不安なんて…いつでも、どんな時でも。
こうやって、確かに…腕の中に在ると、その温かさを感じていてまでも。
夕方の茜色も、そのうちに泥(なず)んで夜になるように。
砂の城が、そのうち波に崩れ去ってしまうように。
何もかも…君さえも、いつかは消えてしまうものかも…と思うから。
自分の鼓動に、君の拍動が聞こえない。
自分の体温に、君の温度が紛れてしまう。
だから…また少し、この腕の力を強めて。
また…ほんの少しだけ、きつく。
…傍に居たいから、傍に…居て欲しいから。
不安なら…いつも、どんな時も。
こんなに…この背にその体温を感じるほど、傍に居てさえ。
争いに平和を祈って、もたらしたものが破壊でしかなかったように。
侵攻に安穏を願って、聞いたものが多数の断末摩でしかなかったように。
全ては…貴方さえも、いつかは失うのではないか…と思ってしまうから。
背の温かさに、この胸は冷えていく。
耳元の静かな呼吸の音に、この息が…詰まりそうで。
だから…ほんの目の前に交差する腕を、振り解(ほど)いてしまいたい。
でも…その腕を、とても強く…抱え込んでいる私も居て。
◇
◇
◇
◇
窓の外は、宵。
街の灯りに照らされて、濁(だく)しながら明るい紺色の空。
食事なら疾(と)うに、しかしまだ寝(やす)むには早い時刻。
まだ慣れてなく、ぎこちない手付きで、彼女はお茶を用意して。
「…飲みますか?」
決して、要不要を本気で訊ねている訳ではない言葉。
「貰うよ」
答えても、応えなくとも、彼女は運んでくるから。
運んできた後で、彼女も座る。
自分の…隣に。
そして今日も、いつもと同じように。
いつもと違うのは、自分との間隙が…ほんの少しだけ小さい事。
いつもより、ほんの少しだけ…近くに。
隣に座るから、眺められるのはその横顔。
カップを手にしている所為か、少しばかり俯いた横顔。
わずかに伏せた目が、睫毛の影を濃く落とさせて。
2日後には…この部屋に居ないから、地上にさえ…居ないから。
また、半月以上の「独り」。
この距離も、その横顔も…恐らくはそんな理由。
君が…独りを厭(いと)うなら、自分だって…それ以上に「独りにしてしまう事」を厭うていて。
このまま、この部屋に残れたら…と思う。
いっそ、一緒に行けるなら…とも願う。
だけど…それはどちらも、きっと…本当には君は望んでは居ないから。
孤独の長短に、それの強さは関係無いけれども。
でも…どんなに永く感じても、それは永遠とは続かないから。
それだけが、こちらの言い訳。
それだけが、君の…逃げる先。
…だから。
「すぐに…還るから」
だから、待っていてくれ…とも言えないくせに。
でも、待っていて欲しい…とは、確かに思っていて。
「はい…行ってらっしゃい、気を付けて…」
だから君は、待っている…とは返してくれないけれども。
それでも、君は…確かにここで、待っていてくれるから。
◇
◇
◇
◇
不安なら…いつでも、どんな時でも。
離れている今なら、それよりもまだ…尚更。
この地球(ほし)に居ながら、あの惑星(ほし)に居るような錯覚。
誰も居ない中に、1人で。
誰も訪れない場所に、独りで。
あの頃と違うのは、戻ってくるはずの人を待っているという事。
待ち暮らす時間にも、日限のある事。
来るはずが無いと分かっている誰かを、無為に待ち続けた頃に較べたなら。
今感じている、独りの寂しささえ…優しいくらいに。
寂しさは、寂しさ。
──今、何処に居ますか?
こことは、どれだけ離れているんですか?
──元気…なんですか?
無理をしていないですか?
再びの逢える日を思えば、それも我慢出来てしまう事。
でも、不安は…不安。
──何事も無いですか?
貴方は、無事で居るんですか?
──戻って…来ますか?
また…逢えるんですか?
感情の外に有るものだから、自分の意識だけでは…耐え切れなくて。
「すぐに…戻って来るから」
出る貴方の、決まった言葉。
「今すぐ」など、嘘でしかないと承知しているけれども。
それでも、これまでは。
その言葉の通り、ここに戻って来てくれたから。
…信じている。
重ねられた言葉と結果に、もう…それは「約束」だから。
約束は…破らない人だと、そう思っているから。
…約束が守れなかったのは、この…私。
「一緒に行きます」
そう言いながら、この身を翻(ひるがえ)し。
「待っています」
そう…も言いながら、その地を破壊して。
自分の言葉を、自分から捨てた私が。
いつまでも、何にも…誰にも、裏切られずに終わるなんて…きっと、在り得ない。
死は、いつでも不意に。
そして…いつかは必ず、誰にも等しく訪れるものだから。
それを…目前に、幾度も見てしまったから。
貴方さえも…この目の前に失いかけた記憶が、今も…どうしても払い落とせないから。
死(それ)も「約束」、人間(ひと)を超えた真理。
人間では…覆(くつがえ)しようのないもの。
だから…貴方の約束さえ、きっといつかは破られてしまうと知っているから。
だから…それが「今」でないなんて、人間には約束出来ない事だから。
それだからこそ…それが「不安」。
傍に居て欲しい、貴方を…護りたい。
だから、貴方の傍に居たい。
この身の傍に居てくれるなら、きっと…護る事も適うと思うから。
こんな気持ちを強く抱けば抱くほど…それが適わなかったら、と。
それ以上の不安に、押し潰されそうにもなってしまって。
離れて居たくないと、強く思いながら。
行かないで欲しい…とも、口に出来ないで。
「…行ってらっしゃい、気を付けて…」
せいぜいに、物分かりの良い振りをして、微笑って…みせて。
早く戻って来て欲しい…とは、寂しさの思わせる事。
無事に還って来て欲しい…とは、不安の考えさせる事。
いっそ…時を戻して、貴方と出逢う事なく済んだなら。
この寂しさも、それよりもまだ強くて持て余す不安も、全て…無かったものを。
◇
◇
◇
◇
指折り数えて、待ち草臥(くたび)れるほどに。
その分だけの時間を、もうこれ以上待たなくて良いのなら。
この惑星の裏側にまでも、出迎えに行きたいほどに。
でも…それは、逢いたい人が好まないから。
そして…私自身にも、好ましいとは思えない事だから。
待ち遠しさと怖さと、抱えあぐねた不安と、軽い苛立ちの隙間で…このままで。
窓の外を、ただ一生懸命に見下ろして。
貴方は、あの道を、ここに戻って来るから。
その姿だけでも、ほんの少しでも早く…見ていたいから。
これだけの距離にも、見紛(みまが)う事の無い人。
その姿を認めて、そのまま…困惑してしまう。
後…数分の時間を、どうしよう…と途惑って。
見る限り、怪我などしている様子は無く、それには安堵を。
こちらに向かって来ている、それは…とても嬉しい。
待った時間は永くて…辛かったから、それの失くなる事にはその場に座り込んでしまえそうなくらいに、緊張が…解けていく。
…怖いから。
何が?…他の何でもなく、自分自身が。
貴方の航海の決まるたびに。
またしばらくの独りを思って、行かないで欲しい…との言葉を必死に呑み込んでいる自分だから。
戻って来た貴方に、独りの寂しさや…恨みをいつか、ぶつけてしまいそうな気が…するから。
落ち着いて?
ほら…詰めた呼吸(いき)を吐いて?
自分だけの、わがままな感情なんて…捨てて?
後、ほんの少しであの人が戻って来るから。
「…お帰りなさい」
今までなんて、何も無かったような顔をして。
ドアの開く音に、やっと貴方に気付いたような振りまでもして。
「…ただいま」
ほんの少しだけ、困ったような…そんな顔。
そして、当たり前に…少しだけ疲れた顔。
…目覚めた時には、いつでも軽い混乱を。
ほんの一瞬間、自分が何処に居たのか…を見失う。
何よりも…憶えていそうな、戻って来たという事さえ。
時計を確認してみれば、わずかに2時間足らず。
本当に…まどろんだ程度、夢さえ見ないで。
時刻にそぐわない、起床の挨拶。
物心付いてからずっと…の、条件反射とも言えるほどに癖付けられた、易しい言葉。
いつでも、話さないでいた時間の次の、一番最初に切り出す言葉に困るから。
だから…実は、とんでもなく有難い言葉たち。
「良く、眠れました?」
ほら…在り来たりな挨拶からこうやって、ありふれた会話が続いていくから。
「…仕事を済ませるから」
でも、まだ少しばかり途惑いながら。
「はい」
逢わないでいた、話さないでいた、たった半月程度に。
2人で居た時の自分を…うっかりと忘れてしまっている自分が居て。
「日常」をまだ思い出せなくて、君との応対に…少し途惑っていて。
航海記録(レコード)から、詳細報告を。
片付けなければならない仕事の間に、思い出してしまおう。
ゆっくりとした「2人の日常」を。
戻って来たから、ここに。
見ないままでも分かる、君がお茶の支度をしている気配。
きっとまた、少しだけ不器用に、少しだけ危なっかしい手付きで。
「飲みますか?」
もう既に、運んで来ようとしているのに、訊ねる言葉さえ変わらないまま。
…ほら。
作業に、ちょっと返事が遅れてまだ、何も答えられていないのに。
「ああ…有難う」
当たり前のように運んできて、そこに置いて。
それから君も、いつものように…そこに座って。
…そうだね。
こんな…日常だったね。
◇
◇
◇
◇
ソファに対の、低いテーブル。
デスクワークには向いていない、ひどく俯き続けた姿勢に。
目と背中が、いい加減に悲鳴を上げそうで。
こんな作業の為に、空いた部屋に机も据えてあるけれども。
今まで、殆ど使った事なんて…無くて。
使おうとすれば…それは、同じ空間に居ながら壁に遮られてしまうから。
半身を起こして振り返れば、隣に君が居る。
これが…日常だったんだな、と。
今更ながらに、つくづくと。
言葉なんて無いけれども。
欲しいのは、言葉では無いから。
少しだけ近付いて、少しだけ引き寄せて。
たったそれだけで、こんなにも限りなく傍に居られる。
そんな…最初からの距離。
当たり前に君が居る、そんなのんびりとした日常風景がとても、愛しいから。
「…島さん?」
目を閉じて、途惑う君の声を聞く。
耳元にさらさらと、君の長い髪が流れて落ちる音も微かに聞こえて。
…在り得ない。
この頬に触れる、その髪の一本一本までにも、血が通っているんじゃないかと思えるくらいに、こんなにまで温かさを感じるなんて。
だから…多分、これは錯覚。
仕事に、君を置き去りにして「独り」にしてしまったなら。
それは自分も、1人ではないけれども「独り」だったという事。
腹立たしい距離と時間の長さに、傍に居たいと、逢いたいと…還りたいと思ってきた、その延長上。
まだ…暗紺の星空に、夢を見ているだけかも知れないから。
夢よりも、記憶よりも、現在(いま)の確証が欲しいから。
間違いなく傍に居るのだと、疑いなく腕の中に在るのだ…と。
ほら…不安が融けていく…。
全てではないけれども、逢えずに居た独りの時間に膨れ上がった分だけは…確かに。
触れる温かさに、とてもゆっくり…と融かされていく。
気温に溶けていく氷が、グラスの中で音を立てるように。
いつもより少しだけ…速く、心臓を拍(う)つ。
傍に居る。
そんな…約束。
少しばかりは、離れざるを得ないとしても…傍に居てくれる。
それが…約束。
同じ部屋に居なかった時間に、うかうかと見失いそうになっていた。
何処に出ても、何処へ行っても、2人ともに戻る所はここでしかない事を。
その為の、この空間。
だから…また少し、この腕の力を強めて。
だから…その腕を、またきつく…抱え込んで。
互いに触れて、互いの温度を感じて。
…もう少し。
優しい約束を、思い出してしまうまで。
…いま少し。
もう…二度と忘れないほどに、この胸に刻み付けてしまうまで。
あと少しだけ…このままで、抱いていて…。
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Last Update:20040603
Tatsuki Mima