おまけ:01

NovelTop | 第三艦橋Top

「遅いっ」
    玄関を開いた瞬間に、その言葉だった。
「…って、お兄さん? どうしたんです?一体…」
ドアを開けた、その格好のままで問い返す。
    忙(せわ)しなくけたたましいドアチャイムに驚かされて、相当に慌てて出て来てこの言い草だ。 実を言えば、島は多分に呆れながらそう口にしていた。
「用が有るから来た…に、決まってるだろうが」
    戸口に邪魔している状態の島を脇に押し退(の)けておいて、守は断りもせずに入り込む。
「え…あのっ」
そして、案内も請わずにとっとと上がり込む。 まだ開いたままのドアに、その後を追い掛けるのが少しばかり遅れてしまった。

    筒抜けに聞こえてくる玄関でのやり取りに、テレサは既に腰を浮かし掛けていた。
「自分の名前、書けるよな?」
「…え?」
    座ってろ…という手振りと同時の、そんないきなりの言葉に。 自分を支えるつもりでテーブルの上に両手を突いたまま、立つも座るも一瞬…忘れてしまった。
    改めての手振りに促されて、大人しくまた座ってしまいながら。
「あの…はい、名前くらいなら…」
まだ、そこに立ったままでいる守をひどく見上げて。 途惑いながらも、テレサはそう答えた。
    玄関の声がリビングまで聞こえるなら、その逆もその通りだ。
「…何なんです?」
ドアそのものは、放っておいても勝手に閉まってくれるのだが。 閉じたその後ロックする時間の分だけ、どうしても島は遅れて戻ってきた。
「取り敢えず、お前には用事は無いから」
    当然のように、島は守に訊いてはみたが。 案の定…と言えば良いのか、あっさりと一刀両断、手の甲に追い払われてしまった。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    その習い始めが数年前なのだから、当然と言えばそれも当然だが。 テレサの読み書きは、就学前後の児童と似たようなレベルに留(とど)まっている。
    画数の少ないアルファベットと片仮名は、ほぼ問題無い。 しかし…平仮名になると、既に少し怪しい。 漢字になると、もう…少しばかりは読めても書けるものは殆ど無い。
    それも、決して上手い…と言えるような文字は書けない。
    1人で居るのならそれでは困る事も、大いに有るだろうが。 幸い、その点だけは心配しなくて良かったから、つい…そのままに。
    ソファに窮屈に屈み込むのは少し辛いから、その前の低いテーブルとの隙間にぺったり…と座り込んで。
「次、これな?」
ひとつずつ出される紙の上、守にここ…と指し示される箇所をテレサは時間を掛けて埋めていく。
    その見た目が、何だか…家庭教師とその生徒みたいだな…と、うっかり思ってしまった島だった。 時代と年齢差を考えれば無かったような気もするが、兄弟でもああいう光景が有ったかな…なんて事も。
「何なんですか、本当に…」
    客には茶くらい出せよ…という守の「命令」に、大人しく従って供しながら。 しつこいように自分でも思うが、また繰り返して訊く島だ。
    ここまでを一緒に居て、テレサが…もしくはその代わりに島が、何かに記名しなければならないような事態には、あまり出合わないできたから。
「そのうち分かるから、気にするな」
    だが、カップを置いたらとっとと向こうに行けよ…とばかりに、また守の手のひらに追われてしまった。
「まあ…良いですけどね」
    内緒に運びたいのか、ただ面倒なだけなのか。 どちらなのか知らないが、守が説明を先送りしたがるのもいつもの事だ。 気にはなるが、溜息交じりに今日のところは諦める事にした。

    慣れないから書くのに時間が掛かっただけで、その数はそれほど多くは無かったらしい。 諦めた島が、ダイニングテーブルに暇を潰すのも、ほんの少しの間で終わって。
「…ほら、これ仕上げろ」
    何処に名を書けば良いのかさえ分からないようなテレサには、至ってご親切に付きっきりで教えた守だが、読めば分かる島には不親切な事この上無い。 突き付けたなり、後はそ知らぬ顔…である。
    途中にひとつ、テレサの記名の既に有る書類の表をざっと眺めて。
「え…? 更新有るんですか?」
「良いから、さっさと仕上げろよ」
島のどんな質問にも、今日のところは答える気なんかさらさら無いらしい。
    見て、即座に分かったのも当然。 身元保証の書類なら、数年前にも見ている。 ただ…その時には、已む無く全ての記入を島が済ませたが。
    書け…と急かされても、ダイニングテーブルに筆記具の備え付けは無い。 立ち上がって、やっと書き終えたまま…だったテレサの手から、ペンを受け取って。 その場、その横で仕上げてしまう。
    書き上げた…と告げようかと、顔を上げるよりも先に。 それと気付いた守の方が、さっさと引っ手繰(たく)って取り上げた。
「じゃあな」
そんな言葉を聞いた時には既に、島からは背中しか見えなくなっていた。
    ついさっき、普段のままに玄関に鍵を掛けてきた。 だから、慌てて後を追う。 勝手に開けて出て行くような人なら、後からゆっくり鍵を掛け直して事足るのだが。
    そして、ほんの少し間に合わなかった島は案の定、さっさと開けろ…と命令されていた。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    口の中で小さく、ぶつぶつ…と呟きながら。 守の消えた玄関の方を振り返りながら、島はリビングに戻って来た。 テレサはまだ、ソファとの隙間に座り込んだままだった。
「何だったんですか?」
    これを言ったのが他の人間だったら、書いてて訊くな…と答えるところだが。 テレサでは書面を見ても、そこに何が書いてあるかを読めないのだから、それも仕方無い。
「いや…」
    自分の見て書き込んだ1枚だけは、どういう書類なのか分かっているのだが。 それ以外の、テレサが見たはずのものがどういう書類なのか…までは分からないから、どう答えれば良いものか。
    低いテーブルを膝に少し押しずらすように、立ち上がるのに手を貸しながら。
「言ってた通り、そのうちには分かるんじゃないかな」
…と、それだけを答えておいた。

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Last Update:20051014
Tatsuki Mima