嵐:02

NovelTop | 第三艦橋Top

    嵐が来る…と、天気予報は伝えていた。
    空はまだ晴れて陽も射していたし、今はまだ風も強くないが。 その予報が正しいのだ…と言うかのように、雲はとても早く流れて行く。
    地形の大いに変わった事で、すっかりアテにならなくなっていた天気予報も。 この数年のデータの蓄積の所為か、もう少しは的中(あ)たるようにもなっていた。
「もうすぐ…還って来るのに、ね?」
    それは、独り言…だが。 そうではない…とも言えた。
    部屋の中には彼女だけではなく、今の所ご機嫌良ろしく眠っている…起きていても、まだ言葉なんて分かりはしない乳児も1人居たからだ。
    まだ何のリアクションも無いのだが、呟いた言葉が本当に独り言に終わらず、誰か「聞いていてくれる者が居る」というだけの事なのに。 何だか…以前よりもはっきりと、あれやこれやと言葉にするようになった…とは、自身でも可笑(おか)しく気付いていた。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    着陸直前の、慌しさ。 途端に頻度を増す、地上との通信。

    着陸地の天気予報など、疾(と)うに知れている。
「雨は結構ひどいですけど、風はまだ…そう大したもんじゃないですよ?」
だから、現在の天候を問うたら。 管制からはそんな感じの、如何にも「何でも無さそう」な言葉が戻って来て。
    当たり前のように頷き…掛けて、慌てたようにその「詳細」を問い願ってしまう辺り。 この輸送艦の艦橋勤務者は、元は艦長と同じ艦に居た…という只今の担当管制官の「艦艇の航行に関する感覚」が、自分たちと少しばかり懸け離れている事を良く分かっていた。
    …何しろ、その…似たり寄ったりな感覚の持ち主が、艦橋内に居るのだから。 とても、良く。
「徒歩や、車で出掛けたくない程度の雨で。 小型機の離着陸なら多少気も使うけど、艦艇ならそうでも無い…って程度の風です」
    つまり、出掛ける気を失うほど雨は「ひど」く。 艦艇に較べて風に煽られやすい小型機の離着陸に、注意を払わねばならないほどに風は「強」い…という事だ。
「ああ…それなら、大した影響無いだろうな」
「だから、最初に言ったじゃないですか」
    艦長と担当管制官の、そんな平然としたやり取りを聞きながら。 世間一般ではその程度だと、十二分に「暴風雨」と言うんですよ…と。 内心、思いっきり突っ込んでみる艦橋乗員たちだった。
    だが、そう思いつつも誰も口にはしなかったのは。 この規模の艦で、その程度の嵐で、易々(やすやす)風に引っ繰り返されそうになって着陸を諦めるほど、腕も度胸も無くはない…とも思ったからだ。

    厚い雲を抜けた途端に、艦は流石に強い風に煽られた。
    …と言っても、ジャイロにはっきりと警報(アラート)の出るほど艦を傾かせた訳でもない。 操舵手には、握った桿にいつに無い抵抗を感じて、確かに…少し操艦しにくいかな…と思わせた程度で。 それ以外には、ほんの少しの振動を感じさせた程度だ。
    そこから着陸まで、管制からの指示に逸(そ)れる事も遅れる事も無く。 艦は、宙港の定められた位置に降り、手順に従って機関を停止した。
    貨物室(ペイロード)は、ほぼ一杯。 担当がそのリストと指示を、地上スタッフに電送(おく)り渡す。 それが、一般の艦艇とは一つだけ違うところ。
    それ以外は、他の艦艇の着陸後の作業と何ら変わらない。

    下艦(お)りる事の適うのは、これから…半時間ばかり先の事になるだろう。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    艦橋の中で、大田と「大した事無い」などと言っておきながら。 その同じ嵐を、下艦(お)りた後の島は「結構、ひどいな」…などと思っていた。
    …勝手な話だ。 艦内に居る時は、航行できるかどうか、その航行が安定しているかどうか…しか考えていないのに。 艦を降りた瞬間から、すっかりとそれを忘れてしまう。
    もっとも、それくらい簡単に感覚を切り替えられるようでないと、どちらか…もしくはその両方で何かしらの失敗をするだけだが。

    駐車場の、車の中まで駆け込んでから、ひとつ息を吐く。 たった…ここまでの距離で、既に服はたっぷりと雨を含んで重い。 雨の降る事を憂えて、いつでも傘を持ち歩くほどにまでは用心深くは無いから。
    管制はまだ、問題無く機能しているんだろうが。 流石に、この風雨のひどさでは外出を控えるらしい。 元々…そう通行量の多いとは言えない道路上に、他の車が殆ど見えない。

    そんな風景の中を、帰るべき場所に向かって行く。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    何かの倒れる音に、思わず肩を竦(すく)める。 だが…音は、それっきり…だった。
    一瞬の、腕の力に起こされてしまって。 きょとん…とした表情(かお)を見せた後、不機嫌そうに泣き出した子供を、精一杯にあやして宥める。
    子供の泣き声には、いつでも驚かされる。 まだ…慣れない。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    同じ道程(みち)だが、いつもより永く掛かったような気がする。 それはきっと、叩きつける雨に視界が悪く、見通せなかった所為。 時間に似合わない薄暗さに、時刻を見間違えそうだった所為。
    急(せ)きながら、玄関のドアを開いた瞬間に。 室内(なか)へ…と風がひとつ、とても強く舞い込んだ。

    …こんな時に、一体何をやってるんだ。 その景色を見た瞬間に、そう思った。 しかし、その通りを口にしたのかどうか…は、憶えていない。
「あ…お帰りなさい、島さん」
    ほんの少し、困ったような表情(かお)をして。 そう言ってきた言葉に、ただいま…と気を削がれて間抜けたように返す。
「…じゃ、なくてっ」
    今更思い出したように、一旦は足を踏み入れたリビングから出て、走りこんだバスルームでタオルを掴んで、また舞い戻ってくる。
    駐車場までを走っただけで、嫌と言うほど濡れた雨の強さだ。
「この雨風に、どうして…」
ベランダ(そと)に出るんだ…と続けようとした言葉は、実は最初っから要らなかった。
    窓を背に、髪からも服からも水滴を零(こぼ)しているテレサは。 その腕に、引っ繰り返ったらしく土に汚れた鉢を抱えていたから…だ。
「あの…風が強くて、倒れたみたいで…」
    それは、見ておおよそ分かった。 その説明は、要らない。
「だから…って、現在(いま)。 外に出て、濡れる事は無いだろう?」
    広げたバスタオルで、その濡れた髪から覆うように。
「…でも、これも生きていますから…」

    土に種を蒔けば、当たり前のように芽吹いて育って、花を咲かせる。 それが適わない時期がこの地上にも在ったが、現在(いま)はそれもごく普通の事。
    しかし…それを在り得ない事として、彼女は生きてきたから。

    だから、ほんの少しだけれども。 相変わらず、戸外(そと)に出る事には弱いけれども。
「…それは、分かるけど…」
    綺麗に育って、後は間も無くの花を待つだけ…だったはずのその鉢も。 この風に吹かれて葉が飛び、茎が捩(よじ)れて、最後に倒れた。 そうして今、テレサの腕の中で疲れた様子でうなだれていた。
    それ以上は花を傷付けないようには、充分に注意しながら。 両手の塞がったままの人の代わりに、その頬を抱えるように髪をそっと拭いていく。 一旦濡れそぼった長い髪は、それくらいでは乾くはずもなかったが。
「もう少し、収まってからでも…」
    …せめて、自分が帰って来るまでを待てば。
「これ…咲くでしょうか?」
こちらの本当に言いたい事など、分かってくれているのかどうか。 目の前にある顔よりも、抱えたものの方を余程気にした様子で。
    やれやれ…と、仕方無さそうな溜息を一つ。 うなだれた頭を軽く、ほんの少しだけ指先に持ち上げて。

    確かに、ひどく傷付いてはいた。 そのうちの一つは根元の方で完全に折れてしまっていて、これは…駄目かも知れない。
    けれども、それ以外は。 本来は真っ直ぐなはずの茎に捻(ねじ)れを残したままでも、また頭を持上(もた)げて起き上がるだろう…と。
    …だから。
「大丈夫だよ」
と、一言だけ。

        ◇     ◇     ◇     ◇

「…あの、島さん? これ…濡れてません?」
    指先に、上着の端をそっと摘み上げるように。 今更ながら、言われて気付く。
    それなりの時間を車内に居た事で、表面だけは雨に濡れた…とは分かりづらくなっていたが。 強く、斜めに叩き付ける雨に、実は思いっきり染み通っていたのだ。 見た目はどうでも、触れてみれば…何となく冷たくて、簡単にそれと知れる。
「あ、えーと…そうかも」
    そうかも…どころじゃなく、その通りなのだが。 何となく…言葉を曖昧に濁して。
「駄…目です、風邪を引いたらどうするんです?」
    そう言って慌てたように、抱えていた鉢をやっとその足下に置いて。 まだ拭い切れていない水滴を二つ三つ、それと…軽い足音をその場に残して。
    程無く戻って来たその手には、着替えが一揃い。
「…分かったから。 だから、君こそ着替えておいで?」
苦笑しつつも、大人しく受け取ったが。 どうしても…その一言だけは。

    つい、さっき。 また、再び眠った小さな耳には、そんなやり取りは残らないで。

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Last Update:20050802
Tatsuki Mima