霧の中の蛍光:03

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    それまでの事情と経緯は、どうあれ。
    夫婦として過ごして…少なくとも、周囲からはそう思われるような関係で居て。 その…妊娠を、全く考えていなかったとしたら…嘘だ。
    それが、例え…種族としては異なる、他の惑星(ほし)に生まれた女性(ひと)であったとしても。
    ほぼ同じ条件の2人の間に生まれて育った1人を、身近に良く見知っているのだから…尚更に。

    ひどくゆっくりでも、2人…隣に並ぶように歩んでいく未来を、夢に見た事はあった。 それは現在(いま)、ささやかながらもここに在る。
    …それでも。
    「子供」の存在する未来なんて…本当に、露ほども考えた事は無かったから。

        ◇     ◇     ◇     ◇

「…いけませんか?」
    言葉は極めて穏やかだったが、はっきりと…眉を顰(ひそ)めて。
「行かないと…駄目なんですか?」
そう言って見上げてくる瞳(め)は、困惑も湛(たた)えていた。
「いや…」
    そうと問われて、島の方こそが途惑う。
    確かに…妊娠という事象そのものは、決して病気ではない。 だから、その意味だけならば強く「病院に行け」とは言ってしまえない。
    だが人間は、大型家畜以上に自力出産には向いていない生物だ。 誰かの手を借りないままでは、母体か胎児か…に、死を間近に呼び招きかねない。
    その誰か…が、医師ならば。 だが、しかし…。
「病院は…嫌いなんです」
    答えに惑う島の眼から…逃げるように、テレサは眼を伏せた。

    医者として妊娠との診断は付けられても、佐渡は産科が専門ではない。 そういう診断を下した以上、知識や技術の問題では無く経験の差から、専門医に紹介する。
    それは、至って当たり前の事でしかない。 そして…殆どの女性は、紹介された医師に掛かる事を躊躇(ためら)わない。 医師という「職業」に、信頼を置いているからだ。
    その身体と…生命の事を考えてくれるなら、是非にも医師の言葉に従って欲しい。
「いや…だから、分かってるけど…」
場合によっては、それが入院というような事態となっても。
    しかし…彼女には、病院という場所に対して良い思い出が無い。 医師…ではなく、その見た目を模した人間にとても嫌な記憶を持っている。 その事から医師や病院を嫌っている事も、分かり過ぎるほど良く分かっているから。
    …だから。
    ついさっき、嫌いだ…と言って俯いてしまってからは、全く押し黙ってしまって。 その声も聞こえない、こちらからではその表情も読めない。

    そんな彼女に俺は…何と言って、諭せば良い?

    わがままだとは知っている、困らせてしまっている事は良く分かっている。
「…済みません」
だから…一度、外した視線が合わせられない。 俯いたままで。
    決して、医師という職業の人間が嫌いな訳じゃない。 医師の…それらしい外見に、嫌な記憶を呼び起こされてしまうだけ。 だって…これまでに出逢った医師(ひと)たちは、優しく親身であったから。
    でも…病院は嫌い、あの場所は…嫌い。
「ごめんなさい…」
    今、この瞬間にも、胸の底の方に小さな不快感が有って。 それが、この身の変化の証拠。 これが、現在(いま)の居た堪(たま)れ無さの全ての原因。
    …今まで見上げてしまっていた人の、困ったような瞳(め)に。

    どうしよう…? 私はどう言って、この気持ちを説明すれば良い?

        ◇     ◇     ◇     ◇

    名を呼ばれた声に、それが南部だと分かってしまうから。
「も〜っ、またここまで入って来る〜っ」
そんな文句も、振り向いたりしないで背中から。
「入っちゃった後から、文句言わないで下さいな」
「今度は、どうやって入って来たんだよ?」
    相原の居る辺りは、それなりにセキュリティの厳しい区域である。 相原が言っているのはその事だったが、そうでなくとも仕事中を邪魔されるのは嬉しくない。
「それ…強盗に向かって、鍵を抉(こ)じ開けて入って来たのかガラス割ったのか…って訊ねるのと同じくらい、無駄な質問だと思いますが?」
    …ああ言えば、こう返してくれる南部である。
    仕事に区切りの来たところで、やっと相原は振り返った。 案の定、南部は…ほんの少しの間の無言に退屈そうな表情(かお)をして、そこに立っていた。
「…で、何?」
    座ったまま、椅子を廻して振り仰いで。 南部との会話をさっさと終わらせて仕事に戻りたい、その気持ちがそのまま態度に出ている相原である。
「何か有りました?島さんに」
    そんな様子に急(せ)かされたように、南部は訊きたい事を何の前置きも無く。

    何か有ったか…も、何も。
    サーシャから聴かされて、守から思いっきり口止めを喰らったのが、たった…昨日。 幾ら何でも、それを忘れるには早過ぎる。
「…いきなり、何?」
    正直、はっきり慌てた。 そんな咄嗟の感情を、全く表情(かお)に出さないでいられるほど、相原も図々しい神経はしていない。 だが…その意味を、咄嗟に違う意味のように装う事が出来る程度には、素直で可愛らしい性格でも無い。
「いや…今そこで、島さんに逢ったんですけどね」
    騙されたのか、騙せてないのか。 良く分からないが南部は、特に…訝(いぶか)しさを面(おもて)に出さないままで話を引き取る。
「そこ…って、航行管理部?」
    司令本部(ここ)での、本来の南部の行動範囲と。 その南部が自分の肩越しに指し示す方向から、それと見当を付けて問い返す。
    いや…逆に島だって、司令本部(ここ)に出入りする殆どは航行管理部だ。 南部と島が顔を合わせるとすれば、十中八九その辺りに限られるはずだ。
「そりゃ…逢いもするでしょ? 島さんなら、次の航海前の…」
    書類の提出だったんじゃないの…と続けようとして、ふと気付く。
「…あれ?早くない?」
言いながら、島の帰還した日から今日までを指折り数え直して、やっぱり…と思う。
「違いますよ」
    但し、言葉ではっきりと否定したのは南部の方だった。
「島さん、休暇願い提出(だ)しに来たんですよ」
「…はい?」

    休暇願いは、普通は総務へ…だが、乗艦勤務者の場合には航行管理部への提出になる。 艦艇の航行スケジュールが先に有るので、航行管理部の裁可が下りてから総務の方に廻る訳だ。
    だから南部が、その理由で司令本部に来た島と顔を合わせる事は、不思議でも何でも無い。
「だって…島さんが休暇願うって事は、一航海捨てるって事じゃないですか」
    地上から大気圏外へ抜けて、また地上に戻って来るのが「航海」である。 朝出て、夜に戻れる…なんてものではない。 太陽系から出る事の無いパトロール艇の南部でも、10日から半月。 輸送艦の島ならどんなに短くても2週間、長ければ1ヶ月なんて軽く越える。
「相原君が『一番永く』仕事から離れていたのって、いつでした?」
「いつ…って」
    訊かなくとも、答えなくとも両方がお互いに分かっている。 「入院」していた時だ、それ以外に無い。 もっとも、それは相原だけじゃなくて南部も…島もその通りだが。
    恐らくは、その所為なんだろう。 長期の休暇…即、体調が悪い…と考えてしまう部分があって。
「だから、何か有ったかな…と。 それなら、何か聞いてるんじゃないか…と思ったんですよ」
それで、この問いが出て来る訳だ。
「いや、えーと…特に体調悪くは無いと思うんだけど。…島さんは」
    むしろ…体調が良くないとしたら、テレサさんの方だよなあ…と思いつつ。 だから、別に…嘘は言っていない。 それを南部への言い訳にして、逆らうと「実害」の大きそうな守の言う事に従っておく相原だ。
「そうですか? ま…それなら良いんですけどね」

    あっさりと答える南部の顔を、騙し切れてないんじゃないかなあ…と相原は見上げていた。

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Last Update:20051007
Tatsuki Mima