくめてみせて。
島はその後ろで、苦笑していて。
多分…泣いていたのは、彼女。
捕まえた手が…恐らくは同じだ…と思うから。
女が泣く…というのはどうにも苦手だが、苦手な分だけたやすく想像出来てしまうのも、実際。
しかし、あの彼女が泣く…場面は、ちょっと想像が付かなかった。
夢現の境界のはっきりしない記憶と、どうしても結び付かなくて。
凛として、凛とし過ぎていて。
気付きにくいほど、薄い笑みしか浮かべられない整い過ぎた顔に、
困惑の表情だけは、しっかりと見せる事が出来て。
彼女は…あの顔のまま泣くんだろうか?
きっと…自分の為には、泣く事が出来ないんだろうな…と。
笑む事さえ律しているようなら、尚更に泣く事なんて出来ないだろうから。
泣いてしまうには…彼女はあまりにも、利口過ぎるから。
…だから、女は少し馬鹿なくらいで良いんだよ。
泣くのも笑うのも、無為に押さえてしまうなんて、小利口に無様で愚かしい真似なんて、男にだけさせておけば良いんだ。
本当は、女より…男の方が馬鹿だから。
女が泣いてくれないと、男は自分が間違ってた事にいつまでも気付けない。
だから…女なら、泣いてくれ。
ほんの少しだけ、本当よりも馬鹿になって。
女が泣くのは…だから、苦手だ。
出航前夜の慌しさ、懐かしい緊張感。
この艦はここを離れて、地球に戻る。
俺は…還っても良いんだろうか?
本当は、沖田さんにも逢う資格は無いのだと思っている気持ちのまま。
本当は…地球に戻る資格など無いんじゃないか…と考えている心のまま。
俺は、この艦で戻っても良いんだろうか?
真田が居るなら、間違いなく放射能除去装置は組み立てられて。
沖田さんが居るなら、この艦は間違いなく戻る事が出来て。
それで地球は、疑いなく救われるんだろう。
まだ周りを隔絶している進ならば、俺の庇護も必要なのかも知れないが…もう、その必要も無さそうだ。
一度は死んだ…と、自分でさえ思っていた人間が、帰る場所なんて…在るんだろうか?
萎えてしまった脚力を持て余しながら、歩き回っているうちに、窓から見上げた巨大な「月」。
いや…衛星にしては…大き過ぎる。
「あの惑星(ほし)の名が、分かりますか?」
見知らぬ惑星の、見知らぬ空に、名前など知れるはずが無い。
それを承知で訊いたとしたら…とんでもなく馬鹿げた問い。
だから…。
「…ガミラス?」
多分、自分の知っている名なのだろうと。
それだから、訊ねたのだろう…と。
「ええ」
「…近いんだな」
すう…っと、醒めていく自分。
敵を目の前にして冷静になっていくのは…ただ、訓練の結果。
冷静だからこそ、月よりも手の届きそうな近さに見ながら、何の手段もなく、自身さえ思うに任せない事の苛立たしさ。
「ええ…でも、もう…。
あの惑星には、誰も…居ません」
その惑星を見上げる瞳は、確かに寂しさを湛(たた)えていて。
「近くに在り過ぎると…却って、何も…出来ないのですよ」
…地球に居て、地球の為にガミラスを排除し切れなかった自分。
地球に居て、ただ放射能から逃げ惑っていただけの人類。
「…そんなもんなんだろうな…」
これで…本当に、私1人だけ…になるのですね。
…と、そう彼女はか細く呟いて。
俺は…聞こえなかった振りをした。
沖田さんの最後の申し入れにも、彼女は首を横に振った。
1人で残る…と。
誰も居ない故郷に、ただ独りで残る…と。
中空にまた、誰も居ない「月」を見上げながら…?
これが、最後。
恐らくは…本当に、最後。
もし、またここに来る事が叶うとしても、それは…きっと何年も後の事。
下手をすると…何十年も先の事。
「…さようなら…スターシャ…」
多分…二度と逢えないのだろう…と。
この先、二度と…言葉を交わす事など…無いのだろう…と。
彼女は…きっと…淋しそうなままでも、薄く微笑んで。
「ええ…お元気で…」
…と、きっと最後まで凛とした…利口過ぎる女のままで。
「兄さんっ!」
進の言葉に、やっと自分がタラップを途中まで駆け下りている事に、今更ながらに気が付いて。
振り仰いだ進の顔は…思っても居なかった俺の行動に、途惑いを隠せないでいて。
…お前以上に、俺自身が途惑っているんだよ。
どうして…泣くんだ、今更。
この…最後の最後で。
今まで、ろくに…笑いもしなかったくせに。
…だから…女は…。
「…進」
還れない…この艦で、お前と…一緒には。
だって…お前は、俺が居なくてもここまで来たじゃないか。
「…許してくれ…!」
お前は…独りじゃないだろう?
だから…女が泣くのは、苦手なんだよ。
…ほら、見ろ。
絶対…俺の方が悪いんじゃないか。
泣かれてしまったら…自分が間違ってたんだ…と、気付かざるを得ないから。
「…泣くなよ…俺は、ここに居るから…」
※「1」第25話
▲ |
<前頁
Last Update : 20040223
Tatsuki Mima