大嫌い:01

NovelTop | 第三艦橋Top

    何となく…気に喰わない、虫が好かない。
「ああ…そう? ご勝手にどーぞ?」
    …それをまともに、本人に言ってしまう俺も可愛くないな…と思うけど。 言われて…驚きも怒りも困惑も見せないで、そうあっさりと返してくる向こうは、もっとずっといい性格してるよな…と。
    だから…俺は、こいつが嫌いだ。

「元が砲術なら、砲術の教官してれば良いんだよ」
    俺の言う事は、多分間違ってない。 数学で教職取った奴が、国語を教えるか? 教えないだろう?
「…って、別に…飛行科の教官でも無いだろ? シム棟の教官なんだから…飛行(フライト)シムも、それ以外も見てるってだけで」
「元が砲術…って事には、変わりないだろうがっ」
「専門は砲術ですけど、小型機の資格も持ってますよ。一応」
    いきなりの真後ろからの声に、俺も…友人も正直、心臓引っ繰り返るか…と思った。 慌てて振り返ったら、いつものように無駄なくらいにこやかな表情(かお)をして、そこに居て。
「その意味では、まだ資格を取得(と)ってない君たちよりはマシって事ですねえ」
そう言いながら、けらけらと笑う。
    …ここは「廊下」だぞ? なのに…何で、足音させないで歩いて来るんだよっ?
「…でも。 その資格も喪失(なく)し掛けたんで、現在(いま)訓練学校(ここ)に居るんですよねえ? 教官?」
    今一番、本当に訊きたい「足音の事」は放っといて、精一杯…嫌がらせのつもりで笑い顔を作りながら、努めて明るく言い返してみても。
「取得(も)ってるから、喪失(なく)そうと思えば出来るんですよ」
逆に、あっさりと笑いながら返されて。
「今まで、殆ど役に立ってませんからね」
    その資格を取得(と)る為に現在(いま)、必死になっている飛行科の学生に向かって「役に立ってない」とは、言いも言ったり…喧嘩を吹っ掛けてるようなものだ。

    だから、やっぱり…俺は、こいつが嫌いだ。

        ◇     ◇     ◇     ◇

「何だ…案の定、あっさり嫌われてんの?」
    少しばかりの当り障りの無い会話の後で、さら…っと相原が言った。
「君もねえ…少しは、言葉を選びなさいよ?」
「選んでも仕方無いでしょ? 本当の事だし」

    小型機の操縦資格も、規定の操縦時間をこなさないと喪失してしまう。 それを仕事としていれば、普段の訓練からその時間に加算されていくから、喪失(な)くしてしまう事なんて無い。
    問題は、それ以外を仕事としている場合だ。 それだけの時間を何処かで機を借りて乗機(の)らないと、その資格を失ってしまう。
    南部の場合、それを今年は確信犯的に放ったらかしていた訳だ。
    おかげで、つい先日から3ヶ月間、訓練学校(こんなところ)で地上勤務…である。
「折角持ってるんだから、そのまま持ってれば良いじゃない」
「パトロール艇艇長やってると、ねえ。 小・中型艇の操艇資格ほどには役に立たないんですよ、お分かり?」
    そんな事…今更わざわざ言葉にされなくとも、相原にだって充分分かる。
「良いですよね、相原君は。 時間規定の有る資格、持ってないんですから」
「…悪かったねっ」
    相原が、何も資格を有していない…という訳では無く。 操縦だの運転だの…といった類の資格は、普通四輪しか持ってない…という事だ。 そうではない通信だの情報処理関係の資格なら、これでもか…と言わんばかりに取得している。
「僕は元々、地上勤務志望だったから、車だけ動かせれば問題無いもん」
「だったら、『宇宙』戦士訓練学校に入学(はい)るんじゃありませんよ」
「…ったい、痛いっ!」
    耳を引っ張られて、相原が騒ぐ。
    …端から見てれば、この2人。 何を仲良くじゃれてるんだ…である。

    南部にしても、それ以外の誰にしても。 あの頃の小型機や艦艇の資格なんて、実機に全く…または殆ど触れる機会の無いまま、シミュレーターだけで取得したしたものだ。
    そういう時代(とき)だったと言えばそれまでだが、実機を当たり前のように訓練の為に学生に与えられる現在(いま)なら…絶対に在り得ない。
    …それでも資格は資格、有資格者は有資格者。 人材の未だ充実してるとは言えない中では、そんなものでさえ惜しい。
    実機を配備してあるだけなら、訓練学校以外にも有人機基地がある。 だが有人機基地では、砲術が専門の南部を配置させる職が無い。 だからその場所が、訓練学校になってしまった訳だ。
    いや…実際の所、無くは無い。 基地にだって管制塔くらい、当たり前に在る。 レーダー読んで、管制するくらいの事なら…恐らくさほど苦労無くこなしてしまうだろうが。
「どうして俺に、教官なんかやらせますかねえ?」
    自分の下位(した)に配置された新人を教育する事と、訓練学校(ここ)で教官という立場で学生を教える事とは違う。 基本は一通り…一定のレベルにまで達しているはずの新人と、それさえもまだ途上でしかない学生との差だ。
「こんなに…口も悪くて、不親切なのに」
「南部…普通、自分でそれは言い切らないと思うんだけど…」
「だって、間違ってないでしょ?」
「だから…そういう事を、胸張って言わないのっ」
    相原に言われてしまっても、けらけらとして南部は笑って流して。
「でも、まあ…冗談抜きで。 俺も自分で、他人様にそうそう好かれる人間だとは思ってませんもん」
それを言い切る人間も、かなり珍しいかも知れない。

「分かってるんなら、猫の1匹2匹被っとけば良いのに…。 嫌われて、嬉しくなんか無いでしょ?」
    そう言う相原も最初は南部を苦手…そうだな、と思ったし。 現在(いま)だって逢って話して、呆れたり溜息を吐いたり、疲れたり。 決して、お気楽な…だけで逢える相手じゃない。
「嫌われたら、それもその時でしょ。 猫被って好かれても、そのうち本性出ますしねえ。きっと」
    …それは、確かに。
「後から嫌われるくらいなら、最初っから嫌われてて結構ですよ。 俺」
    本性のまんまでも…こうやって、友人してくれてる物好きな人もたまには居るみたいだし…と。 南部は、並んで歩く隣を見ながら。

        ◇     ◇     ◇     ◇

「…お前、ある意味…正直過ぎだって」
    呆れ果てた溜息が、いっそ苦笑に変わる。 友人に言われてしまって俺は、むしろ笑えない。
「放っとけよ」
不機嫌を思いっきり面(おもて)に出して、先に立ってさっさと歩いて行く。
    早足になった俺を、ぱたぱた…と軽い足音を立てて小走りで追い駆けて来る。
「そりゃ…まあ、俺も結構苦手だけどさ。 南部教官って」
だけど、俺のようには本人に対してそうもはっきりと態度に出さないぞ…と。
「苦手じゃなくて、はっきり嫌いなんだよ」
    並んだ友人をまた置いてけぼりにするかのように、俺の足は止まらないままで。
「何が、そんなに嫌いなんだよ?」
「…知らねえよ。 とにかく嫌なんだよ、腹立つし」
    そう言う俺は、確かに…正直だ。

    各科それぞれ、数人以上の教官が配されている。 基礎過程での座学も実技も、基本的にはその中で全て賄(まかな)う。
「資格なら、俺たちだって近いうちに取得(も)つだろ。 現在(いま)持ってる…くらいの事で、あれこれ言われたかないっ」
「…あれこれ言うのが、教官の仕事じゃん。 俺たちってまだ、学生なんだし」
    基本的には…と断ったのは、シミュレーター訓練の場合には各科教官が必ず見る…とは限らないからだ。
「ものすごく上手いんなら…俺だって、まあ…大人しく習うさ。 多分…な」
    実機の操作を知って、憶えて、慣れる為にシミュレーターが在る。 だから、実機を扱えるならシミュレーターが扱えないはずが無い。
「だけど、放課後に乗機(の)ってるの見ても『普通』だろ? 特に上手いなんて、絶対思えないし」
    だが、教育せねばならないのは専科生だけではない。 基礎過程まで含めた4学年の全てを見るのだ、時間割(シラバス)の組みよう次第では教官が足りない。
「別に…実機訓練受ける訳じゃないだろ、シム棟の教官なんだから。 実機なんかどうでも、シムの扱いだけ上手けりゃ充分って事だよな」
    実機を扱わない…つまり、訓練中に何らかのミスが有っても誰も死なない、金銭的にすら何の被害も出ない…シミュレーター訓練ならば、どれかに専門的に深く通じている必要も無い。
「違うか?」
    シミュレーターの設定だの整備だの、果ては軽修理に至るまで。 むしろ、広範囲に渡る知識と技術と能力のある事の方が望ましい。

    最後まで早足のまま、辿り着いたのは図書室で。
「飛行科(うち)の教官にも、砲術(むこう)の教官にも聞いたけどさ」
    基礎過程でなら、科を問わず一通り習う。 専科に進んでからでも、基礎的な事を全くやらなくなる訳ではない。 卒業までには全員…または殆どの教官と、一度や二度は顔を合わせる事になる。
    どう見ても、南部教官はひどく年齢(とし)が離れているとは思えない。 良く離れていても、10年…って所なんだろう。 それくらいの時間なら、まだ学生だった頃の南部教官を教えた事のある教官だって、今でも何人も居て当たり前だ。
「南部教官って、シムなら何でもすごい成績(スコア)だったらしいぞ?」
    背の高い書架の前、欲しい題を目で追い探しながらそんな会話を。
「…実際目にした訳じゃないから、知らねえよ」
    何処までも可愛くないなあ…と、我ながら。 ついさっき、すごく上手けりゃ大人しく習う…と言ったのは、俺だったはずなのに。
「…お前、本っ当に嫌いなんだな」
    改めてまた、呆れたような溜息混じりの言葉。 見た事が無くそれが信じられなくとも、実際を見た者が居てそうと言っているのだから、疑う余地なんて無いはずだ。
「実際に見る事が有っても、まだ何だかんだ文句付けてそうだよな」
もう一度の溜息に、何だか…ほんの少し居心地が悪い。
「そこまで…俺も言わないよ」
    その後に続きそうだった「多分」という言葉は、かろうじて呑み込んだ俺だった。

        ◇     ◇     ◇     ◇

「まあ…僕も『教えるだけ』なら、何でもいけると思うけど」
    教科書(テキスト)を見ながら、理論を述べるだけなら。 実技も自分が手本を示すではなく、ただ学生の動きの良し悪しを見るだけなら。
    それなら確かに相原でも南部でも、既に一通りはやってきた事だ。 出来ない事では無いだろう。
「駄目ですよ。学生にだって学生なりに、専門には自信と自尊心(プライド)持ってるんですから。 専科が違ってると、あんまり言う事聴いてくれませんよ?」
だが、実際にそれで上手くいくか…と言えば、それは今南部の言った通り。
「砲術とか飛行科とか、戦闘士官目指してる学生は…特に駄目ですねえ」
    軍という組織の存在理由は、侵攻だろうが防衛だろうが「戦う事」にしか無い。 他を軽視する訳ではない、だが中心となるのは自分たちだ…という意識が、戦闘士官には強過ぎるほどに強い。
    そんな自信も自尊心も、過ぎなければ悪い事じゃない。
「…って事は、飛行科の学生を中心に嫌がられちゃってる訳?」
「まあ…そういう事です」
    戦闘士官も専門…と言うか配属で、幾つかに分類する事が出来る。 訓練学校の専科の中では、戦闘士官となれるのは砲術科と飛行科の2つだけだ。
    南部は砲術科だった訳だから、砲術の学生に背を向けられる事は無い…という事で。 そうなれば、残るは飛行科…だ。
「あれ…だったら、古代さんの場合ってどうなる訳? 古代さんも、本当は砲術だよね?」
    …忘れがちだが、相原の今言った通りだ。 なのに、古代が過去に訓練学校(ここ)で教える羽目になったのは全て、飛行科…本来の専門ではない。
「良いんですよ、あの人の場合は。 一度乗ってみせれば、学生(むこう)が考え変えますから」
    その問いに南部は、さら…っと答えた。

「その意味では、古代さんは羨ましいですよねえ。 単科ですから」
    南部の学生の頃を憶えている教官が、あちこちの科に散らばってまだ残っているのなら。 その教官たちは、相原の事も憶えている…という事になる。 それはシム棟の管理教官でも、全く同じだ。
    旧悪…と言えるほど、成績も素行も悪かった訳ではない。 だが一点の曇りも無く、思いっきり胸を張っていられるほど優等生だったとも言わない。 その頃を知っている人間を目の前にする事は、決して居心地の良いものではない。
    だから、放課には教官室に居るより、何処か…それ以外の場所に居る方が南部にも相原にとっても、よほど気楽で良い。
「ああ…そうだよね。 古代さんの場合は、飛行科の学生だけだもんね。相手は」
    全科を教える事になる南部だと、専科だった砲術を当然除いて飛行科を差し引いても、まだまだそれ以外の科が複数残る。 専門に対する意識が、特に強いのが飛行科と砲術科だ…というだけで。 それ以外の学生に、そんな意識が無い…という訳ではない。
    2人が学生だった頃は、ああいう時代(とき)だったから、訓練学校も当然地下に在った。 現在(いま)は当たり前だが地上に在って、その場所を違えている。
    名前と目的は同じ訓練学校でも、2人には思い出も懐かしさも無い空間だ。 教官として配された事の無い相原には、全く見知らぬ場所でしか無い。 だから…2人は、正門近くで落ち合って。
    そんな事を、話題に選んでしまった所為なんだろう。
「実機と『これ』と…くらいかな?」
    2人の落ち着いたのは、飛行シミュレーター室で。
「それと座学、総合シム…でしょうね」
「…古代さん、座学好きじゃないでしょ」
「まあ…そうでしょうね、動いてる方が好きな人ですからねえ」
シミュレーターが並ぶ広い教室の中に、2人の声が寒々しく反響していた。
「総合シムだと…最低でも、航法・砲術・通信観測…と合同になるもん。 古代さん1人じゃ出来ないし」
    相原の言う事は、間違っていないから。 それは南部も苦笑しながら、あっさりと肯定した。

「でも…南部もやってみせたら? 他はともかく、飛行シム(これ)だけでも」
    少しばかり真顔に戻って、相原がそう。
「実機は知らないけどさ、シムの扱いなら誰にも負けないでしょ?」
「実機…でも学生相手なら、何度かに1度程度には勝てなくは無いですよ。 直接では無くても、実戦を知ってますからね。 こういう所では教えないやり方も、一つや二つ知ってますよ」
    それに答える南部も、至って真面目に。
「それでも、多分…そんなに変わんないですよ。 専科の問題で…だけならそれでも良いでしょうけど、性格で…なら無理でしょ?」
「…だから、普段からちょっとくらいは猫被ってれば良いのに…」
「そういう事しないのが、俺の性格なんです」
    話が結局その辺りに終着してしまい、苦笑と溜息が仕方無く漏れた。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    自主的な訓練…として実機を使うもシミュレーターを使うも…もしくは何もしないも、その辺りの事は学生のやる気に任せている訓練学校である。 時間が長ければ良い…というものでも無いが、数をこなせばその分だけ慣れて上手くなるのも、自然の理。
    教官側としては、放課後にまで付き合わせるなよ…と思う部分も無くは無いんだろうが、やる気の有る学生(やつ)から向上心を摘む気も無い。 学生からそうと願ってくれば、ほいほい…と付き合うくらいには教官連中の質も出来も、心構えも悪くない。
    ただ、実機の場合。 どうしても手間が掛かったり人数が必要だったり、通常訓練や整備の都合だったり…で、相当前もって言ってもらわねば準備が出来なかったりもする。
    なので、どうしても多少面倒な実機より、空いてさえいれば特に断らなくとも使えるシミュレーターの方が、学生にも教官にも楽で良い。
    そんな訳で。
「…げ」
    図書室で欲しい資料を見付けて借り出した後、そのままシム棟にやって来た俺たちは。 好き嫌いを論じていた教官と、それを訪ねて来たらしいもう1人とに、飛行シミュレーター室で出くわした。

    部屋に施錠されていれば、鍵を借りに行く…くらいの事はするが。 それ以外には、別に許可を取る必要も何も無い。
「えーと…使っても良いですか?」
    だから、この室内(へや)に教官が居たとしても、本当は断りを入れる必要も無い。
「どーぞ、ご勝手に?」
未稼働のシミュレーターの1台にもたれていようと、肘を突いていようと、椅子代わりにそのシートに横に腰を下ろしていようと。
    場を取り成すかのように、少し硬い笑みで断りを入れている1人。 残る1人は…と言えば、無言でさっさと手近なシミュレーターの電源を入れて。
    伊達に、同じ艦橋で席が隣…と近くに見てきた訳じゃない。 その…笑顔の硬さと、あからさまに無視を選んでいる様子に。 南部がどういう態度で、どういう口調で教官をやってるのか…案の定だな、と。
「南部も…やんない?」
「…は?」
    相原のいきなりな言葉に、南部が素直に問い返した。
「いや…さあ、僕と南部って基礎過程から時間割(シラバス)違ってたでしょ? シムのスコアは見てきたけど、実際やってる所を見た事って無いじゃない」
    入学時には試験の結果順に座学のクラスが割り振られて、それが基礎過程の終わるまでそのまま続く。 基礎過程でクラスが違って、その後専科が違えば全く顔も知らない…なんて良く在る事だ。
「全然…でしたっけ?」
    訓練学校を離れてからも、南部の場合は「実家」絡みでかなり頻繁にシミュレーターを突付いている。 ただ…その時、その場に相原が居たかどうか…の記憶は曖昧だ。
「全然だよ」

「だから、やんない?」
    もう一度繰り返される「お願い」に、自然と意識がそちらに向く。
    すごいスコアだった…と、つい今しがた図書室で聞いたばかりだ。 全く…それに対して、興味が湧かないとは言えない。 いや…むしろ、それがどの程度に「すごい」のか見てみたい。
「別に…良いですけど」
    稼動していないシミュレーターの横から投げ出していた脚を、仕舞い込むように正しく座り直しながら。
「ミッションの指定は?有りますかね?」
「指定は、別に無いけど…」
教官の訊いた事に、ちょっと考える様子を見せながら。
「どうせなら、一緒にやんない?」
視線はこちらに向けないまま、しかしはっきりとこちらを指差して、そう。
「…は?」
    今、間抜けた口調で訊き返してしまったのは教官ではなく、指差された俺たちの方だった。
「だって…シムの授業って、こうだったじゃない」
    曰く、教官の設定したプログラムを教室に居る全員が同時に。 同じ条件下でのスコアで、しっかり順位が付けられてしまって。 それは…確かに、その通り。
    シミュレーターは、単体でも充分に機能する。 ただ、複数人に教え、その成績を並べて見たいなら、外部でまとめて設定もして記録(レコード)を吐き出させた方がやりやすい。
    だから、どうしても「授業」ならそんな事に。 しかし…今は、放課で授業じゃない。
    ほんの少しの、無言。 何だか…面白がっているらしいその人と、ちょっと…呆れ気味な俺たちとを等分に眺めた後に。
「えーと…俺は、構いませんけどね?」
少しだけ途惑った様子を見せながら、南部教官は傍に立っている友人を見上げながらそう言った。
「…良い?」
    シムの授業…と口にするからには、この人も訓練学校(ここ)の卒業生なんだろう。 多分、南部教官と同期…という事で。 そう…俺は、判断を付けた。
「はあ…俺たちも構いませんけど…」
    上意下達の軍内…まだ学生でもしっかり軍籍は在るから…で、先輩と上官は殆ど同じようなもので。 教官をはっきり嫌っているような俺でも、それよりははるかに人当たり良さそうに見える相手にねだるように問われては…断れなかった。

        ◇     ◇     ◇     ◇

「じゃあ僕、プログラム決めるね」
    何だか…ものすごく楽しそうに。 前方(まえ)の管理コンソールの方に向かう相原を、南部は思い出したように呼び止めた。
「条件プログラムしないで、初期設定(プリセット)から選んで下さいよ?」
    あんまりタイトな条件を設定されてしまうと、実戦経験の無い学生にはいわゆる「裏技」的な方法が思い付かなくて、最初っから絶対に終了(クリア)条件に辿り着けない可能性も出てくる。 教わっていない…実戦から習ってない以上、それは公平な条件ではなくなってしまう。
「当たり前でしょ? プログラムNo.って、6桁だったよね?」
    あっさりと答えながら、そんな事を訊き返してくる。 どうやらランダムに好きな数字を打ち込むつもりだな…と、南部も2人の学生もそう思った。

『でも…南部もやってみせたら? 他はともかく、これだけでも』
    ついさっきの会話だ、幾ら何でもまだ忘れてなんていない。
    自分のシミュレーター操作を「相原が見たい」のではなくて、相原は「学生に見せたい」んだな…と。
「余計なお世話…なんですけどねえ」
そんな事には簡単に思い至れてしまって、苦笑しながら。
    それでも、そんな事を考えてくれる…その事が、少しばかりは有難いかな…なんて事も。

『シムの成績は、ものすごく良かった』
    ほんの少し前に、友人から聞かされた言葉。 過去形で伝聞形だが…恐らくは、間違ってない言葉。 多分…今更それを見なくとも、きっと今でも…ある程度以上には。
『ものすごく上手いんなら…俺だって、まあ…大人しく習うさ』
    ただ…俺がそれを、聴こうとはしていないだけ。 嫌い…ってのは、そんなもんだろ。 俺だけじゃなくて、きっと…誰でも。
    言い訳じみた、そんな事を思いながらも。 どれだけの腕なのか、その結果の出る事を…何となく楽しみにも思っていたりして。

「それは、内緒」
    普通、これから受けるシミュレーションが、どういう状況設定でどういう終了条件なのか…を教官が最初に告げる。 それを当たり前に問えば、相原の返したのはそんな言葉で。
「叩く敵は叩き墜(お)として、逃げる時はきっちり逃げ切って。 生きて還ってくれば、それで良いんだよ」
にっこりと笑って、そんな…正論を言う。
    それもそうか、実戦では教官のレクチャーなんか有る訳無いよな。 …とあっさり納得してしまえる辺りが、実戦経験の有る無しに関わらず「戦争をリアルタイムで見てきた」世代だ。
「じゃ、死なないようにね」
    そんな言葉を最後にして、プログラムが動き始めた。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    実機と同じように円蓋(キャノピー)を閉ざしてしまえば、そこから先は1人だ。 実機と違うのは、シミュレーターのキャノピーは外部を素通しに見せるもの…ではなく、プログラムされた映像を映すもの…である事。
    プログラムの組み立てた、管制からの通信が入ってくる。 搭乗者である自分とのやり取りの合間に、本当は居もしない地上スタッフの声も紛れてきたりする。
    敵機編隊…と思われる所属不明機をレーダーが捕捉、スクランブルで離陸(あ)がるところ。 シミュレーターのプログラム中では、多分…一番良く有る状況設定。
    格納庫(ハンガー)前、慌しくチェックリストを読み上げながら、僚機の離陸(で)るのを横目に見る。 滑走路端、管制からの離陸許可を待っている状態。

    しばらくして、室内にアラートがやかましく鳴り響いた。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    …どうして、墜落したのか分からない。
「墜落(お)ちなかったのは、南部だけ…だね」
だから、俺は…ものすごく怪訝そうな表情(かお)をしながら、その言葉を聞いていたんだろう。
「マニュアルに載ってないプログラムなんですけど…知ってたんですか?」
「…そうなの? 適当に入れただけなんだけど、僕」
    南部教官に問われて、きょとん…としたような顔で答える。 そんなやり取りに俺は、無理矢理割り込むようにして。
「何なんです、あれ? どういうプログラムで、俺たちはどうして落ちたんですか?」
どうにも訊きたくて仕方の無い事を、強い語調で訊ねた。
「エンジン・トラブルですよ。 整備ミス…って所ですかねえ?」
    さら…っと答える教官の言葉に、俺たちも驚いたが。
「え? そんなプログラム有ったの?」
俺たちの言いたい事は、その人が代わりに訊ね返してくれた。
「相原君、さっきのシム『聴いて』ました?」
    問われて、ぶんぶん…と首を横に振る。
「ううん。 見てたけど、音は重なっちゃうから切ってた」
そう言いながら、そこに有るディスプレイを指差した。 今は暗転しているが、4分割にして俺たち3人の画面を映してたんだろう。
「録画(レコード)は?」
    訓練の為にシミュレーターが存在するのだから、直前の操作は黙っていても記録される。
「そう言う設定は突付いてないから、有るはず…だけど?」
言うよりも早く、言われた段階から既にコンソール上を指が小さく彷徨(さまよ)って。
「あ、有った」
    目的のスイッチをあっさりと見付け出して、再生に掛かった。

    管制に応えているのは、俺の声だった。 プログラムをランダムで決めた人は、再生もランダムで決めたらしい。
    …こうやって改めて見てみても、俺の離陸前の手順は間違っていない。 チェックも交信も、間違い無く行われている。
「あ、音変わった」
    言われて、え?…と振り返る。
「流石の聴力(みみ)ですねえ。 俺なんか、この辺りじゃまだ気付きませんよ」
    耳…って事は、通信技官なんだろうな…などとも考えつつ。 改めて俺も耳をそばだててみたが…何処が、何が変わったのか…に気付けない。
「これ…タービンの軸、ずれてるんじゃない?」
「…正解、相原君。 締め付けが甘かったんで、始動した事で緩んできたんですよ」
    そういう設定です…と南部教官の言葉の終わる辺りで、俺はやっとさっきからとはエンジンの音の違ってきた事に気付いた。 それも…そうだと知って聴いているからであって、普通ならまだきっと気付いてないんだろう。
    第一、その音の違ってきた理由が何処に在るのかなんて、全く特定出来そうになんて無い。 このプログラムの有る事を…設定まで知っていたらしい教官の方はともかく、知らなかったこの人が言い当てられるのが不思議なくらいだ。
    画面の中、直前に付けていた僚機の車輪が今、滑走路を離れた。
「俺が気付いたのは、この辺りですね。 気付いて管制に連絡入れて、離陸(あ)がるのを止めたんですよ」
そういう言葉の向こう、再生されている俺は。 管制の離陸許可を受けて、滑走に入っていく。
    空気の抵抗を受けて、一際高くなるエンジンの音。
「…止めて良いですよ、もう」
    教官のその言葉を受けて、画面はそこで途切れた。

「…って事で、このプログラムの場合。 終了条件は離陸を取り止めるか、離陸直後に引き返すか…です」
    苦笑しながら、南部教官は振り返って俺たちを眺めた。
「双発なら、はっきりトラブルが発生してから片方だけで騙し騙し戻って来るのも正解なんですけどね。 これ…聞いて分かる通り単発ですから」
    現在(いま)、単発機は殆ど無い。 その所為か…俺たちは、ひどく分かりやすいはずのそんな事にさえ気付かないでいた。
「…でも、警告灯(ランプ)は…っ」
    オール・グリーンだった。 それは確かにチェックした、自信を持ってそうと言い切れる。
「死んでから、その言い訳が出来るものなら言ってみなさいな?」
…だが、言いたい事を最後まで言わない内に、そんな言葉に遮られた。
「どんなに生き延びる為の注意と努力を払っていても、運が無い…だけで死ねるんですよ? 人間っていうのは」
    言葉だけなら、こちらのミスを責めているとしか思えない言葉に、苦々しい表情をしてみせているのは俺たちではなく…むしろ、その2人の方。
「何もしなけりゃ、もっと…簡単に死んでしまえるんだ…って事を憶えとくんですね」
    それが…多分、年齢の差。 その分だけの、経験の差。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    陽はすっかり傾いて、薄く色付いた光が、窓から低く斜めに差し込んでいる。
    …黙ってしまった俺たちをそこに残して、約束していたらしい予定を口にしながら2人は出て行った。
    トラブルで、発進そのものを取り止めなければならない。 実際になら…きっといつか在る事だろう、それは分かる。 だが、訓練として…授業として、その想定は恐らく…無い。
    プログラムの一つとして、最初から組み込まれているだけ。 授業を介して、習い憶えた事じゃない。 そんなプログラムが在ると知っている事、知らない事。 その点だけ見れば、不公平…だったとも言えなくは無い。

    再生されている映像の中、俺よりも余程淀み無く正確なチェックリストを読み上げていく声。
    …早い。 俺たちのと並べてみれば、かなり早く滑走路まで出てるんだろう。 きっと。

    それでも、発進の中止を管制に連絡したのは、かなり後。 俺たちにもはっきりと、エンジン音の違いが聞き分けられるようになってからで。
    自分で、シミュレーターの方からNo.を打ち込んでも、プログラムが動き始めればすぐに表示は消える。 管理コンソールの方から打ち込んだなら、最初から表示なんてされない。 だから…最初から、このプログラムだと分かっていた訳じゃない。 普通に、当たり前に気付いた…だけって事だ。
    もっとも、最初からこれだと知っていても同じように、この…ギリギリまでわざと待っていたんだろうが…。
「…やっぱり、すごいよな。 きっちり聞き分けてるんだもんなあ…」
    発進までの手際と、その事に。 素直に感心してみせている友人の横で、俺はと言えば。
『上手けりゃ、大人しく…』
    自分の言った事なんて、すっかり忘れ切った様子で。
「やっぱり…大っ嫌いだっ!あんな教官(やつ)〜っっ!!」
…と、吠えていた。

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Last Update:20050517
Tatsuki Mima