海:02

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    遊星爆弾に干上がって、一度は滅びた海。 水棲生物の居ない海。
    それでも、海は海。 海という場所は、場所。
    水際(みぎわ)を裸足で。 飽きもせず寄せては返す波が、足下の砂を静かに動かしていく。 さらさらと優しく、足をくすぐって通り過ぎていく。
    そんな君は…少しばかり、嬉しそうだから。 だから…こっちまでもが、随分と…幸せで。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    夏も盛りに。 陽射しはきつく、気温も高く。
    まだ半年ばかりの時間でも、訊くほどではなく気付かなかった事を、色々と知る。 そんな一つが、彼女は気温の変化にあまり強くない…という事。
    考えてみれば、あの惑星(ほし)は大規模な空洞惑星で、例えるなら巨大な温室。 通年、気温が大きく変化する事なんて在り得ない。 そこに生まれ育つ人間が、体温調節を忘れていても不思議ではない。
    冬の寒さには衣服を重ねる事で、容易に耐えられても。 夏の暑さには、そうはいかずにまだ弱いという事に。
    空調を備えた室内ならば、何の問題も無い。
    だから、どうしても大人しく、変わらない狭い風景の中に積み重ねていく日常。 さしたる変化の無い、毎日。 それでも…一緒に居たい人の、すぐ傍に居られる日々。
「それも分かるんだけど…島君、そういうのって慣れも有ると思うわよ?」
    医学的な知識を少なからず有しているからこその、雪の言葉。
「私たちと一緒で、一定の体温を保てるんですもの。 体温調節が全然出来ない訳じゃないはずだわ」
それは、常識程度の生物学知識でも理解は出来る。
「勿論、いきなり炎天下…なんて無理でしょうけど。 ずっと篭ってると、島君も暑さに弱くなっちゃうわよ?」
    それは…確かに。
    コントロールセンターも、官舎も、当たり前のように空調に室温を管理されているから。 外気温を知るのは、徒歩での移動が苦にならない程度の、その往復ばかりでしか無く。
    彼女は、外に出たい…とは言わない。 自分としても…あまり、出歩いて欲しいとは思わない。 彼女を、護りたいと思うから。 けれども、護り切れる…との自信も無いから。
    そんな事を理由と言い訳にして、2人して部屋に居る毎日。 それが最早、当たり前。
    純粋な親切、好意から出た言葉でも、日常を壊してしまう提案。 だから…少しばかりいい加減な言葉をその時には、雪には返しておいて。

    陽が落ちたからといって、温まり切った空気は冷めにくいから、すぐに気温が下がる訳では無く。 生温(なまぬる)い風が、肌を撫でていく事はむしろ不快を呼ぶほどに。
    色も形も無い空気さえ、じりじりと焦がしていくきつい陽射しが無い事だけが、その救い。
    ただでさえ、夏は陽の沈むのが遅いから。 20時も過ぎた時間になってやっと、嫌々ながら懐かしい地下都市の気温。
    背中に、窓の開かれる音を聞いて、振り返れば。 今開放した窓から、一気に傾(なだ)れ込んできた静かな熱気に否応無く当てられて、わずかだけれどもはっきりと眉を顰(ひそ)めた彼女が居て。
    …けれども、それも一瞬間。
「星を…見ていました?」
今はもう、少しばかり困ったような表情を見せて。
──地上に居る事に飽きて、乗艦勤務を望んでいますか?
言外に、そう問われているような気がして。
「いや…別に…」
    確かに、空は見上げても居たけれども。 星を…見てはいなかったから、嘘ではない。 けれども、操舵に関わっていない自分を厭(いと)うている自分が居るのも本当だから、返す言葉は…曖昧に。
    護りたいと、護ってみせようと、自分に約した。 その為に、宇宙を行く事を自分から捨ててもおいて、今更。 旅の途中に故郷を思い出すように、生まれ育った地上に居ながら、星の狭間を恋(こ)うている自分。
    何て、身勝手な感情。
    同じように振り捨てた…「家族」は、未だ夢にさえ見ないのに。

    言い訳を探して、言葉に詰まってしまった自分。 だから…その場を離れてしまう事を忘れて。 熱を持った外気の中、ベランダから戻らない自分をどう思ったか。 彼女の方が、窓辺を離れて。
    隣に立って。 傍に居たいから、居て欲しいから。
    それなのに、不器用な自分たち2人は。 そのままでは触れもせず、手を伸ばせば初めて届くような、中途半端な距離のまま。 それでも、手の届かなかったいつか…よりは余程、近くに居るから。
    真夏の、まとわり付くような緩い宵風の中に2人とも、何も言わないままで。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    電話の向こうで、妙に舞い上がってる奴が居る…。
「…2人で行けば、良いだろう?」
そして相変わらず、時間を考えてくれない古代だ。
    いや…午前10時、むしろ普通には常識的と言える時間だが。 こっちの今日が夜勤明けだと分かってて掛けてきたなら、それは嫌がらせと言う。
「別に…俺じゃなくても、お兄さんたちを誘えば良い事だし…」
「兄さんと出歩いて、何が楽しいんだよ。 絶対、嫌だ」
    自分でそうも言っておいて、何だが。 確かに…島としても、守と行動しなきゃならないのはあまり…歓迎したくない。 それでも「絶対」とまでか…と言われれば、そうでもない。
「…そうか?」
    弟の立場からすれば、そんなものなのかな…と思いながらも。 それでもやっぱり、古代の感覚の良く分からない島だった。
「大体、お前を誘おう…って言ってるのは、俺じゃなくて雪だよ」
    何だか…妙に、情けなげな語調。
「雪が?何で…また?」
「さあ…良く、分からないけどさ。 『テレサさんも一緒に誘えば良いのよ』…って、あれは既に決定済みだぞ。 雪の中では」
    古代の口から、雪の言った事として…テレサの名前が出て来て、やっと。
「ああ…多分、分かった…ような気がする」
分かってみれば、何の事は無い。
『そういうのって慣れも有ると思うわよ?』
    その「慣れる機会」を、わざわざご丁寧にも振ってきてくれている…訳だ。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    雪は、よっぽど上手くねだったか…もしくは、脅したようで。
    夜勤明けの、いい加減疲れて寝不足の耳にしつこく…煩(うるさ)く繰り返してくるから、仕方無く。 テレサも連れて付き合う…と言わなければ、そのまま何時間でも寝させてくれそうにも無かったから、已(や)む無く。
「もう…古代君、空調きついわよ」
    雪の、秘書という仕事の方が自分よりも余程ハードワークだろうに、元気で、はしゃいでもいて。
「…そうかな?」
それに振り廻され気味の古代も、別に…嫌がっている訳でも無いし。
「…何だよ?島?」
「いや…何でも?」
    だからこっちは、苦笑を押さえ切れなくて。

    途中、ゆっくりと食事をして。 それから何故か、雪の買い物に付き合わされて。
「島君も、別に…無理して付き合わなくて良いわよ?」
古代は早々にリタイアして、何処かのベンチで暇を潰しているから。
「いや…俺は、別に…」
    正直言えば、もう…二度と雪の買い物に付き合いたくないのも本当だったが。 はっきり言えば…「雪に」付き合っているつもりでは無かったから。
「…そんな顔しなくても、島君?」
    堪(こら)え切れなくなった…と言わんばかりに、くすくすと雪は笑って。
「テレサさんが迷子になったりしないように、私がちゃんと見ててあげます。 ついでに…誰かに声、掛けられたりもしないようにね?」
そう言って、やっぱり笑って。 だから…古代と一緒に、何処かで待っていてくれれば良い…と。
「いや…だから、俺は…」
    雪の言った理由では、全然…とまでは言わなくても、心配している訳では無くて。 けれども…本当の理由をどうにも、説明も…出来ないから。
「お前、迷子になった子供みたいな顔してるぞ?島?」
    雪に話してしまえば、間違い無く…古代まで聞こえてしまうから。 どうしても目立ってしまう彼女の外見と、それを記憶してくれるだけの人の多さを。
「…煩い」
    何も起こらない…という確率を引き上げてくれるものだと、自分への言い訳にして…戻って来て。

    2人して、殆ど出歩かないのは。 それぞれに、不安を抱えている所為。
    古代にも、雪にも言われてしまうほど。 離れて居られない、離れてしまっている事がこんなにも神経を逆撫でていくのは、ただ。 自分自身が、どうしても…信じ切れない所為。
    話してしまえば、きっと…気は楽になる。 それは…分かっている。
    けれども、それは。 話した相手に、自分の抱えるべき負担を押し付けてしまう事になる、と。 それも…もう、既に分かっているから。
    …だから。
    こうやって、万が一…をどうしようもなく考えてしまって、苛々として。 胃の痛くなりそうな永い時間を、それ以上に永く感じて。
「座れよ? どうせ…長いぞ?雪の買い物は?」
    時間の割に、そう…買い込んでくる訳じゃないけどな。 慣れている奴は、あっさりとそう言ってくれて。
「…放っといてくれ」
    苛立っていても仕方が無い…とは、承知の上でまだ。 どうしても、落ち着けないでいる自分。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    話し掛けてくる雪の言葉に応えて、微笑ってもいるけれども。 その合間の…少しばかり、不安げな表情。
    人波の向こうから、雪が…彼女を連れて戻って来てくれて、それを…見付けて。 溺れていた水中から、引き上げられたくらいに大きく息を吐く。 どうしようもないほどの、安堵感。
「何、買ったんだよ。こんなに…」
    当たり前のように、雪の手から荷物を受け取って。
「後で、ね」
そんな会話をしている2人を、横に見て。
    疲れてないか…と。 酔いそうなほどの人の多さにも、普段に無く長く歩いた距離にも、そう問えば。
「…いいえ」
と、ただ一言。 さっきまでの、不安げな表情など…何処かに捨ててきたように、微笑って答えて。

    …抱き締めていた、きっと。 この場に、誰も…居なかったなら。

    あまり…地上には居ないから。 何処に行くか…なんて、どうでも良いのよ。本当は。
    同じ場所で、同じ空気を。 一緒に居られる「時間」の方が、大事なの。 それが…少しでも永いなら、それだけで良いのよ。
    …それなら、2人で居れば良い。 最初から。 俺たちを誘おうなんて、思わずに。
    今の所の俺は、彼女と共に地上(ここ)に在るけれども。 一緒に居られる時間が永ければ、永いほど良い…その事だけは、痛いほどに分かり過ぎてしまうから。
    傍に居たい、居て欲しい。 それ以上に…心の、安寧が欲しい。
    彼女を護りたい、今度こそは。 何事も無く在って欲しい、ただ…それだけを。 過ぎるほど強く願わないと、叶わないような気がして。 上手く立ち回らないと、その確率を下げるだけのような気もして。
    だから、こうやって「外」に出るだけで、こんなにもひどく疲れて。 彼女を、人波に手放す事がここまで…不安を掻き立ててしまって。
    だから…「外」に出たくない。 「外」に出ている今が、これほどまでに…きついから。

        ◇     ◇     ◇     ◇

「いつも…こんな感じか?」
    雪の気分次第、止まってはまた走る車。 いや…走る方向さえ、雪の指差すまま。
「…何が?」
    それなのに、肝心の運転手はそんな事を疑問に思わないのか、それに気付いてないのか。 暢気な顔をして、問い返してくるくらいで。
「…分からないなら、良いよ」
「だから、何がだよ?」

    そんな繰り返しで、そろそろ陽の沈もうか…という頃、海岸に出た。
    棲む街が、湾の奥に拡がった都市(まち)だから、少しばかり小高い所まで登れば海を見下ろす事なんて容易(たやす)い。 英雄の丘からだって、海は眺められてしまう。
    それでも、こんな風に。 波打ち際から沖を望むなんて、随分と久し振り…一度干上がってしまってからは初めて…だったような気がする。
    十二分に傾いた陽射しでも、結局は夏の日。 直接照らされてしまえば、じりじりとして焼き付きそうに暑く。 それでも、昼日中の真上から振る光よりは、余程耐える事が出来て。
    そこに置き去りにする車を、施錠してしまいたい運転手に追い立てられるようにして、仕方無く砂浜に。 泳ぐ事を目的として、もっと早い時間からそこに居たらしい数人と、擦れ違う。
「もっと早く来れば、私たちも泳げたのにね」
    ここに辿り着いたのも、別に予定していた訳ではなく。 予定していたとしても、ここまでの時間に散々寄り道をした張本人が、あっさりと言って。

    靴の中に紛れ込んでくる砂に、軽く痛みを感じてしまうから。 向こうの2人は早々に、脱いでしまっていて。 それを真似る訳ではないけれども、2人には遅れて俺も…彼女も。
    元々、歩きやすいとは言えない砂の上。 初めて歩く身にとっては、尚更。
「これは…全部、水なんですね」
    ようやくに辿り着いた、波打ち際の濡れた砂の上。 彼女は…そう言って。
    そう言われてしまうまで、彼女にとって海を見る…という事が、初めてなのだと思い至れなくて。 少しばかり意外そうな、珍しげなその表情に、改めて。 本当に彼女は、殆ど官舎から出た事の無い…という事を。
    自分には、至極当たり前な、青空に雲が姿を移していく事さえ。 飽きもしないでずっと、眺めていられるほど…地球(ここ)には、彼女の見知らぬものばかりが有るという事を。
    …今更。 とても、強く。
    一際強い波が、彼女の足下まで。 突然の、足首までを浸(ひた)した水の感触に驚かされたようで、軽く…しがみ付いてきて。
「…生きているようですね、まるで」
幼い子供の言ってしまいそうな、素直で可愛らしい感想を。

    水際(みぎわ)を裸足で。 飽きもせず寄せては返す波が、足下の砂を静かに動かしていく。 さらさらと優しく、足をくすぐって通り過ぎていく。
    そんな君は…少しばかり、嬉しそうだから。 だから…こっちまでもが、随分と…幸せで。

    約した事を、忘れた訳ではなく。 ずっと…同じ、傍に居たい、護りたい。
    その為に、自分の…何かを犠牲にしてしまう事も致し方無い…と思っていた。 そうして、そんな気持ちは今でも変わらないで、そのままで。
    それでも、その為でも。 君の何かを、置き去りにしてしまう権利は…俺には無いから。 そんな事に、今更…やっと気付くから。
    大切な事も、ゆっくりとでないと気付けない自分。 他人に指し示してもらわなければ、迷ってる事にさえ気付けないで居る自分。
    それでも、君は…ここに居てくれるから。 俺の…傍に居てくれるから。

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Last Update:20040714
Tatsuki Mima