生まれてきた以上、いつか必ず死ぬ。
それはもう、覆しようがない現実。
人間だけじゃない、機械だってそのうち「壊れる」という形で死ぬ。
山だって、雨に削られて高さを失い「山」とは呼ばれなくなる。
死ぬ事が避けられない現実なら「死ぬ為に生まれてきた」…というのも、逆説的に「真実」。
ヤマトに「戦闘シーン」が含まれている以上、どうしても避けられない「人間の死」。
むしろ、ただの一人も死なない…としたら、それはあまりにも非現実的。
しかし、美馬も「『ヤマト』は、人が死に過ぎる」という批評は、否定しない。
実際、戦略的・ストーリー的に「死ななくてもいい人間」が死んでいる…と思う。
例えば、スターシャ。
旦那一人だけならともかく、生まれたばかりの娘を捨ててまで「自分の自尊心と理想論と信念」だけで死ねるものか?
「ヤマト」というシリーズに於いて、スターシャを始めとする「女神さま」は「母性愛・無償の愛」の象徴だろう?
それが「娘を見捨てる」というのは、どうにも…。
イスカンダリュウムを渡したくないのなら、確かにイスカンダルの破壊は良い手段だろう。
だが、大気圏外にヤマトとデスラー艦が居るのだ。
脱出後に、ゴルバの着陸を待って、波動砲とデスラー砲を撃ってもらえば良いのじゃないか?
デスラーにとってイスカンダルは、地球人にとっての「月」以上の存在だから撃ちたく(破壊したく)ないだろうし逡巡するだろうが、それはスターシャの話の振りよう次第だろう。
ヤマトは、もっと簡単に撃つだろう。
実兄と義姉がちょっと諭せば、あの艦長代理はきっと撃つ。
例えば、土門。
一刻も早く、太陽核融合制御したいのは(キャラクタ設定的に)分からんでもないが、何もあの戦闘の激しい時間に甲板に出なくても良いだろう?
大体、土門は生活班所属で「戦闘班に出向」してるようなもの。
修理するのなら、技術工作班の板東辺りなのでは…。
どちらにしても、せめて「敵艦載機が片付いてから」からの修理だ。
結局、揚羽の単独特攻にハイパーデスラー砲くらいで沈む、ボラー連邦の機動要塞だ。
黙って待っていても、そろそろ静かになる。
早く片付けたいなら、太陽制御は一時置いといてガルマン・ガミラス側に加勢すれば良い。
地球上の生物が死滅するまで「後、30日」が、29日になろうが28日になろうが、そんなに変わらんだろう?
誰かが死ぬ事で「涙と感動を誘う」というのは、悪いが「ヤマト」以前から有るストーリーテリング。
元々日本人は、そういう話に弱い傾向が有る。
根本的なところで「仏教的死生観」と「武士道」が生きてるのだろう、死に対して妙な「美学・美意識」が有るのは実際。
他人が死んで悲しいのは、その人に「想い入れ」が有るから。
実在するかしないかなど関係無い、想い入れさえあれば相手が犬猫や人形であってすら泣けるのだ。
泣けるのは「感動したから」ではない、その人を失った事が「悲しいから」だ。
そんな話で迂闊にも感動してしまうのは、その「死」の上に何かが「建設」されているから。
「死そのもの」に感動している訳ではない。
ストーリー全体としては納得出来る「他人の死」も、その人間個人に対する「観る側」の感情としては納得出来ない事だって有る。
虚実問わず「誰も死なないで済む」なら、それに越した事は無い。
誰もが等しく、いずれは死ななければならないのなら…それは、せめて「自然死」であって欲しいと願う。
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Last Update : 20031205
Tatsuki Mima