ぼーっとして、熱にちょっとばかり…赤い顔をして。
額に手など当てて体温を計ってみなくとも、体調悪そうだな…とは一目瞭然。
それでも、午前中はそんな様子でもまだ問題無く仕事をこなしているから良かったが。
「ちょっと…サーシャ、あんた…大丈夫?」
昼を過ぎたら、なおぼーっとしてきたようで。
ミス…というほどの事はまだ無いが、行動の前にほんの少しの…考えているらしい時間があるようになって。
つまり、その分だけ動作が緩慢に、大儀そうになってきて。
「あ、大丈夫、大丈夫」
問われて苦笑しながら扇(あお)ぐように手を振って、仕事に戻っていこうとして…サーシャは椅子の脚に躓いて転び掛けて。
もう…絶対、早退させよう…と思った同僚だった。
追い出されるように早退の手続をさせられて、司令本部の玄関先まで出てきたところでひとつ考え込む。
頬に指先を当ててみても、頬も熱いかも知れないが指先も熱いなら、その差は大したものじゃない。
結局、自分の体温が高いのかどうか良く分からないサーシャだ。
もっとも、出て来る前に何処かで鏡を覗いてきたなら、考える必要無く分かったはずなのだが。
掛かってきた電話を、秘書がまず受ける。
「どうした?」
科学局(となり)の友人からだ…と聞いて、何なんだ…とは思いながら。
何故なら、まだ夕方にもなっていない時間。
こんな時間の真田からの連絡といえば、まずは仕事絡みで面白くない話になる事請け合い。
面倒をこっちに廻すんじゃねえぞ…とは、正直なところ。
「澪の『定例の外泊』だ」
「…あ?」
意味は十二分に通じるが、予想していなかった真田の言葉に、一瞬仕事の手が止まった。
「風邪引いてたのか?あいつ?」
「…それが、同じ官舎(へや)に暮らしてる父親のセリフか?」
素直な感想に至極ごもっともな言葉が返ってきて、苦笑い。
寝てるかどうか…までは知らないが、帰宅した時には自室に戻っていて顔を合わす事が多くない。
流石に朝は顔を突き合わせるが、どちらも出勤前に多少なりバタバタとして、落ち着いて話すほどの時間の余裕は無い。
そして今朝は、守の方が普段より早く出た為に逢わず終いで。
それを言い訳のように口にしながら、いつか…同じ空間には暮らせなかった頃に「逢ってやれ」と、これまたごもっともな事を言われ続けていた事を…思い出していた。
「で?どんな様子だって?」
「大した事は無い…と思う、熱で思考力は落ちてるようだが。
端末の操作を任せたくない程度には、な」
お互いに「娘の体調」を話題にしている割には、会話の方向性がちょっとばかり捻れているような気もしなくは無いが、これがこの2人の普通なのだから仕方無い。
「まあ…それくらいなら、適当な時間に自分で電話入れろ…と言っとけ」
◇
◇
◇
◇
スターシャは、イスカンダルの人間である。
その娘として生まれてきたサーシャは、全てではないながらイスカンダルの血を確かに継いでいる。
それがどういう事なのか…と言えば、母娘2人してその身体に「地球の常識」が通じない…という事。
地球上で永い時間を掛けて系統立ててきた、医学・薬学と言う学問の信用ならないという事。
確かに、サーシャの遺伝子の半分は地球人だが、それでもあまりは。
「頭、痛〜いっ」
お互いの外見に違和感を感じないという事は、生物としての発生と進化の過程がひどく似ていた…近かったという事。
お互いの間に混血が可能だったいう事は、遺伝子レベルで本当に近かったという事。
だから…実際には、副作用などという問題無く使用出来る薬剤も多い、全くアテにならない…というほどには懸け離れてはいなかったけれども。
「向こうで寝てろと言っただろうが」
滅多に風邪も引かないくらいに丈夫なくせに、いざ引き込んだ場合にはちょっとばかりひどい事になる。
それが、サーシャの体質と言えば体質。
その程度には、アテにならないし通用しない。
向こう…局長室の事だが、その局長である真田自身が殆ど居着かないような部屋だから、他に滅多に他人も入って来ない。
だから、そこのソファに寝てろ…と言ってあった訳だが。
「…アナライザーが煩(うるさ)いんだもん、向こう」
渡した憶えの無い薄い毛布を抱えるようにして、ろくに椅子も無いような研究室(こちら)の方に、赤い顔をしたままのこのこ…と。
「水だ、お菓子だ、室温調整だ…って、も〜煩いっ。
毛布とクッションまでは、有難かったけど〜」
要するに、心配して世話を焼き過ぎて、アナライザーはサーシャに嫌われた…訳だ。
「…何なら、先に帰るか?
もうすぐ区切りも来るし…」
それは、サーシャに1人で帰れという意味では無く。
一旦、真田が仕事の手を止めて送っていくが…という意味だったから。
「あ、良い。
大丈夫、お義父さまの仕事が終わるまで待ってる」
そう言って、抱えていた毛布を半分だけ広げてそこに置いて、その上に座り込んだ。
普段なら定時なんて気にもしない、時計なんて有っても見向きもしない真田だが、今日はそういう訳もいかない。
流石に事務などのように時間が来た、はいお終い…ともいかなくて定時はかなり過ぎてしまったが。
それでも、この季節でもまだ空に充分明るさの残っている時刻に。
「終わったの〜?」
近付いて来た足音に、ぼーっとした顔を上げて。
その顔の赤さに、最初より熱が上がったかな…と手の甲側で頬に触れてみれば、案の定。
この研究室(へや)だって、十二分に空調は効いている。
寒いと感じるような事は無いし、逆に効き過ぎて暑いなんて事も無い。
だから、サーシャが入り込んできた時に追い返しもしなかったのだが。
訊いてみたりなどしないで、さっさと連れて帰れば良かった…と今更思っても、後の祭り。
徒歩5分ばかり…という普段の通勤時間が異常に短い所為か、その3倍ばかりの距離がひどく長いような気がした。
もっとも…徒歩で半時間と掛からないのだから、真田の通勤時間だって平均からすれば相当に短い方なのだが。
「ほら…さっさと寝てろ」
真田に追い立てられるように言われて、それに大人しく従う。
普段暮らしている訳では無いが、勝手知ったる義父の官舎(へや)である。
迷わず、真田が書斎に仕立てている方の部屋に入り込んで。
客間は無い、だが書斎がその代わりだ。
机と書架の他に、何故かベッドが隅の方に置いてあったりして。
それから、サーシャの場合は…何故か着替えがしっかり仕舞い込んであったりもして。
「あ…忘れてた」
何を…と言えば、母親に連絡する事を。
そうしとけ…と、父親からの伝言を聞いた事を。
「…服は、着替え終わってから出て来いっ」
電話借りるわね…という言葉に振り返った真田は、怒るより先に呆れるしかない。
娘の、中途半端な露出度の格好…しかも当人は気付いていない…を見せられては、義父としては情けないし恥ずかしいだけだ。
「大体、お前…携帯持ってるだろうが」
「…あ、そうか」
自分の手荷物の中に携帯の有る事を忘れているようでは、ほぼ完全に思考力無いな…と改めて真田は溜息を吐いた。
◇
◇
◇
◇
別に、起きて待っていろと言った憶えは無い。
だが、おおよそはそこに居る。
「お帰りなさい」
腰を浮かせながらそう言って、立ち上がって。
「ええ、聞いたわ」
サーシャから連絡が有ったか…と問えば、苦笑しながらそう答える。
「俺は…気付かなかったけどな」
苦笑に紛れて言葉を吐くのは、本当は自分の方だ。
顔突き合わせている時間の短さを言い訳にしているだけなのだから、まるで…いつかのように。
「…当たり前よ」
拗ねているらしい様子に、くすくす…と笑ってみせながら。
「だって…あの子は、貴方も避けてたんですもの」
「…あ?」
そんな事を言うから、意外さをそのまま素直に問い返して。
普段は元気にはしゃいでいても、たまの病気がまずおおよそひどい状態になる…のは、遺伝なのではないかと。
地球では無い惑星に、生まれて育って生きてきた母親の。
真っ先にそうと考えても、ある意味当然。
…ならば、その母親は。
そうした場合に娘以上に重篤な状態に陥るんじゃないか…と、そう類推するのも自然。
そして実際、そうではない…とは言えなくて。
これまでにだって…回数は多くないが、やたらと心配させられた事の有るのも、実際。
「貴方にも伝染さないようにしてたのよ、あの子」
そう言ってスターシャは、またもう一度くすくす…と微笑う。片手の甲を口元に寄せるようにしながら。
「俺なら…別に…」
確かに…多少なりとも仕事に影響しないとは言えないから、風邪を伝染されるのも有難くは無いが。
元々が戦闘士官で、持って生まれた頑丈さにはそこそこの自信の有る守だ。
どうにもならないほど体調を崩す事なんて、当人が全く信じていない。
だが。
「『お父さまから、風邪…伝染されない自信有る?』…と言われたから、無い…と答えておいたわ」
娘の言ったらしい言葉を、目の前に居るスターシャから聞かされて。
「それは…俺も、無いな」
「…でしょう?」
だから…3度目を、今度は2人で苦笑(わら)って。
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Last Update:20051104
Tatsuki Mima