雨:02

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    良く降るわね…と思いながら、窓ガラス越しに空を見上げた。
    …でも。 降る方が普通なんだわ…と、思い直してもみる。 だって…数年前には、太陽にひどく晒されて雨など降らなかったのだから。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    …どうしましょう? まだ降る空を眺めて、そう独り事(ご)ちる。
    落ちる雨に…では無く、同じ建物の中に居る人を待とうか…どうしようか、と。
    秘書という仕事を選んでしまっては、定時…なんて有って無きが如きもの。 附いている参謀(ひと)の所為で、普段からあまり遅くならずに帰宅出来る事の方が例外的なほど。 そんな上司でも、本当に定時に解放してくれる事なんて…滅多に無い。
「ああ…良いんだ。 この後…どうせ科学局(となり)で、局長相手に議論(けんか)吹っ掛けてくるだけだからな」
    犬か猫でも追い払うような仕草で、定時に本当に執務室(へや)から追い出されてしまった。
    防衛軍広しと言えども、科学局長を捕まえてそんな口利きの出来る者は、殆ど居ない。 その人が科学局長…なんて地位に置かれる以前からの友人、ごく数名…くらいだ。
    ああいうのを「類は友を呼ぶ」…ではなくて、「好漢、好漢を知る」…と言うのかしら? どちらにしても「似たもの」…である事は、間違い無いのだけれども。
「…何してるんですか?晶子さん?」
    ちょっと…元から外れた事を考えていた時に、待とうか…と思っていた人に声を掛けられて、私は…ほんの少し驚いた。
「あの…いえ、何でも有りませんわ…」
    そんな…雨の降り続く日の、司令本部の玄関先の夕方だった。

    内心、違うだろうなあ…と思いながらも訊いてみた。
「何処かに、お遣い…ですか?」
    何故なら、守がどこかに誰かを遣いにやる時は、その8割方は何故か相原に廻ってくるから…である。
「…僕。通信技官で、秘書でも雑務でもないんですけどっ?」
その度ごとに本来の仕事を中断しておいて、一応は文句の一つや二つ言ってみるのだけれども。
「使い勝手の良い奴を使って、何が悪い」
…いつでも、あっさり一蹴…である。
    守の曰く。
    司令本部内に居る…呼び寄せやすい人間の中で、その場所や相手の説明を一番しなくて良い人間…なのだそうだ。 まあ…それも確かに。 元がヤマトに関わっていた分、現在の階級の割には軍のトップクラスに認知されているのは、事実だ。
「いいえ…今日は、もう終わったんです」
「…え?そうなんですか?」
    晶子が定時で終わるなんて、殆ど無い。 だから、相原は素直に驚いた。

「そう…で、何か不都合有るのか?」
    ひどく近い、後ろ上方からいきなり声が降ってきた。
「…どうして、そう…露骨に驚く?」
「お…どろくなって方が、無理ですっってばっ!」
    知らず…参謀職が真後ろに立っていたら、底辺層階級の者なら多少なりとも慌てふためくのが普通で、当然だ。 つまり…相原も晶子も、ごくごく普通の反応を見せただけだ。
    まだ、雨は止みそうにはない。
「…傘、持ってるか?藤堂?」
「え…あ、はい…」
    問われて晶子は、通勤に使っている少し大振りの鞄から、折り畳みの傘を取り出して…つい、そのまま手渡そうとして。
「なら、良いな…相原。貸せ」
だが、そちらは無視したように。 言葉とほぼ同時に守は、相原が手にしていたごく普通の…折り畳みではない傘をもぎ取るように。
「ちょ…っ、僕に濡れて帰れって言うんですか…っ?」
    雨足は、さほど弱くも無い。 そんな、相原の当たり前の抗議も。
「同じ官舎(ばしょ)に帰る連中に、傘が2つも居るか?」
やっぱり、あっさりと一蹴された。
    明日返す、文句無いだろう…と。 とっとと科学局の方向に歩いていく守を、諦め半分にしばらく見送ってしまいながら。
「…朝から、雨…降ってませんでしたっけ?」
「降ってましたわ。 今日は、ずっと止み間無し…ですわよね?」
    夫の問いに答えながら晶子は、別段降られた様子も無く居た出勤時の上司の姿を思い出していた。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    そうで無い傘に較べて、折り畳みはどうしても小さい。 女持ちの傘ならば、尚更だ。 お互いにかなり気遣いながら戻って来たが、20分足らずの距離にもそれぞれ外側にした肩はひどく濡れてしまっていた。
    朝から一度も陽が射す事の無かった今日は、初夏という季節では有ったがやはり…少し肌寒い。 雨の染み透った袖の中の腕は、すっかりと冷えていた。
「え…?ああ、まあ…僕も晶子さんよりは、肩幅も有るし…」
    身長差から、傘を持っていたのは相原の方。 そのまま畳み掛けていた背は、やっぱり…ひどく濡れていて、その事に今…気付いた。
「駄目…ですっ、着替えないと…!」
    …多分…少しだけ多く、こちらに傘を差し掛けて。 降る雨から庇ってくれたんだろう、それで無ければ恐らくは…こんなにも濡れていない。
    そこまで自分がか弱いだけの人間だとも思っていないが、男性に全く護ってもらえない…というのも、女性に生まれた以上あまり愉快な事でもない。 まして…相手は、好きで一緒になった人だ。
    だから…その事は、すごく嬉しい。
「風邪を引いてしまったら、大変ですわ…っ」
    だけど…だからこそ、自分の為に風邪なんか引いて欲しくは無い。
「いや…あの、ちょっと…っ」
    畳み掛けた傘も、仕舞い切れないまま。 普段なら揃えないはずも無い靴も構わないで腕を引く人の勢いに負けて、相原は玄関から部屋の奥に押しやられた。
    傘立てに届き切らなかった女持ちの傘は、重力に従ってぱたん…と軽い音を立てて、三和土(たたき)の上に倒れた。

    ただ着替えさせても仕方が無い…と考え直したらしく、無理矢理のようにバスルームに追い立てられて。 それから…着替えを揃えて、またすぐに舞い戻ってきて。
「きちんと、温まって下さいね」
…そう言う真剣さにちょっとばかり…気圧(けお)されて、素直に頷いてはみたものの。
    降り続けた今日の雨は確かに少し冷たかったし、濡れた服は張り付くようにまとわり付いて鬱陶しい…とも思うけれど。 別段、寒い…とまでは思わない。
    雨に打たれた制服の上着だけは、疾(と)うに脱いでしまっていたが。
「着替えるだけ…で済ませたら、怒られるかなあ…」
そこから先、妙に考え込んでしまっている相原だった。

    さて…と、自分だって肩や袖は濡れてしまっているから、慌しげに着替えて。 それから冷蔵庫を覗いてみて、一つ…首を傾(かし)げる。
    19時くらいに仕事が終われば、今日は早く終わった…と思ってしまうような晶子だ。 殆ど定時上がりで、たまに残業が有ってもせいぜい1時間…なんて相原に引き較べてみれば、確実に帰宅は遅い。
「簡単な…似たようなものしか作れませんけど、ね」
だから…休日でも無い限り、夕食を用意しているのは殆どが相原の方だったりもして。
    家事は女性のするものだ…しなきゃならない…なんて、晶子だって思っていない。
    料理の作れない訳じゃない、ただ…帰宅時間の差に甘えてしまっているだけだ。 帰って来てから支度をする事は厭わないが、それだと食事の時間が遅くなり過ぎたりもする。 多少なり疲れもして戻って来てすぐ…に、食事の出来る事は有難くもある。
「ええ…と…」
    だから、強いて私がしますから…とは我を張らない。 だが、それを申し訳無く思っていないじゃない。 せめて…肩を並べて帰ってきた、今日みたいにひどく早く戻る事の出来た日くらいは…と。
    一旦、冷蔵庫の扉を閉めてしまいながら、天井に…宙に視線を彷徨(さまよ)わせて、また一つ…首を捻(ひね)ってみた。

    無駄に長く考えているよりは、とっととシャワーを浴びてしまった方がマシかな…と。
「…何してるんです?」
それなりの時間の過ぎてから出て来たら、晶子がキッチンの床にぺたん…と座り込んでいた。
「…メニューが思い付かないんです」
    すぐ傍まで来て見下ろしている相原を、ひどく見上げてしまいながら。 困ったように、そう答えて返した。
    実を言えば、2人の料理の仕方はかなり違う。
    独り暮らしもそれなりに永かったから、相原の方は「今有るものから、何が作れるか」…を考えられるが。 メニューから材料を考えてしまう晶子には、それがなかなか出来ない。
    「あれが無いけど、まあ良いか」…と思えるのと、「これが無いから作れない」…と考えてしまう事の差だ。
    だから、ついさっきの晶子の言葉は、メニューは幾つも思い付くのだが、今有るものでは何も作れない…と言う方が正しい。
    料理を作る事は好きだし、楽しい。 出来上がったものを美味しいと…好きな人が言ってくれるのなら、もっと嬉しい。
    …だから、困ってしまっているのである。
「じゃあ…買い物に行きましょうか?」
    そんな事なら今更、強く説明されなくとも既に分かってしまっている事。 その事には、苦笑しながら。
「雨は…まだ降ってるから、車の方が良いですよね」
半分、独り言のようにもそう言って。
    当たり前のように、こちらに手を伸ばしてくるから。
「はい…そうですね」
晶子の方も苦笑しながら、その手を取って。

        ◇     ◇     ◇     ◇

「お前…何をしに来たんだ?」
「ああ? 俺も、つい今まで司令本部(むこう)で仕事してたんだ。 休憩くらいさせてもらっても、罰は当たらん」
    椅子の背に大いに踏ん反り返って、飲み物を供する事を要求するような相手である。 罰くらい…こいつの方が他人(ひと)に当てるんじゃないか…と思ったが、黙ってはいた。
「…休憩か?俺はてっきり、論議(しごと)しに来たんだとばかり思っていたが?」
    それを言うなら、こちらだって今まで真面目に仕事をしていた身だ。 一方的に威張られる筋合いは、無い。
「仕事もしに来た、当然だ」
「だったら、とっとと済ませて…くれ」
    とっとと済ませて「帰れ」…とは、かろうじて言わずに抑えた真田だった。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    一緒になる前には、せっせとシフトもずらして休みを合わせてみたり…もしたが。 流石に現在(いまは)、そこまではやらない。
「後は…牛乳と、それから…」
    だから、こんなちょっとした外出も、しばらく振りのデート…のようなもので。 どうでも良いような事を話しながら、肩を並べて歩く…そんな事がすごく楽しい。
    どちらかが仕事を持っているだけで、起きている半分ばかりは一緒には居られない。 部署は違っていても同じ建物の中に居られるから、たまにはすれ違ったり…もするが、それまで。
    昼休みも合わせられない忙しさに、それ以外なら会話する余地もあまりは無い。 だからこそ。
「…冷蔵庫に、全部入ります?これ…」
「え…と…今晩使いますから、多分…」
…今のような、少しばかり間抜けた会話さえ…楽しくて。
「あ、待って…今、開けますから…」
    これから官舎(いえ)まで、ほんの数分のドライブだ。 それも…やっぱり、少し楽しい。

    厚く、低く垂れ込めた空に。 錯覚してしまいそうだが、まだ夕方…とも言って良い時刻だ。 晴れた日なら、まだ夕焼けの赤さの充分残っている時刻。
    余程手の込んだものを作ろうとしない限りは、遅くならずに夕食を作ってしまえるだろう。

    私が作るんだから、手伝うな…と言われてしまって。 はいはい…と苦笑してしまいながら、黙って…手持ち無沙汰に座っていて。
    かたかた、ことこと…と小さな音が、キッチンの方から聞こえてくる。 内容までは知れないけど、時々…何か独り言も呟いていたりもして。
    ちら…と覗いてみれば、慌しげに…でもちょっとばかりは楽しげな背。 まあ…良いか、なんて見ているこちらも何となく…楽しくて。
    変な感じだなあ…と、また苦笑する。
    だって…親から離れてしまったのは、もう12年の以前(まえ)。 艦内に他人(ひと)と居たりもしたけれど、独り暮らしもその間の8年ばかり。 1人で当たり前だと思っていた空間に、現在(いま)…家族が居るなんて。
    こんな風景にも、いつか…慣れるのかな、と。 嫌だ…なんて事もたまには思ってしまうほど、一緒に居るという事がいつか…当たり前になるのかな…と。
「…何なんです?」
    出来上がりを手にしたまま、苦笑しているこちらを訝(いぶか)しげに訊ねてくる。
「何でも無いです」
そう言って、また…笑うのをどんな風に思っているんだろう?

        ◇     ◇     ◇     ◇

「え〜? お義父さまの研究室(ところ)に行くんなら、私もついてったのに〜」
「…勝手に行けよ、お前は…」
    喧嘩…では無く、議論…の合間に多少の無駄話も紛れ込ませつつ。 守にしては随分と早い時刻に戻って来て、娘とそんな会話もした、その翌朝。
「…これ、誰の傘? お父さまのじゃ無いわよね?」
    やっぱり今日も、雨の落ちそうな空模様に。 自分の傘を取り出そうとして、サーシャが気付いて問うてきた。
「相原」
「え〜? 忘れて、借りてきたの?」
    …昨日は結局、夜中まで降っていた事をすっかり失念しているサーシャだった。 降っていて、傘を置き忘れる人間はそうは居ない。
「無理矢理借りたが、忘れてはいない。 置いてきたんだよ」
「…何よ?それ…」
「その方が面白そうだったから…だ。 文句有るか?」
    至極当たり前の事のように、堂々として言い放つ父親に。
「…無い」
思わず、素直に答えてしまった娘だった。

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Tatsuki Mima