遊星爆弾に干上がって、一度は滅びた海。
水棲生物の居ない海。
それでも、海は海。
海という場所は、場所。
水際(みぎわ)を裸足で。
飽きもせず寄せては返す波が、足下の砂を静かに動かしていく。
さらさらと優しく、足をくすぐって通り過ぎていく。
そんな君は…少しばかり、嬉しそうだから。
だから…こっちまでもが、随分と…幸せで。
◇
◇
◇
◇
夏も盛りに。
陽射しはきつく、気温も高く。
まだ半年ばかりの時間でも、訊くほどではなく気付かなかった事を、色々と知る。
そんな一つが、彼女は気温の変化にあまり強くない…という事。
考えてみれば、あの惑星(ほし)は大規模な空洞惑星で、例えるなら巨大な温室。
通年、気温が大きく変化する事なんて在り得ない。
そこに生まれ育つ人間が、体温調節を忘れていても不思議ではない。
冬の寒さには衣服を重ねる事で、容易に耐えられても。
夏の暑さには、そうはいかずにまだ弱いという事に。
空調を備えた室内ならば、何の問題も無い。
だから、どうしても大人しく、変わらない狭い風景の中に積み重ねていく日常。
さしたる変化の無い、毎日。
それでも…一緒に居たい人の、すぐ傍に居られる日々。
「それも分かるんだけど…島君、そういうのって慣れも有ると思うわよ?」
医学的な知識を少なからず有しているからこその、雪の言葉。
「私たちと一緒で、一定の体温を保てるんですもの。
体温調節が全然出来ない訳じゃないはずだわ」
それは、常識程度の生物学知識でも理解は出来る。
「勿論、いきなり炎天下…なんて無理でしょうけど。
ずっと篭ってると、島君も暑さに弱くなっちゃうわよ?」
それは…確かに。
コントロールセンターも、官舎も、当たり前のように空調に室温を管理されているから。
外気温を知るのは、徒歩での移動が苦にならない程度の、その往復ばかりでしか無く。
彼女は、外に出たい…とは言わない。
自分としても…あまり、出歩いて欲しいとは思わない。
彼女を、護りたいと思うから。
けれども、護り切れる…との自信も無いから。
そんな事を理由と言い訳にして、2人して部屋に居る毎日。
それが最早、当たり前。
純粋な親切、好意から出た言葉でも、日常を壊してしまう提案。
だから…少しばかりいい加減な言葉をその時には、雪には返しておいて。
陽が落ちたからといって、温まり切った空気は冷めにくいから、すぐに気温が下がる訳では無く。
生温(なまぬる)い風が、肌を撫でていく事はむしろ不快を呼ぶほどに。
色も形も無い空気さえ、じりじりと焦がしていくきつい陽射しが無い事だけが、その救い。
ただでさえ、夏は陽の沈むのが遅いから。
20時も過ぎた時間になってやっと、嫌々ながら懐かしい地下都市の気温。
背中に、窓の開かれる音を聞いて、振り返れば。
今開放した窓から、一気に傾(なだ)れ込んできた静かな熱気に否応無く当てられて、わずかだけれどもはっきりと眉を顰(ひそ)めた彼女が居て。
…けれども、それも一瞬間。
「星を…見ていました?」
今はもう、少しばかり困ったような表情を見せて。
──地上に居る事に飽きて、乗艦勤務を望んでいますか?
言外に、そう問われているような気がして。
「いや…別に…」
確かに、空は見上げても居たけれども。
星を…見てはいなかったから、嘘ではない。
けれども、操舵に関わっていない自分を厭(いと)うている自分が居るのも本当だから、返す言葉は…曖昧に。
護りたいと、護ってみせようと、自分に約した。
その為に、宇宙を行く事を自分から捨ててもおいて、今更。
旅の途中に故郷を思い出すように、生まれ育った地上に居ながら、星の狭間を恋(こ)うている自分。
何て、身勝手な感情。
同じように振り捨てた…「家族」は、未だ夢にさえ見ないのに。
言い訳を探して、言葉に詰まってしまった自分。
だから…その場を離れてしまう事を忘れて。
熱を持った外気の中、ベランダから戻らない自分をどう思ったか。
彼女の方が、窓辺を離れて。
隣に立って。
傍に居たいから、居て欲しいから。
それなのに、不器用な自分たち2人は。
そのままでは触れもせず、手を伸ばせば初めて届くような、中途半端な距離のまま。
それでも、手の届かなかったいつか…よりは余程、近くに居るから。
真夏の、まとわり付くような緩い宵風の中に2人とも、何も言わないままで。
◇
◇
◇
◇
電話の向こうで、妙に舞い上がってる奴が居る…。
「…2人で行けば、良いだろう?」
そして相変わらず、時間を考えてくれない古代だ。
いや…午前10時、むしろ普通には常識的と言える時間だが。
こっちの今日が夜勤明けだと分かってて掛けてきたなら、それは嫌がらせと言う。
「別に…俺じゃなくても、お兄さんたちを誘えば良い事だし…」
「兄さんと出歩いて、何が楽しいんだよ。
絶対、嫌だ」
自分でそうも言っておいて、何だが。
確かに…島としても、守と行動しなきゃならないのはあまり…歓迎したくない。
それでも「絶対」とまでか…と言われれば、そうでもない。
「…そうか?」
弟の立場からすれば、そんなものなのかな…と思いながらも。
それでもやっぱり、古代の感覚の良く分からない島だった。
「大体、お前を誘おう…って言ってるのは、俺じゃなくて雪だよ」
何だか…妙に、情けなげな語調。
「雪が?何で…また?」
「さあ…良く、分からないけどさ。
『テレサさんも一緒に誘えば良いのよ』…って、あれは既に決定済みだぞ。
雪の中では」
古代の口から、雪の言った事として…テレサの名前が出て来て、やっと。
「ああ…多分、分かった…ような気がする」
分かってみれば、何の事は無い。
『そういうのって慣れも有ると思うわよ?』
その「慣れる機会」を、わざわざご丁寧にも振ってきてくれている…訳だ。
◇
◇
◇
◇
雪は、よっぽど上手くねだったか…もしくは、脅したようで。
夜勤明けの、いい加減疲れて寝不足の耳にしつこく…煩(うるさ)く繰り返してくるから、仕方無く。
テレサも連れて付き合う…と言わなければ、そのまま何時間でも寝させてくれそうにも無かったから、已(や)む無く。
「もう…古代君、空調きついわよ」
雪の、秘書という仕事の方が自分よりも余程ハードワークだろうに、元気で、はしゃいでもいて。
「…そうかな?」
それに振り廻され気味の古代も、別に…嫌がっている訳でも無いし。
「…何だよ?島?」
「いや…何でも?」
だからこっちは、苦笑を押さえ切れなくて。
途中、ゆっくりと食事をして。
それから何故か、雪の買い物に付き合わされて。
「島君も、別に…無理して付き合わなくて良いわよ?」
古代は早々にリタイアして、何処かのベンチで暇を潰しているから。
「いや…俺は、別に…」
正直言えば、もう…二度と雪の買い物に付き合いたくないのも本当だったが。
はっきり言えば…「雪に」付き合っているつもりでは無かったから。
「…そんな顔しなくても、島君?」
堪(こら)え切れなくなった…と言わんばかりに、くすくすと雪は笑って。
「テレサさんが迷子になったりしないように、私がちゃんと見ててあげます。
ついでに…誰かに声、掛けられたりもしないようにね?」
そう言って、やっぱり笑って。
だから…古代と一緒に、何処かで待っていてくれれば良い…と。
「いや…だから、俺は…」
雪の言った理由では、全然…とまでは言わなくても、心配している訳では無くて。
けれども…本当の理由をどうにも、説明も…出来ないから。
「お前、迷子になった子供みたいな顔してるぞ?島?」
雪に話してしまえば、間違い無く…古代まで聞こえてしまうから。
どうしても目立ってしまう彼女の外見と、それを記憶してくれるだけの人の多さを。
「…煩い」
何も起こらない…という確率を引き上げてくれるものだと、自分への言い訳にして…戻って来て。
2人して、殆ど出歩かないのは。
それぞれに、不安を抱えている所為。
古代にも、雪にも言われてしまうほど。
離れて居られない、離れてしまっている事がこんなにも神経を逆撫でていくのは、ただ。
自分自身が、どうしても…信じ切れない所為。
話してしまえば、きっと…気は楽になる。
それは…分かっている。
けれども、それは。
話した相手に、自分の抱えるべき負担を押し付けてしまう事になる、と。
それも…もう、既に分かっているから。
…だから。
こうやって、万が一…をどうしようもなく考えてしまって、苛々として。
胃の痛くなりそうな永い時間を、それ以上に永く感じて。
「座れよ?
どうせ…長いぞ?雪の買い物は?」
時間の割に、そう…買い込んでくる訳じゃないけどな。
慣れている奴は、あっさりとそう言ってくれて。
「…放っといてくれ」
苛立っていても仕方が無い…とは、承知の上でまだ。
どうしても、落ち着けないでいる自分。
◇
◇
◇
◇
話し掛けてくる雪の言葉に応えて、微笑ってもいるけれども。
その合間の…少しばかり、不安げな表情。
人波の向こうから、雪が…彼女を連れて戻って来てくれて、それを…見付けて。
溺れていた水中から、引き上げられたくらいに大きく息を吐く。
どうしようもないほどの、安堵感。
「何、買ったんだよ。こんなに…」
当たり前のように、雪の手から荷物を受け取って。
「後で、ね」
そんな会話をしている2人を、横に見て。
疲れてないか…と。
酔いそうなほどの人の多さにも、普段に無く長く歩いた距離にも、そう問えば。
「…いいえ」
と、ただ一言。
さっきまでの、不安げな表情など…何処かに捨ててきたように、微笑って答えて。
…抱き締めていた、きっと。
この場に、誰も…居なかったなら。
あまり…地上には居ないから。
何処に行くか…なんて、どうでも良いのよ。本当は。
同じ場所で、同じ空気を。
一緒に居られる「時間」の方が、大事なの。
それが…少しでも永いなら、それだけで良いのよ。
…それなら、2人で居れば良い。
最初から。
俺たちを誘おうなんて、思わずに。
今の所の俺は、彼女と共に地上(ここ)に在るけれども。
一緒に居られる時間が永ければ、永いほど良い…その事だけは、痛いほどに分かり過ぎてしまうから。
傍に居たい、居て欲しい。
それ以上に…心の、安寧が欲しい。
彼女を護りたい、今度こそは。
何事も無く在って欲しい、ただ…それだけを。
過ぎるほど強く願わないと、叶わないような気がして。
上手く立ち回らないと、その確率を下げるだけのような気もして。
だから、こうやって「外」に出るだけで、こんなにもひどく疲れて。
彼女を、人波に手放す事がここまで…不安を掻き立ててしまって。
だから…「外」に出たくない。
「外」に出ている今が、これほどまでに…きついから。
◇
◇
◇
◇
「いつも…こんな感じか?」
雪の気分次第、止まってはまた走る車。
いや…走る方向さえ、雪の指差すまま。
「…何が?」
それなのに、肝心の運転手はそんな事を疑問に思わないのか、それに気付いてないのか。
暢気な顔をして、問い返してくるくらいで。
「…分からないなら、良いよ」
「だから、何がだよ?」
そんな繰り返しで、そろそろ陽の沈もうか…という頃、海岸に出た。
棲む街が、湾の奥に拡がった都市(まち)だから、少しばかり小高い所まで登れば海を見下ろす事なんて容易(たやす)い。
英雄の丘からだって、海は眺められてしまう。
それでも、こんな風に。
波打ち際から沖を望むなんて、随分と久し振り…一度干上がってしまってからは初めて…だったような気がする。
十二分に傾いた陽射しでも、結局は夏の日。
直接照らされてしまえば、じりじりとして焼き付きそうに暑く。
それでも、昼日中の真上から振る光よりは、余程耐える事が出来て。
そこに置き去りにする車を、施錠してしまいたい運転手に追い立てられるようにして、仕方無く砂浜に。
泳ぐ事を目的として、もっと早い時間からそこに居たらしい数人と、擦れ違う。
「もっと早く来れば、私たちも泳げたのにね」
ここに辿り着いたのも、別に予定していた訳ではなく。
予定していたとしても、ここまでの時間に散々寄り道をした張本人が、あっさりと言って。
靴の中に紛れ込んでくる砂に、軽く痛みを感じてしまうから。
向こうの2人は早々に、脱いでしまっていて。
それを真似る訳ではないけれども、2人には遅れて俺も…彼女も。
元々、歩きやすいとは言えない砂の上。
初めて歩く身にとっては、尚更。
「これは…全部、水なんですね」
ようやくに辿り着いた、波打ち際の濡れた砂の上。
彼女は…そう言って。
そう言われてしまうまで、彼女にとって海を見る…という事が、初めてなのだと思い至れなくて。
少しばかり意外そうな、珍しげなその表情に、改めて。
本当に彼女は、殆ど官舎から出た事の無い…という事を。
自分には、至極当たり前な、青空に雲が姿を移していく事さえ。
飽きもしないでずっと、眺めていられるほど…地球(ここ)には、彼女の見知らぬものばかりが有るという事を。
…今更。
とても、強く。
一際強い波が、彼女の足下まで。
突然の、足首までを浸(ひた)した水の感触に驚かされたようで、軽く…しがみ付いてきて。
「…生きているようですね、まるで」
幼い子供の言ってしまいそうな、素直で可愛らしい感想を。
水際(みぎわ)を裸足で。
飽きもせず寄せては返す波が、足下の砂を静かに動かしていく。
さらさらと優しく、足をくすぐって通り過ぎていく。
そんな君は…少しばかり、嬉しそうだから。
だから…こっちまでもが、随分と…幸せで。
約した事を、忘れた訳ではなく。
ずっと…同じ、傍に居たい、護りたい。
その為に、自分の…何かを犠牲にしてしまう事も致し方無い…と思っていた。
そうして、そんな気持ちは今でも変わらないで、そのままで。
それでも、その為でも。
君の何かを、置き去りにしてしまう権利は…俺には無いから。
そんな事に、今更…やっと気付くから。
大切な事も、ゆっくりとでないと気付けない自分。
他人に指し示してもらわなければ、迷ってる事にさえ気付けないで居る自分。
それでも、君は…ここに居てくれるから。
俺の…傍に居てくれるから。
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Last Update:20040714
Tatsuki Mima