雨:05

NovelTop | 第三艦橋Top

    買い物を済ませて、さあ帰ろうか…と出口の方に向かって、そこに少しばかり人の集まっているに気付いた島である。
    横に並ぶようについて来ていたテレサと、ちょっと…顔を見合わせて。 しかし、その理由は人の隙間を縫って建物の外に出たところで知れた。

    ひどい雨。 ほんの少しの距離がもう、白く煙(けぶ)って見通せないほどの。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    建物の外…と言っても、まだ深い軒の下。 壁をすぐ背にして立っている分には、地面に勢い良く跳ね返った雨もまだ届かない。
    跳ねた雨とたくさんの足跡にその辺り、隙間無く足下は濡れていたけれども。
    以前とは雨の降り方の変わってしまったとは言え、長雨の季節。 低く曇っていた空に用心して傘は有ったが、この大粒の激しい雨には大した役に立ちそうにも無い。
    風の無いだけ、台風よりマシ…というだけの事。
「もう少し止まないと、ちょっと…帰れないなあ」
「…何か?」
    軒越しに空を仰ぎながら呟いた島の声も、それ以上の雨の音に紛れて何と言ったやら。 それをそのまま問い返したテレサの声も、またその通り。
    もう少し大きな声で、さっきと同じ言葉を繰り返そうとして…思い直して。 その腕を取るように、また建物の中に戻る。
    出入り口に、ガラス戸は2組。 それぞれが時間差で勝手に閉まった後でも、まだガラスと空気を震わせて耳に届く雨の音。 いや…足下からも、地を揺るがして少し響いてくるような。
「そう…ですね」
    買い物は少し量があったので、島が両手に提げていた。 その代わりにテレサは、2本の傘を…どう持ったものか悩んだ挙句に、胸に抱えるようにして。
「島さん、傘持てない…ですよね」
「いや、そうじゃなくて…」
    量は…その重さはそれなりにあったが、片方はそれほど嵩張ったものじゃない。 傘はそっちで、充分に差す事が出来る。
    テレサのちょっとだけ的外れた答えに、少しばかり呆れながら。 雨がひどいと、上から降るでは無く下から跳ね返るに濡れそぼってしまう事を、どうにか言葉に説明して。

    出口の辺りに人の集まってしまっていたのは、目の前の駐車場にまでも濡れてしまう雨に皆立ち止まってしまったから。
「…どうする?」
    濡れて帰るかどうか…は訊いていない。
    地面に跳ね返される雨は、細かく砕けて霧のようにも舞い上がる。 そして、この季節の気温に不快指数を上げる。 対して、当たり前だが建物の中では空調が効いている…不快指数は低い。
    どちらに雨を止ませるか…を訊いたのは、雨の物珍しさを間近に見るを取るのか、待つ間の快適さを取るのか。 それを問われてテレサは、2枚のガラス越しに雨の降る外を見た。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    時々、こんな激しい雨も降る。 雨の降る日数が減ったかも…と記憶に照らし合わせてそう思う分を、一度に降る量で取り返そうとしているかのように。
    でも、こういう雨はいつも…あまり長くは続かない。

    台風に遭うには、まだ少し早い頃。 そして、今年の長雨の季節も今までは、そう降りもせず。
    だから…テレサにとっては、生まれて初めてのこれほどの激しい雨。
「…面白い?」
    出入り口脇で動かないガラスを背にした島は、自分とは逆にガラスに両手のひら添えて、張り付くようにまだ止まない外を眺めているテレサに、そう。
「いえ…面白い、じゃなくて…」
    雨を受けてみようとした手のひらが、痛かった。
    どうするか…と問われて、どれほど降っているんだろう…とまた軒先に近付いてみて。 本当に…裾どころか、腰や胸にまで跳ね上がってくる水滴に驚きながら、差し出してみた手のひらが。
    思わず、一歩。 そして、数歩。
    そんなテレサに付き合って、またもう一度軒下まで出て来ていた島の背中に逃げ込んで。
「…驚いているんです」
    現在(いま)と今までと、本当に同じ「雨」なのだろうか…と。
    水と言えば、地底の溜まり水。 こちらが何をしなければ、ただ鏡のように滑らかに穏やかにこちらを映しながら、ただただそこに存在(あ)るだけの。
    そんな世界に生きてきたテレサには、河の流れるも浜辺に波の寄せるも、不思議。 雨の中空(そら)から降ってくるは、まるで魔法。
    その同じ雨にも、まだこれだけの違いがあるなんて。
「そう?」
    笑いながら、島が答えた。
    あの惑星(ほし)に雨の無かったという事は、現在(いま)は島も知っているが。 艦橋の窓越しにその目に見て、実際に降りた時には露ほどにも思わなかった。
    乾いた大地である事は見て取れたが、彼女の足下に湖を見ていたから…だ。
    そうして…こんな時に、つくづくと思う。
    自分は何処までも「地球人」だと、彼女はやはり「地球人では無い」と。 こんな当たり前の…単純な事にも思う事が違う、知識も思考も違う…と。
「でも、すぐに止むよ。 そうしたら…帰ろう?」
    …それでも、彼女を選んだ。 そして、一緒に居る。

    1人だが、独りでは無い。 それが、過去(いままで)とは一番違う事。
    一緒に居てくれる人が傍に存在(い)て、一緒に帰ろうと言ってくれる。 2人で一緒に帰る場所のある事が、何だか…とても嬉しい。
「はい」
    だから…ほら、こんなに笑って答えられる。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    耳に響いていた雨音の小さくなったような気がして振り返れば、ガラスに手を添えたままのテレサがもうすぐ止みますよね…とこちらを少し見上げて。
    そして、その通り。 いや…小雨にはなったが、完全に止みはせず。
    常温に傷むようなもの、融けるようなものは無かったから帰宅を急がねばならない必要も無かったが、それでも少し長い雨宿りになってしまった。 だから、待ちかねたように2人ようやく傘を差して。
    随分傾いてしまった陽がわずかに、雲の隙間から幾筋こぼれているのを背にして。 まだ厚く低く、暗く垂れた雲を前にして。

    それに先に気付いたのは、テレサの方だった。
「…あれは?」
    買い物を持ち直すに少しだけ下を向いていた島が、そんな声に顔を上げて、テレサの指差している先に目をやった。
    灰色の雲のこちら側、ぼんやりとして輪郭も曖昧な円弧。 透かすようにして良く見れば、僅かな色。
「ああ…虹だね」
「あれが?」
    映像やページの上に見た事はあったが、本物の虹を見たのは今日が初めて。
「でも…虹は、確かもっと…」
    蒼い空に、白い雲。 その雲を何処かと繋いているような、きっぱりとした七色の橋。 テレサの知識として知っていた虹と、今見えているものとはあまりに違っていた。
「光が弱いからだよ。 ほら…ね?」
    荷物が有るからあまり高く大きくは腕を振れなかったが、それでも島が後ろを指すのにテレサがそちらを振り返ってみる。
「あの雲が動いたら、もっと綺麗に見えるよ」
「そう…なんですか?」
    向き直って問えば、そうだよ…と島がまた笑って答えた。

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Last Update:20070502
Tatsuki Mima