失くした…と思った、あの時に。
喪失感を埋め尽くすのは、ただ後悔だけで。
手放すのではなかった…と。
一瞬たりとも、離れたりするべきではなかった…と。
巻き戻せない時間を、もしも…で手繰(たぐ)っても「あの時」にその糸は切れていて。
この手には何も、欠片も引き寄せられなくて。
一度は確かに、抱いたこの手の記憶が…いっそ虚しくて。
◇
◇
◇
◇
正直…万全とは言いがたい、だが…動けない訳じゃない。
「まあ…どうするかは、お前さん次第じゃな」
無責任にも思える、主治医の消極的な許可に。
選択は全て、自分に任されてしまって。
あの艦(ふね)に乗るのか、今回の航海は…地上から見送るのか。
いや…本当は、そんな自分の体調だけの選択肢では無く。
彼女を…地球(ここ)に置いて行くのか、行けるのか。
自分が…彼女から離れていられるのか、どうなのか。
それが、本当の選択肢。
彼女はまだ、目覚めない。
それ以前に…まだ、目覚めるのかどうか分からない。
身を斬られるような焦燥は、きっと…ほんの少し前の彼女の抱いたもの。
その身体に無理の掛かるほど、この身に血液を分け与えるに到った彼女が、自分に対して抱いたと同じ想い。
──生きてさえいてくれるなら…。
ただ、違うのは。
自分は彼女に対して、何も出来ないでいる事。
身を削る事さえ…何も出来ないでいる事。
自分は…本当は、どうしたい?
彼女の事さえなかったら…恐らくは、何も迷わずに乗艦する…と言えていたはずなのに。
たった、彼女の事だけでこんなにも身動きが取れないでいる。
自分は…この後、どうする?
彼女が目覚めて、またこの腕に抱いてしまったら。
それでも…艦に乗り続けられるのか、それとも…艦に乗る事を捨ててしまうのか。
最後に突き付けられるのは、本当は…そこまでの選択肢。
これ以上ここに留まっても、彼女の為には…何も出来ない。
それは、いつか…にも感じた想い。
あの時には彼女は、自分に…戻れ…と。
それが、あの時の彼女の想い。
君は、今…僕にどうして欲しいと思ってる?
今の僕は…ここに…残りたい。
残れずに居たその後に、見失ってしまった記憶が有るから。
今度また、知らない間に見失ってしまうのは…どうしようもなく怖いから。
だから、僕は…ここに残りたい。
だけど…君は、どう…思っている?
◇
◇
◇
◇
1ヶ月足らずの、太陽系周辺での訓練航海で終わるはずが、まさか銀河系を離れる事になるとは、誰も思ってもいなかった。
ましてや…あのイスカンダルを、例え…スターシャの依願であったとしても。
撃ち、破壊に及ぶ事になろうとは…誰も思ってもいなかった。
そんな…帰路。
「…『古代さん』が、2人居るのってややこしいですよね」
「別に…ややこしくないだろ」
相原の言葉に、その弟の方がちょっとばかり膨(むく)れて。
「…そうか?」
元々、兄の方の友人だった真田が訊き返し。
「さあ…どうなんですかね?」
訓練学校時代には既に、友人の兄という事で見知っていた島が、それに答えて首を傾(かし)げる。
今、この艦に乗務している中では実弟の古代を別にして、守と個人的に付き合った時間がそれなりに有る2人には、既に分からない感覚であるから仕方が無い。
初めて、真田が古代に逢った時には、守は死んだと思われていて居なかったし。
島は「兄だ」と紹介されて、そのまま「お兄さん」と呼んでいたから、その呼称の区別で悩んだ記憶も無かった。
「『古代さん』と『古代さん´(ダッシュ)』…とか?」
「誰が『ダッシュ』だっ、誰がっ!」
「え〜?
『艦長代理』の方が『ダッシュ』だとは言ってませんが?
俺は」
これまでの航海で、古代が守に対してそれなりのコンプレックスを抱いている事など、既に全員に分かってる事で。
その辺りを突いた南部のセリフに、自ら墓穴を掘ってしまう辺り…古代である。
「笑うなっ、北野っ!」
「は…はいっ!」
これは古代の、完全な誤魔化し…というか、八つ当たり。
無理言うなよ…とは、島の思う事。
「別に…2人が同じ場所に居ない限り、問題無いんじゃないのか?」
居ても、特に問題を感じない真田がそう言って。
「その時には、艦長代理でも戦闘班長でも…呼びようが有るからな」
「ですよね」
これまた、何ら困らない島と頷き合う。
結局…この、艦の針路には全く影響の無い、どうでも良いような話は。
その時になったら個々、臨機応変に考えよう…という、至ってアバウトな結論となった。
…で。
当の「2人の古代さん」の、もう一方は。
そんな話を聞かされても、どうにも笑うしかなかった。
「笑っていて良いんですか?『古代さん』?
うっかり第一艦橋に来たら、どう呼ばれるか…分かったもんじゃないですよ?」
どちらかと言うと、守ではなく古代が、だが…と。
「お前は、俺をそう呼んでみるつもりか?島?」
「どうしようか…と、考えている最中です」
笑いながらの守の問いに、答える島も苦笑しながら。
「乗務中の軍人が、航海途中で保護した民間人を『お兄さん』と呼ぶのは…どうなんでしょうね?」
「…『民間人』か?俺が?」
「一度『戦死』した人が、何を言ってるんですか?
戸籍は回復しましたけど、軍籍からは外れたままですよ」
言われて守も、そう言やそうだろうな…と。
艦内時刻は、そろそろ全員が夕食を終わらせよう…という頃。
寝てしまうにはいささか早いが、さりとて宵のうち…とはもう言いがたい時刻。。
「そんな事を、わざわざ報告しに来たのか?」
「…まさか」
わざわざご丁寧にも守を室外に呼び出して、その用件をこれほどくだらない話で終わらせるほど、島も非常識なつもりは無い。
「様子を訊きに来たんです、スターシャさんの。
どうなんです?」
「そういうのは、艦医(せんせい)に訊いてくれ」
「訊いて来ましたよ。
体調の事に関してなら、佐渡先生に」
そこで息を継いで…わずかに躊躇(ためら)って。
「俺の訊きたいのは、体調じゃなく『様子』です。
精神的に…どうなんです?」
流離したイスカンダルの暴走の止まった…破砕され消滅した宙域から、1度だけワープを実行したのだが。
その直後にスターシャが体調を崩してしまい、以降2日…通常航行のみが続いていた。
スターシャの変調が、ワープの影響だ…とは言い切れないが、そうではない…とも言い切れない。
身体的には、最も軟弱なはずのサーシャには、今の所ワープの影響らしきものは出ていない。
どの道…今後、幾度もワープを重ねなければ、地球には戻れない。
かと言って、地球人としては…ヤマトとしては、スターシャにあまり負担を掛けさせたくはない。
最悪、1度ワープを行う度に数日間掛けて、スターシャの体調の回復を待ち、また繰り返す…しかない。
「体調や様子が分からないと、次のワープの予定が立たない…からか?」
「航海長として…だけなら、その通りです」
実際、次のワープは佐渡の許可待ち…の状態である。
「お前…個人としては?」
「…俺としては…」
そこまで言って、後を言い淀む。
たった今まで、隣を歩く守を見上げていたのを、足下に視線を落として。
「どうすれば良いのか…自分でも分かりません」
身長差で見下ろしてしまう守からは、島の顔はその髪の影に見えにくくなってしまって。
ただ、どうして…こいつは、泣き出しそうなんだろう…と。
そう思った。
◇
◇
◇
◇
たった1度の跳躍も、光を遥か彼方に置き去りにしてしまい。
イスカンダルの名残など、遠く幽(かす)かにすら見せてはくれなくて。
「お兄さんの憶えている地球って、やっぱり…まだ『赤い』ですか?」
いきなりの…脈略の無い問いに、途惑うばかり。
「それは…見てないからな、今の地球を」
言われて思い出す、忘れかけていたかも知れない故郷の惑星(ほし)の姿は、確かに…最後に振り返ったままの姿で。
居住区(した)の、人数の多さに比例した賑々しさも、後方展望室(ここ)までは聞こえては来ない。
「もし…間に合わなくて、今頃…人類が滅んでしまっていたとしても。
地球は…まだ、在るんですよね」
青さを取り戻す事が無かったとしても、地球という惑星はそのままで…と。
見えるはずなど無い…と分かっていても、つい目がそれを探してしまっている守に反して。
島の方は、窓の外には全く背を向けて。
「もし…ですね。
あのまま遊星爆弾が降り続いていて、その結果…地球が破壊されて消滅してしまったとしても。
人類がその手で、壊してしまった訳では無いんですよね」
話がそこまで来てやっと守にも、島は…スターシャに関わる事で何か言いたい事が有るらしい…のだと、分かってきた。
「自分の言葉で、自分の生まれ育った惑星を撃たせて…失くしてしまったスターシャさんは、今…何を考えているんだ…と思います?」
そんな予想が図に当たっても、問われた事に答えられる言葉など何も思い浮かばなかったのだが。
「自分で…自分の惑星を壊してしまおうとまで決心するのに、何をどれだけ、何の為に何処まで、誰の為に…どれくらい考え抜いたんだ…と思います?」
そこまで言って、島はそのまま沈んで…その場に座り込んだ。
「現実として、もう…イスカンダルは存在しないんですけど」
島は、座り込んだまま、俯いたまま。
「取り返しの付かなくなった今になって、その決定を…後悔してるんじゃないか…と思って」
膝を抱えてしまうようにして、呟くように。
「スターシャさんの不調は、イスカンダルの…跡から遠去(とおざ)かった所為なんじゃないかな…って」
ただでさえ長身の守からは、もう全く表情は読めなくて。
「それも…ワープで一気に、距離を運ばれてしまった所為なんじゃないか…と思って」
今さっき、問うてみた事の回答は…最初から求めていなかった…ようで。
守が考えあぐねて、言い惑う事さえ待ちもせず。
島は自分の考えて居るらしい事を、ただ言い連ねていく。
「あの場所から、ずっと通常航行で離れて行ったんだったら…どのくらいの間、あの跡を視認し続けられたのか分かりませんが。
スターシャさんにも、気持ちを整理する時間が有ったんじゃないか…と思うんです」
呟くようでも、その声は決して大きくなくても、言葉そのものは流暢に。
「あの場所に艦を戻して、それで精神が安定すると言うのなら…戻ります」
この艦内の「最高責任者」が、自分の弟なのだと守も分かっている。
ワープの実施を進言したのが、例え島だったとしても。
それを「承認、決定」したのは、古代であって島じゃない。
「…違うだろう?」
そういう意味で、もし…最終的な責任が問われるとしたら、それは島ではない。
「スターシャの精神状態が、仮に不安定だとして」
仮に…ではなく、実際に多少不安定で有るらしい事は気付いているが。
「その理由が、島の今言った通りだったとしても」
そこまでは分からないが、その可能性は低くはないだろう…とは、守も思う。
「…お前の責任じゃないだろう?島?」
「本当に、そう…思ってます?」
言われて、守を振り仰ぎはした島だが。
「…誰の事でも無い、スターシャさんの事…ですよ?」
指揮系統から、責任が誰に終着するのかきちんと判断した上での、守の言葉にも。
素直に宥められてしまわず、叱られるのを待つ子供のような…顔をしてみせていて。
「還りたいんですよ、俺は。
艦が壊れようが、誰が体調を壊そうが、1分1秒でも早く…今すぐにでも、俺は戻りたいんです」
また、脈絡を失って話が飛ぶ。
「還りたい…ですよね、スターシャさんも…あの場所に、イスカンダルに。
その場に艦を戻してあげたい…とも思ってるんです、本当に」
困ったような顔をして、守を見上げながら。
「…どっちを選べば良いんですか?俺は?」
まだ幼い弟が、鬱陶しいほどに足下にまとわり着いていたような、10年以上も前の記憶が戻って来る。
良い事も悪い事も1人では判断を付けかねて、年齢差の分だけ積み重ねられた経験を頼ってきた…そんな記憶が。
「お前の…還りたいって気持ちを選んで…良いんじゃないのか?」
「お兄さんなら、スターシャさんを選びますか?
俺は…」
言い惑った様子に、言葉も途切れて。
「…を、選んでも…良いんですか?」
何を…誰を…とは、守の耳にまで届かなかった。
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Last Update : 20040319
Tatsuki Mima