XIV 節制(TEMPERANCE)
正位置の意味:プラトニック・片思い・節約・反省・自重・調和
◇
◇
◇
◇
あの赤い惑星(ほし)に、物言わぬ女性(ひと)はやはり…美しいとは思ったから。
だから…何も知らないままでも、きっと。
多少なりとも射抜かれてしまっていたんだろう、その姿に、俺たちは。
そうでないなら、今。
こんな廊下に、その背中まで見送ってしまっては居ないだろうから。
お互いに、間抜けた顔を突き合わせて。
同じ人の顔を思い出したりなんて、きっとしていないだろうから。
偶然、もしくは…何らかの作為。
2人して加わる事になった航海に、あの廊下に惚(ほう)けて見詰めた彼女までが。
一縷の望み。
目的は見えていても、宛てと前例の無い航海(たび)。
それをもたらしたのは、赤い惑星の彼女。
共に行くのは、廊下に見た彼女。
◇
◇
◇
◇
特定の人に対する、特定の感情。
別に…恋情とか、愛情とか言った類のものではなく。
今は…ただ、申し訳無さ。
むしろ、失敗した…と自分を責める気持ち。
…彼女を追って、どうする?
はっきりと理由も言えないほどの奇妙な劣等感に、逃げ廻っていたのは…俺。
「ごめんなさい」とだけ残して、去ったのは…彼女。
それを…追って、また…何を更に突き付けるつもりなんだ?
ノイズだけを、映し続けるディスプレイ。
耳障りに流れる音は、雨の音に…似ているかも知れない。
これくらいでは泣けもしない、ひねくれた俺の代わりに、画面が素直に泣いてくれている。
席の肘に腰を下ろして、そんな雨の音を横に聴く。
あと、3分。
それが、俺に残された「地球との通信」の時間。
地球に、受信する家族は…もう、誰も居ないけれども。
まだ、何もかもが在った頃の「雨の日の地球」が今、画面の向こうに居る錯覚。
あんなに傷付いて、死に瀕していても、何て…優しい故郷。
…彼女は、泣いたかな?
家族との「最後」の通信に。
今更、別れを告げなくても良い俺は…もしかしたら、彼女より幸せなのかも知れない。
嵐に翻弄されながら、ここに留(とど)まって最早20日。
停滞した日々に倦(う)んで、ほんの些細な事にも苛立つ毎日。
こうと断を下したのは、艦長。
だが、そうとさせたのは自分の判断。
それを履き違えたりせずに、真っ向…俺に苛立ちを返してくるのは、1人だけ。
砂上の楼閣。
砂が流れれば、いとも簡単に崩れていく。
誰よりも黙っていて欲しい人間に、あからさまな焦燥を投げ付けられて、そろそろ建ってはいられなくなる。
未確定の上に積み重ねられた判断が、そろそろ不安に押し流されようとしている。
だから、寝付けなくて。
触れる硬化テクタイトの窓に、わずかに伝わってくる機関の振動は、きっと…聴こえないはずの外の嵐の音。
名を呼ばれて振り返れば、彼女が居て。
彼(か)の惑星(ほし)に来い…と伝えてきたのは「彼女」だったんだな…と。
多分…一瞬間、完全に。
彼女と「彼女」を混同してしまっていたのだと、後から。
つい…正直に、不安をぶつけてしまって、その後から。
困惑して当然のそんな言葉にも、はっきりとした応答。
この不安を払おうとするのではなく、弱気になっていた判断の背を押して。
嵐は未だ、それでも霧は…少しばかりは晴れたから。
迂闊に落ち込んだ断層から、抜け出した後。
星闇を背景にして、鏡と化した窓が彼女の姿を映して。
互いの言葉に、それぞれの想いを知ったから。
…俺は、どうすれば良い?
意地を通すほどには、はっきりと、彼女に伝えていない…伝わっていないだろう想い。
諦めてしまうほどまでには、はっきりと、未だ見えない彼女の心の内。
あっさりと譲ってしまうには、今更…どうにも近過ぎる互い。
あっさりと引いてしまうには、最早…遠慮さえも知れ過ぎる2人。
いずれはどうにか、決着の付くだろう将来。
競うような事ではなく、決して勝ち負けを争うものではないと承知しているけれども。
呆れてしまうほど、また…同じような行程(みち)を、自然選んでしまっているそれぞれに。
もう…今は、苦笑するしかなくて。
笑う俺たちに、当惑気味な彼女の顔を。
窓の反射に認めて、いつか…その手を取る事も願いながら。
◇
◇
◇
◇
何だか…懐かしくさえあるような、緑色の惑星(ほし)を目の前にして、置いてけぼりを喰らった俺たち。
正確には、彼女を待ち草臥(くたび)れている時間。
随分と前から、通信は途絶えたまま。
その後も回復しないまま、既に…1時間以上。
表面上は落ち着いている、誰も。
こういった調査に、数時間掛かるのも当たり前の事。
気象や地形の関係で、通信が途絶するのも意外と良く有る事。
その意味では、今までと何ら変わりは無いから。
そこに居るのが、彼女でさえ無ければ。
隣に、こいつが居て。
いや…第一艦橋(ここ)で。
落ち着かなさを面(おもて)にはっきり出すほど、間抜けじゃない。
自分でも分かってる。
完全に、個人的な感情から出ている苛立ちだと言う事は。
そうと既に意識しているから、尚更に。
制御を自動操縦に預けている間の、手持ち無沙汰を繕(つくろ)う腕組み。
気付いているのかどうか、思う事が有るとそんな調子で「動かなく」なるのが、こいつの癖。
同じように面にまでは出ないけれども、間違いなくいささかの焦燥と不安。
この…待っているだけの焦(じ)れったさが、彼女への想いの強さだと言うのならば。
俺と…こいつの、どちらがどれだけ、大きな気持ちを今、抱えてしまって居るんだろう…?
…デモ。僕ハ、ヤハリ貴女ガ好キデス。
人間(ヒト)ヲ愛シテ、イケナイ事ハ無イデショウ?
腹立たしくもまた、ただ待つだけの時間。
俺は…いつでも、ただこうやって、誰かを待っているだけしか出来なくて。
つい一週間前ほどにも、彼女の戻るのを待ち過ごして。
今は、あいつと…真田さんの帰りを、ただ待ち続けていて。
焦燥の中の、冷静さ。
苛立ちの中で、逆に醒めていくだけの自分。
この航海に、何を一番優先すべきか忘れ切る事が出来ないで。
これ以上を待ち続けていたい気持ちも正直に、これ以上は待ち続けられないという判断も…素直に。
相反するようでも、どちらも…自分自身。
反対も無く、批判も無い。
それは…判断が間違っていないという、証拠。
それでも…自分自身が、痛い。
あまりに分かりやす過ぎる、彼女の焦燥。
彼女もまた…非難めいた言葉は、口に乗せないけれども。
それだけに知れる、その想いの強さ。
それまでは見えなかった…気付けなかったバランスが、はっきりと一方に傾いていく。
それは…決して、自分の方向には向けられてはいなくて。
全く無事…とは言えなくとも、戻って来た今だから言える事。
あのままどうしようもなく、先に進んでしまっていたとしたら…俺は。
何よりも一番に、お前に。
それから…彼女に。
きっと…笑えなくなってしまって居ただろうから。
◇
◇
◇
◇
まだ、動かない関係。
誰も、そうと口にしようとしないから。
互いに、そして…彼女さえも。
そんな「いつか」まで、このままの距離と角度のままで。
いつ…そうと告げよう?
…いつ、そうと告げるつもりなんだか…。
不器用なばかりの、気長なそれぞれ。
想いは、ひたすら直線的に。
態度は、螺旋を描いて堂々巡って、思うように近付けもせず、さして離れて行きもしないままに。
それでも、いつかはきっと、何処かの岸に辿り着くだろうから。
※「1」第1話〜
▲ |
<前頁
Last Update:20040702
Tatsuki Mima