地上に辿り着いたといって、すぐに下艦(お)りられる訳では無い。
艦艇は航海中は乗員の管理下、地上に在っては地上スタッフの管理下に置かれるが、それをスムーズに移譲するには報告と引継ぎが必要だ。
そんな事で、こんな小さな艇でさえ半時間は充分に取られてしまう。
ギリギリ午前中に到着したものの、ようやく地に降り立てば時刻は既に午後。
これから司令本部…航行管理部に出向いて、書類提出して。
処理を待たずに、また明日…と帰宅(かえ)ってしまえば、すぐ。
しかし、夕方になろうと処理の終わるを待てば、明日にも残る書類提出が楽になる。
どちらを選ぶか…は、それぞれの考え方次第。
今日の提出さえしない…も、また勝手。
結果的に、地上に居る間に帰還後と出航前の書類提出を終わらせてしまえば、それで良いからだ。
「ま…夕方、ですねえ」
しかし、南部の場合は、既に身に染み付いた習い性。
艇内で既におおよそ仕上げているものを、わざわざ明日まで待つ理由が分からない。
毎日少しずつ仕事を残して、ずるずると休み切れないまま地上を過ごすより、片付く仕事ならとっとと片付けてしまった方が余程マシ。
だから、そんな事を独り呟いて。
宙港。
頭の中は、未だにお仕事モード。
「パパ〜っ」
しかし、可愛らしい声がそれをものの見事に突き崩してくれた。
◇
◇
◇
◇
「慌てなくたって、あたしも居るわよ」
文字通り、うろうろ…としてしまった南部の前に、長女登場。
「優梨が1人で、宙港(ここ)まで来られるはずが無いじゃない」
冷静になって考えれば、その通り。
優梨はまだ2歳、今年も終わる頃にようやく3歳。
姉の絵梨が「何でも出来る」所為か、その性格はのんびりゆっくり。
依頼心が強い…と言うか、自発性が今ひとつ育っていない。
絵梨に任せて、道も憶えない。
金銭感覚も、きっと同年齢の平均ほども無い。
どう考えても、公共交通機関を利用して…たまには他人に道を訊ねつつ、ここまで1人で来る…なんて無理な話だった。
「…も〜っ、脅かさないで下さいよ〜っ」
ほ…っとした分だけ、思いっきり脱力。
その場に座り込んだ所為で、せっかく父親に飛び付いた優梨の足もまた床に付く。
「パパが勝手に、在り得ない事を考えただけでしょ」
しかし、絵梨の言葉は冷ややかである。
「…って、何で絵梨さんがこの時間に宙港(ここ)に居るんです?
学校はどうしたんですよ?」
「全世界的に、今日は『日曜日』って言うのよ?
パパ?」
そして、突っ込みはもっと容赦無かった。
さて。
娘2人に気を取られていて、南部がすっかり失念していた事がある。
「へえ…艇長のお嬢さんたちですか?」
「可愛いですねえ」
一応、自分より先に下艦(お)ろしたとは言え、同じ艇の乗員…つまり部下がその辺りにごろごろ。
しかも、普段ならとっとと駐車場に向かう艇長が珍しく…となると、遠慮無く近寄ってくる程度には物見高い連中が。
「どうも…いつも、父がお世話になっております」
こういう状況での絵梨は年齢相応の可愛らしさも見せながら、しかし極めてそつ無く挨拶をこなしてくれるし。
優梨はさっぱり分かってないだろうが、にこにこと愛想だけは大変良ろしいし。
そうして、艇長がキレた。
「他人の家族に構ってないで、とっとと帰んなさいっ!」
蜘蛛の子を散らすように逃げ散った全員だったが、あの剣幕に逆に、お嬢さんたちの事を持ち出せばしばらく「艇長で遊べるかも知れない」と思っていたり…もした。
自分に対して…では無いが、間近に大きな声を聞かされてしまった優梨は驚いたか、きょとん…とした顔を見せていた。
「もう…何、不機嫌なのよ?」
乗員連中を一喝で追い払ってしまった父親に、絵梨が呆れた声を出す。
「…何で来たんですよ?」
「連絡線(シャトル)で、だけど?」
「来た『方法』は、訊いてませんっ」
南部の訊いたのは、方法では無く理由の方。
そうじゃないかな…と気付いていながら、方法の方を答える絵梨もなかなかにいい性格だ。
どうして来たんだ…と訊くくらいだ、絵梨や優梨にあんまり来ては欲しくなかった南部である。
もっと正確には「来るな」では無く、部下連中と「顔を合わせてくれるな」…だ。
あの艦に乗務(い)た事で、艦長まで勤めた古代ほど…では無いにしろ軍内ではそれなりに、不必要に自分に注目のある事を知っている南部だ。
そして、その上にもう一つ自身の背景も。
だから…家庭のある事を隠すつもりは無いが、家族を晒すつもりも無い。
「優梨が『行きたい』って言ったのよ」
「…はい?」
座り込んでしまって立ち上がっていない南部からは、絵梨の顔はわずかに見上げる位置。
「『パパを迎えに行きたい』って言ったの」
どうして、そういう事になったか…と言えば、古代さんちの弥生が発端。
雪が古代を宙港に出迎えるのにちょくちょくついて行く弥生が、その事を話した。
宙港の広さだとか、引っ切り無しに発着する船舶・艦艇の事だとか、要するに…ほんの少しの自慢も含んで。
父親が航海に出てはいない壱弥は大して興味無さそうにあっさりと聞き流したが、そうで無いはるかと優梨が喰らい付いた…訳だ。
はるかがテレサ相手にどれだけ騒いだか…はこの際、余所様のお宅の事なのでその結果も含みどうでも良い事だが。
少なくとも優梨は、母親と姉を相手に盛大に駄々をこねて、大いにねだった…のだった。
「…で、あたしが連れて来たのよ。
分かった?」
極めて整然…と説明されて、頷くしかない南部である。
◇
◇
◇
◇
さあ、これで妹との約束は果たした…とばかり、父親の首に張り付いている妹を引っ剥がして。
「じゃあ、ね」
…と、あっさり廻れ右した絵梨を、慌てて捕まえた。
「司令本部行くんでしょ?
だから、あたしたちは帰るのよ。邪魔になるし」
肩を押さえられた絵梨はそのまま南部を振り返って、あっさりと物分かりの良い事を言ってくれる。
「冗談じゃないですよ。
このまま、2人だけで帰してたまりますかっ」
言いながら、南部は絵梨の手から優梨を取り返して抱え上げた。
◇
◇
◇
◇
少し席を外していたのを、執務室まで戻ってきて…取り敢えず一言。
「…何で、南部の娘が室内(ここ)に居るんだ?」
問うたのは勿論、秘書に…である。
「南部さんが置いていかれたから、ですわねえ」
「そりゃ、まあ…そうだろ」
弟とその娘の交友関係から、絵梨も優梨も既に顔馴染み。
そして、その性格もそれぞれ既に。
姉の方は、その辺りの大人よりもよっぽど物分かり良く、常識的。
それでいて「自分が年齢的には子供」である事を、きっちり自覚もしている。
妹の方は、実に大人しい性格。
人見知りもしないが、見知った人間と一緒で無いとあまり出歩く事も無い。
…つまり、優梨だけだったら絶対に司令本部(ここ)まで来ないし。
絵梨が居るなら、自分や小さな妹がどんな邪魔になるやら知れない…と分かっているので、来るはずが無い。
ちなみに。
戻ってきてから晶子に問うまでの間に、お邪魔してます…と絵梨にしっかりきっちり挨拶され、そんな姉を真似してみた優梨にも頭を下げられていた守である。
「だから…何で、南部が娘を連れてくる事になったんだ?」
子供たちだけで来るはずの無い以上、誰かが連れてきた…という事になる。
それが南部以外の誰かだったら、少なくとも執務室(ここ)で無い何処かで2人の面倒を見ているはずだ。
だから、連れてきたのは南部だ…と守は判断していた。
「さあ…」
「優梨がパパを迎えに行ったから、よ」
守のもう一度の問いに、晶子と絵梨の答えが同時に返ってきた。
「邪魔になるから、連絡線(シャトル)で帰ろうとしたんだけどねえ」
そして、宙港でのやり取りを極めて正確に繰り返してみせた。
2人だけで帰してなるか…と、優梨を抱き上げて駐車場にとっとと向かった南部だったが、それを引き止めたのは絵梨の言葉。
「このまま帰って、今日の書類はどうするのよ?」
「明日にしますよ」
ぱたぱた…と急いだ足音を床に響かせて、後から並んだ絵梨を見下ろしながら、そう。
別に、そうしたところで不都合は無いのだから。
「…で、今日を無駄にする訳ね?」
やっぱり急ぎ足のまま、ぼそ…っと絵梨が呟くように。
まあ…まだ確かに、昼食時。
陽はとんでもなく高いところに在るし、夕方までにはまだ数時間だって仕事が出来るのだから。
「なら…帰ってから、また出ますよ」
「往復の分だけ、時間の無駄」
きっぱり、はっきり、容赦無く。
「パパの地上(ここ)に居るのって、何日?
1週間?
少ない時は5日でしょ?」
その中に書類を作って、提出する…という仕事も含まれている。
のんびりとやっていると書類を作る事だけで時間が潰されて、休暇らしい休暇の無くなるだけだ。
「パパの休めないだけなら別に良いけど、他の人に迷惑掛けないでよね」
…のんびり構え過ぎると、確かにそんなザマにも。
「…で、司令本部(ここ)にあたしたちを連れてくるか、1人で来るか…を選ばせたのよ」
「それで、こちらに預けていかれたんですね」
晶子はあっさり納得したが、守はやれやれ…と溜息を吐いた。
「案外、過保護だな」
2人だけで宙港までやって来たのを、2人だけで宙港から帰すに何の問題が有るのやら。
大体、わざわざ執務室(ここ)まで連れてこなくとも、その辺りに放っておいて心配無いだろうに…と。
◇
◇
◇
◇
2人を待たせている…という自覚は大いに有ったらしく、処理の合間に相原で遊んでいる余裕は流石に無かったようだ。
「ここは託児所じゃないぞ?」
案外と早々に戻ってきた南部に、守の一言。
「ご存知ですよ、そんな事」
「だったら、置いていくんじゃないっ」
「邪魔にはならなかったと思いますが。
絵梨さんも、優梨さんも」
「まあ…サーシャや弥生に較べれば、な」
母親である雪の職場がここだから、時々は司令本部までやって来る弥生だが、伯父の守が居ても執務室(ここ)までは滅多に来る事は無い。
ごくたまに来ても「ちょっと顔を見せに来た」という程度。
従って、実は弥生に「仕事を邪魔された」事は無い守だ。
…しかし休日の来襲に我が娘と大差無いその騒々しさと、我が娘には真似出来ないだろう駆け廻りっ振りだけは嫌と言うほどご存知でもあった。
守だって元々は戦闘士官、一艦預かっていた事だってある。
「処理待ちか?」
書類提出も即座に処理終わって手元に戻ってくるじゃない事は、実体験として既にご存知。
どれだけ…うんざりするほど待たされるのか、も同じく。
「ええ、まあ…このまま帰ったって良いんですけどね」
寄ってきた優梨を抱き上げた…ところを守にまた問われて、そちらを振り返って。
「…絵梨さんが怖いので」
「娘に負けてんなよ、お前も」
絵梨にまたあれこれ突っ込まれたくない…と苦笑する南部に、既に一度突っ込みを入れた当人からその話を聞いていた守も苦笑してみせた。
「まあ…時間有るんなら、その上背利用して棚の整理でもやって行け。
託児料の代わりに」
藤堂だと踏み台要るんでな…と言って守は、振り向きもしないまま背にした壁一面の棚を、肩越しに指差す。
「俺よか上背の有る人に言われても、釈然としませんが」
「俺は『仕事中』だが、お前は『暇』だろ?」
◇
◇
◇
◇
書類を受け付ける航行管理部の処理が特に遅い訳では無いが、書類提出をする人数がそれなりに多い為に結構な時間が掛かる。
…という訳で。
晶子に問いつつ、守に突っ込まれつつ、結局書棚は全部片付けてしまう羽目になり。
処理の終わった書類を返してもらって、2人を連れて出てきたのは、もう夕方と言って良い時刻。
もっとも、この季節なのでまだ陽は少し残っていたが。
疲れた。
本当に、疲れた。
「もう…二度と御免ですからね」
宙港にまで出迎えに来られるのも、司令本部にまでついて来られるのも。
「心配しなくても、あたしはもう行かないわよ」
今までに無かった状況にはしゃいだか、今頃くたくたと寝てしまった優梨を片手に抱えて、もう一方に荷物。
うんざりした表情の南部に、絵梨がまた呆れたように言い捨てた。
「優梨は、どうだか分からないけど」
ほ…っとしたところに、追い討ち。
「優梨さんが、1人で来る事は…無いでしょ?」
「今は、ね」
その手から、荷物を引っ手繰(たく)るように。
たかだか10日から2週間の航海、艇に持ち込む荷物は元々大した量でも無く重くも無い。
しかし、両手がこう塞がっていると、車の鍵を引っ張り出す事もままならないから。
「でも優梨の周りに居るの、ママにあたしに…サーシャさんと弥生よ?」
絵梨が、はるかや壱弥を省いたのは意識的に。
「…誰に似ても、能動的な人ばっかりですねえ」
いや…後者2人は能動的を通り越して、我が道を周りを見ずに突っ走るタイプと言えるが。
「ま、良いじゃない」
車のドアを開けるところから、実際走り始めるまで。
途切れた会話を思い出したように、絵梨がいきなり続けた。
「…何が、ですよ?」
「たまには」
運転席と助手席の肩に等分に肘を置いて、頭だけ出していた絵梨を…ちらと見た。
「パパの『帰宅(かえ)ってくる』回数って絶対的に少ないんだし。
そのうちの、1回や2回くらい」
そして、もう一度。
2度目に見えた表情(かお)は、どう?…とばかり。
ほんの少しだけ、自慢気さえ。
「ああ…今度はママも入れて3人で、って良いかも」
「…絶っ対に、嫌」
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Last Update:20080710
Tatsuki Mima