Poco a poco:04

NovelTop | 第三艦橋Top

「…いいえ」
    弟の、物分かり良く諦めたような表情(かお)に。 島がそうじゃない…と答えるより、テレサの言ってしまうが早かった。
    いいえ…来て下さい、お願いします…と。 焦りを含んで、いつに無く強い語調で、その腕に縋(すが)るように。 それは…もう、懇願と言っても良いようなほどの。

    島と居る事は、そうと望んで自身で選んだ。 逆に、自分と居る事も、島自身の意思で選んでくれた…のだと信じている。
    けれども、それは…島がその家族を納得させた上での事では無かった。
    官舎(ここ)に居る事は、昨日のうちに次郎の口から知れたはず。 それなのに…私は責められるでも無く、独り放り出されるでも無く。 認められるでも無く、迎えられるでも無く…この存在は宙に浮いたまま。
    私という存在が、どう思われているのか…分からない。 それが、怖い。
    このまま次郎を帰してしまって、二度と来ない…としたら。 島は、本当に…自分だけを選んでしまった事になってしまう。 この先、何が有ったとしても「帰る事の出来る場所」を失くしてしまう。
    温室の如き惑星(ほし)、永きの繁栄の都市(まち)。 けれども、私の為に突き落とされた阿鼻叫喚。
    …また、私の所為で。

「…僕は良いけど…嬉しいけど、お姉ちゃん…ホントは嫌じゃないの?」
    困ったように問い返す次郎の声に、ようやく島も気が付いた。
    島の位置からは最前から、次郎に相対しているテレサの表情は全く読めない事になっていたのだが。 次郎に返した言葉の途中から…泣いていた事に、ようやく。

        ◇     ◇     ◇     ◇

「テレサ…」
    正確なところは分からなくとも、おおよそなら「何を、どう考えていたのか」想像が付く。
    彼女は…全く、自信というものを持ち合わせていない。 全ては、どれだけの過去の為に。 自身の「生存」でさえ、きっと疑っているから。
「…大丈夫だから」
    きっと…最初と最後に考えてしまうのは「自分さえ存在(い)なければ」。
「君の所為じゃないから」
    だけど、違う。 君と、君と居る現在(いま)を選んだのは、自分だ。
    腕を取る事で振り向かせて、隣に座らせて…指先に拭ってやって、その頭を軽く抱くように。 宥める為にその髪をゆっくりと撫でてしまいながら、次郎もテレサも同じような扱いをしているな…と、この際要らぬ事を思ってもみて。
「…違います、嫌じゃないんです…違います…」
    けれども、同じ言葉を繰り返し繰り返し、まだ。 恐らくは何処よりも一番、安心出来る腕の中に居ながらも泣きじゃくって。

「僕…来て良いんだよね?」
    次郎が、はっきりと島に問う。 兄が泣いてしまった女性に押し切られて…では無く本当に、自分のまたの来訪を歓迎しているのかどうかを確かめる為に。
「勿論だ」
「また、来るよ?」
「ああ」
    捨てたつもりでも、全く未練が無い訳でもない。 来るなら、その話の何処かであちらの様子だって知れる。 こちらの様子も、向こうに知れる事も有るだろう。
    その意味では、島にとってもむしろ望ましい事。 そして…何よりテレサが、どういう思惑で有っても望んでいる事だから。
「ただ…約束してくれ」
    学校が引けてから…だと、帰り着くのが遅くなり過ぎる。 真っ直ぐここに来て、少しばかり話しただけの現在(いま)でさえ、既に暮れ掛けて。 今すぐここを出たとしても、辿り着く前に…陽は落ちる。
    司令本部に相原を訪ねて…からなら、昨日も既に日暮れてからの帰宅になったはず。
    …自分が不意に消えた事が、どれだけ要らぬ心配をさせていたのか、最初の日の…しつこいほど繰り返してきた電話の数に知っている。
「だから、来るなら休日にする事」
この上、自分に関わって次郎まで…なら申し訳無さ過ぎるから。
「うん…分かった」
「来ても、俺は仕事で必ず居るとは限らない」
「それは分かってるよ」
    昨日だってそうだったし…と、言葉が続いた。

    袖を軽く引かれて、顔を上げる。 いつの間にか、次郎がすぐ傍まで来ていた事にも全く気付かなかった。
    ソファに腰を下ろしているのと、その傍に立っているのと。 それでもまだ、同じ位置に見るにはわずかに足りない幼さに。
「また、来るから。 今日は帰るけど」
「あの…」
    テレサの何か言おうとするのを、次郎は許さなかった。
「また来るから」
続きを聞こうとしないで、笑ってそう言って。 じゃあね…と、これは兄に向かって。
「今日は、帰るね」
    そんな言葉の途中で、もう既に背中を見せていた。
「良いよ、分かるから」
駅まで送る…と言った島に、昨日相原に答えたと同じ言葉を繰り返して。

    2人きりで残される、1人居なくなっただけでこんなにも静かになってしまう。
    陽は、建物たちの向こうに隠れたんだろう。 空に明るさは残っているものの、部屋の中は既に薄暗がりにものの輪郭が沈み始めていた。
「…大丈夫だよ」
    次郎の帰るを見送ったまま、廊下に繋がるドアを見ていたまま…だった事に、その声で気付いた。
「次郎が来ると言ったんだから、本当に来るよ」
髪を撫でていく手にも、改めて…ようやく。
「私…は、待っていて良いんですか…?」
    いつかのように。 こちらからは何もしようとしないで、ただ…誰かの来るのを待っていても。
「良いんだよ、それで」
あの頃とは違って、誰かの帰ってくる事を待っていても。
「誰が来なくても、俺は…必ず戻ってくるから」

        ◇     ◇     ◇     ◇

    本日も、子供は元気である。
「来たよっ」
そうして、約束を間違い無く繰り返してやって来てくれる。
「あの…島さんは、今朝戻ってきましたから…」
「あ、寝てるの?」
    泣きそうに思った事も、泣いてしまった事も、全て忘れたように。 最初に、病室に出会った時と同じ笑顔と明るさで。
    それがどれだけ、安心させてくれるのか…なんて気付いてもいないだろうなのに。
「も〜、教えてもらおうと思ったのに」
    教科書を持っての不満気な様子に、思わず苦笑もこぼれる。
「まあ…良っか。 起きるまで待ってよっと」
つい…の苦笑も、いつか本当に笑えるようになるんだろうか。 こんな日を積み重ねていく、いつか何処かで。

    少しずつ。 ほんの少しずつ。
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Last Update:20070508
Tatsuki Mima