海:04

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「ね〜、海行きたいっ」
    見事に晴れ渡った空に、穏やかな波。 何だか…懐かしい風景をこの目の前に突き付けてくれながら、娘がそう言った。
「…行けば?」
    子供の頃、海はそれほど遠くないところに在った。 仲の良い友達と待ち合わせて、自転車でちょっと突っ走ったら、もうそこに。
    だが、今は。 あの頃と変わらないような海は在りながら、懐かしい海岸は無い。 思い出ごと、いつかの遊星爆弾がその景色を根こそぎ吹き飛ばしてくれたから。
「行けば…じゃなくてっ、も〜っ!」
    突き付けていた雑誌…と言っても、性別と年齢から想像出来るような類のものでは無く、どうやら真田の所から持ち出したらしい科学雑誌、海洋環境が云々…という記事なのが、ものすごくサーシャらしいのだが。 それを空いた手で叩きながら、大いに不満を語る。
「お父さまと、お母さまとっ。 後、お義父さまとか叔父さまとか…『皆』で行きたいのっ!」
    …その「皆」の範囲は、一体何処から何処までを指すんだ…と思った守だ。

「それだけの人数が、まとまって休みを取れると本気で思ってんのか?」
    年中無休、24時間営業…な軍でも、年末年始に続いてやはり休みたがる人間の多いのが夏だ。 年末年始にどうしても割を喰いがちな若い連中を、中心に。
    立場や役職も、守や真田くらいまで突き詰めてしまえば、また1日ぐらいの事なら簡単に休みも取れなくは無いだろうが。 年齢はまだ大した事無いくせに、中途半端に部下を抱えてしまった古代や島辺りが、逆にものすごく難しいだろう。
「お父さまが手を廻せば、簡単だと思うけど」
「…おい」

        ◇     ◇     ◇     ◇

「海…ですか?」
    話を持ち掛けられて、テレサがその首をわずかに傾(かし)げてみる。 訝しげにも不思議そうにも見えたその表情に、サーシャが問い返した。
「あ、行った事無い?」
「いえ…海なら、一度…」
    黄昏の砂浜に、一度だけ。
    夕陽を映して輝く水面は、とても綺麗だとは思った。 見渡す限りのこれが全部水なのか…と、水をあまり見ない惑星に育った身には驚くしかなかった事を憶えている。
    ただ、こんなにもサーシャが一生懸命誘うほどの何が、そこに有るんだろう…と思っただけだ。
「一度だけ? じゃあ、ねえ、一緒に行こ?」
    サーシャの勢いに押し切られて、島さんに訊いてから…とようやく言ったものの、同道を約束させられてしまったテレサである。

    テレサに較べれば、こちらは楽なものだ。
「あら、良いわね」
    流石は、この地球に生まれて育った人間である。 出掛けた海で何をすれば良いのか…なんて、当たり前の事は悩みもしない。 至極あっさりと、同意してくれる雪だった。
「じゃあ、詳しい予定決まったら教えて。 古代君には、私から言っておくから」
    その上に、サーシャの手間を一つ省いてまでくれて。

「これで叔父さまと島さんは、間違い無く来るわ」
    良し…っと、小さくガッツポーズしてみせるサーシャに。
「…知能犯だな」
と、聞こえないように呟いてみる。
    何しろ守も、同じ手を喰らったのだ。
    一度は断ったつもりのやり取りだったが、翌日にしっかりと再戦に持ち込まれた。 それもサーシャ本人がもう一度ねだりに来るじゃなく、帰宅までにせっせと吹き込んでその気にさせておいたらしいスターシャから…で。
    まあ…悪知恵でも、知恵は知恵。 馬鹿よりはよっぽどマシか、と良い方向に諦めておく父親だ。
「雪さんが来るから、お義父さまも来ると思うし」
「…は?」
    雪が来るから進が…なら分かるが、何故そうなる? そんな守の疑問も、至極ごもっとも。
    サーシャのわがままも、大概の事なら笑って了承する真田だが。 今回は、その半日付き合う時間の作れないほどちょっと忙しいらしくて、首を縦には振っていなかった…までは守も知っていた。
「だから、アナライザーに声掛けたのよ。 雪さんが『水着になる』わよ…って」
    アナライザーは、現在のところ科学局の管轄下である。 何か問題を起こせば、その責は当然局長たる真田に掛かってくる。
「そういう引っ張り出し方、するんじゃないっ!」
    参謀執務室に、その主の声が響き渡った。

        ◇     ◇     ◇     ◇

「あ、行く」
    他が航海勤務な連中ばかりの中で、珍しく地上勤務。 シフトを突付けば望む日に休みを取りやすい相原だから、滅多に断らないだろうとは思っていたが、案の定即答だった。
「太田さん、来るかな?」
「来るんじゃない? 今から言っとけば、休み取れると思うし」
    相原自身もそうなのだが、太田にしろ南部にしろ、サーシャの「これ見てみたい、あれやってみたい」というわがままには、なるべく付き合うようにしている。
    見た目のままの年月を掛けて成長出来ていたなら、もしかしたら手を引かれるほどの幼い頃までに一度や二度は経験していたかも知れない…ような事が殆どだったから。 そうして、そういう経緯を自分たちは良く知っているんだ…と思っているから。
「南部には、定時連絡受けたら言っとくね」
    まあ…途中で捕まえられなくても、どうせまた勝手に押し掛けてくるだろうからその時に言えば良いけど。 相原のぼそ…っと呟くを聞き付けて、サーシャが苦笑(わら)った。

    帰還した宙港に雪が迎えに来てくれていて、一頻(ひとしき)り「恋人同士の再会」の場面。
    だが、甘い空気もそこまで。 のんびりしたかった休日は、その全部では無いものの既に予定が作られていた事を知らされて。
「だって…サーシャが言ってきたのよ? 断れないじゃない」
    サーシャの成長の事は雪だって知っている事、つまり雪もサーシャには結構甘いという事だ。 そして、叔父である古代は血の繋がっている以上、雪よりも格段に甘い。
    予定にどれだけ不満を感じても、その大元がサーシャから出た…と聞くとそれ以上文句の言いにくくなってしまう古代である。
「でも…何で、次の出航直前なんだよ」
    しかし、文句を言いたい事が無い訳じゃない。
    古代の場合、航海と航海の隙間は10日が平均。 だが、その全てが丸々休暇となる訳では無い。 帰還後と出航前、それぞれに書類提出の必要な肩書きを持っているから、本当に休暇として手元に残るのはその半分が良いところだ。
    書類が無くたって、出航の前々日辺りからばたばたとするのだ。 海へ行く事自体がどうこう…では無く、何でその日なんだよ…とは文句を言っても良いだろう。
「島君が帰還(かえ)ってくるのが、その頃だから…よ」
    だが、雪の返事はあっさりと。
「古代君はマシよ。 島君なんか、いきなりよ?」

    さて、その島だが。
    島には、南部のようにわざわざ相原の仕事の邪魔をしようなんて気は無いし、放っておいても向こうから自宅にまで押し掛けてくるサーシャを司令本部の中に探すつもりも無い。
    従って、運が良ければ…と言うべきか。 それなりに広い司令本部の中、例え書類の受付待ちに数時間費やそうとも「知った顔に出くわさない」で済ませる事は、それほど難しくは無い…はずである。
    だが、現実は。 書類を提出して取り敢えず出てきた、航行管理部のご近所の廊下で相原に見事に取っ掴まった島だった。
「ID持ってるなら、誰が玄関ホール通ったか分かるんですよね。 警備部のコンピュータで」
「…お前、警備部じゃないだろう?」
    …で、海行きの計画を聞かされた訳だ。 既に、反論の余地の無い決定事項として。
    と言うより、サーシャにとっとと巻き込まれて、テレサがその「人質に取られている」ような状態だ。 自分だけが行かない…と断る度胸は、島には無い。
    何日何時、誰が迎えに行くから…なんて事を、反論無いものとして当たり前のように教えられて。
「…明日?」
    島の帰還予定は、実は翌々日。 例によって、隙間を突いて2日ばかり短縮してきたから…である。
「だって、島さんならどうせ削ってくるだろうと思ってましたもん」
    本来ならイレギュラーでしか無い事も、必ず繰り返すと言うならそれはもう充分アテに出来る予定のうち。 そう相原に言い切られては、返す言葉の無い島だ。
「それに…明日くらいにしとかないと、今度は古代さんが出航(で)ちゃうんですよ」

        ◇     ◇     ◇     ◇

「着替えてくるね〜っ」
    雪とサーシャと、そのサーシャに殆ど引き摺られているテレサと。 それを行ってらっしゃい…とその3人を見送る人数は、少しばかり足りなかった。
「絶っ対、覗くなよっっ!?」
「それをやったら、分解だ…とは言ってあるが」
「分解なんて面倒な事しなくても、その前に俺がぶっ壊す」
    アナライザーをこの場に引き止める…と言うよりは、脅しを掛けるのに一生懸命な人間が3人ばかり居たからである。
    その当のアナライザーはピコピコ…と忙しく表情を変えながら、ソンナ事シマセンヨ…と精一杯の弁明を。 普段ならぶつぶつ言いながらでも結局は、こちら側に廻ってくれる事も多い真田が今回ははっきり向こう側に居るので、かなり必死。
「…島さんは、あれに交ざんなくて良いんですか?」
    南部が、そういう3人と1体を指差しながら…真顔で問う。
    父親2人は、娘の。 古代は…まあ姪もほんの少し、殆どは婚約者の為にあれだけ一生懸命な訳だが。 そのサーシャと雪に、テレサも連れて行かれてしまっているのだから、南部の問うのもごもっとも。
「交ざり損ねたんだ…と思ってくれ」
    ただ、古代兄弟の素早さに先を越されて、つい…傍観する側に廻ってしまっただけ。 そんな…決して嘘でも無い言い訳に、南部はやっぱり真顔で納得したらしい様子を見せた。

「…お前、何か機嫌悪くないか?」
    南部がさっきから全然「笑っていない」事に気付いて、太田が問うてみる。
「え…?ああ…ちょっと眠いんで、そうかも」
問われてようやく考えてみて、自分のご機嫌の悪さに気付くようでは…言葉以上に睡眠の足りてないらしい南部である。
「…って、何で? 20時帰着予定…だったでしょ?」
「予定なんて吹っ飛びましたよ。 官舎(いえ)に戻ったの『今朝』ですもん」
    途中の定時連絡の中の雑談として聞かされていた分だけ、心積もりでは島よりいきなりでは無かったが。 スケジュール的には、実は島よりとんでも無い状態だった南部だ。
「…何で、太陽系内でそんなに遅れたんだ?」
    戦闘も無いのに…と、島が問う。 但し、言葉に問うのが島が早かっただけで、どうして…と思ったのは相原、太田もご同様だ。
「レーダー手と、航海士が『新人』だったんです」
「…は?」
    この異口同音は、3人共に。
    火星と木星の間には小惑星帯が拡がっている、これは常識。 土星のリングほどの密度は無いが、それでも航行の楽な空間で無いのも確かなので、大型艦は基本的に迂回していく…というのも、航行に携わる者にはこれまた常識。
    だが、パトロール艇は艦艇の中では最小の部類だ。 自動航行で無い限りは、小惑星の隙間を突っ切る方が確実に早い。
    …で、そういうコースを選んだところが。 レーダー反応の多さとそれに付いてくる警報(アラート)の頻繁さに、レーダー手が軽くパニックを起こしてしまい。 それが航海士にも伝染して、結構余裕ですり抜けられるはずの小惑星に接触事故を起こしてくれて。
「パトロール艇で、船外作業させられるとは思ってませんでしたよ。 それも、補修作業を」
    パトロール艇は基本的に何処にも寄港しない、だからその外部(そと)に出る事はまず無い。 ましてや、船外作業なんて在り得ない。
「…怒ってるよね?」
「怒ってるよな」
    相原と太田が、こそこそ…と確認し合う。
「…アステロイドベルトくらい、最大船速で突っ切れるだろう?」
    どうして「接触事故」を起こせるのか分からない…とでも言いたげな島に、例え小型のパトロール艇でも最大船速での通過は普通は無理だって…と内心で突っ込んでみたのもその2人だったが、辛うじて口にはしなかった。
    艦艇の最大クラス、戦艦でも現に突っ走れるだけの腕を持つ島に言っても…無駄な気がしたからだ。

「まあ…シャレになんないから、溺れないよーにね?」
「その前に寝ますよ、取り敢えず」

        ◇     ◇     ◇     ◇

「お待たせっ」
    女性3人が戻ってきて、ビキニ、セパレーツ、ワンピース…と普段はお目に掛かれないその露出の高さに、お…と意味はともあれ全員が思ったが。 分けても、アナライザーが喜んだのは言うまでも無い。
    そのアナライザーが思わず身を乗り出したところで、兄弟に蹴り倒された…のも言うまでも無いが。

「ね?どう?似合う?」
    くるり…とその場で廻ってみせたサーシャに、真田がぼそり…と一言。
「腹を出すと、冷えるぞ?」
「…真田さん、真田さん」
    サーシャの実年齢を思い出せば、その父親としては真田の意見も決して間違っちゃいないが、おいおい…と思わず突っ込んでみた数名。
「露出(だ)すのは、顔と腕と脚だけで充分だ。 却下」
「え〜っ?」
    守の注目したポイントは真田と一緒だったが、同じ「父親」でセリフのこれだけ違うのは何故なんだろう…とまた思った数名。

「ね、古代君。 どう?」
    ここにも、感想を求めている1人が居た。 サーシャのように廻ってまではみせなかったが、ほんの少し前屈み、下から覗き込むように訊いてくるのは…ある意味凶悪。
「どう…って、その…」
    何しろ、その水着はビキニ。 普通に真っ直ぐ立っててくれても、下着同様の大した露出度だ、惚れてる身にはかなりきつい。 それが、余計に胸の覗けるような格好をしてくれれば、尚更だ。
    大いに狼狽(うろた)えている古代を尻目に。
「雪サ〜ンッ」
「お前は出るな〜っっ!!」
素直に、正直に、雪に抱き付こうとして。 古代に思いっきり殴り飛ばされたアナライザーだったが、これは自業自得と言うものだろう。

    さて、着替えてきたのはもう1人。 こちらは、やっぱりサーシャに引き摺られるように戻ってきてすぐ、島の後ろに隠れてしまった。
「テレサ?」
    窮屈に振り返って見れば、今にも泣き出しそうな表情(かお)をしていて。 従って、その保護者がどうしたんだ…と大いに慌てたのは言うまでも無い。
「…なんです」
「え?」
    良く聞こえなくて訊き返せば、脚を見せてしまうのが嫌なんです…と、テレサはそう言って困ったような顔をしてみせた。
    …そう言えば、普段から脚をあまり晒すような服装の無いテレサである。 服に関しては雪とサーシャにほぼ任せたっきりだったからとは言え、今頃気付く島…にも困ったものだが。
「…買う時に、気付けば良かったのに」
    荷物の中からバスタオルを引っ張り出して、手渡しながら島がそう言えば。 巻きスカートよろしくそれで脚を隠してしまいながら、いいえ…とテレサが首を横に振る。
「これを着て…って、今渡されたんです」
    それは、そうだ。
    店にも付き合わされていたなら、誰が試着してみなくともマネキンの1人や2人着てみせているだろうから、幾ら何でも気付かない事も無いだろう。
    やれやれ…と島は、溜息を一つ吐いた。

「…一つ、訊いて良いです?」
    サーシャとの口喧嘩のようなやり取りの一段落するのを待ってから、相原が守に話し掛けた。
「何で、スターシャさんは『あの格好』なんです?」
    そう。
    サーシャが「お父さまと、お母さまと…」と最初に言った通り、見事「家族全員で」来ていた…のは良いのだが。 その「お母さま」の格好はいつも見掛けるまま、どう見ても海に来たらしくない。
    この辺りにでも座ってろよ…と、最初に守に言われたのをそのまま素直に。 砂浜の終わり、そろそろ草も生え始めた辺りに、にこやかに鎮座ましましていた。
「スターシャのボディラインを拝むのは、俺だけで充分だ」
「そういう意味じゃ、無いですってばっ!」
    天頂に守の拳を一つ喰らった相原だが、懲りないと言うか…訊きたい事はしっかりとまだ訊く。 ある意味、古代や南部相手で慣れている…とも言えるが。
「…そういう思考じゃ無いんだよ」
「はい?」
「海や川なんてのは眺めるものであって、泳ぐ場所じゃない…って事だ」
    どうでも良い事なので普段は忘れてしまっているが、スターシャはイスカンダルに育った人間であって、当然そこでの常識を身に付けている訳だ。
「…って、泳げなくは無いって事ですか?」
「見た事無いから、知らん」

        ◇     ◇     ◇     ◇

    …と言う訳で。
    最初っから、全く泳ぐ気の無いスターシャと。 仕方無くでも水着になってしまっている自分の姿の、どうにも情けないテレサと。
「…寝ます、俺」
睡眠不足も頂点突き抜けてしまっている南部と…を、荷物番に残しておいて。
    と言いつつ、約1名は早々に夢の中。 全くその役には立たない訳だが。

    ものすっごく基本的な事だけど…と前置きをした上で、太田が問うた。
「泳げるのか?」
「泳げる訳無いじゃない」
何故か、大いに胸を張って偉そうに答えてしまうサーシャである。
「イカルスに『プール』が有ったはずないでしょ」
    …それは、誰も思っていない。
「…じゃあ、何で海に来ようと思ったんだよ?」
「来てみたかったから」
    実にあっさり、きっぱりと答えられて、何か違う…と唸ってしまった太田だ。
「これだけ人数が居れば、誰か教えてくれると思ったし〜」
「まあ…俺らはまだ、小学校の頃に水泳の授業有ったけどな…」
    そう。
    地下都市に追い遣られてからは、水はかなりの貴重品扱い。 従って、水泳の授業なんてとんでもない…という時代もあって。 太田たちから3年くらい後の世代から、ろくに泳げるようにならなかったうちに泳ぐ事自体が出来なくなった為に、泳げない者は本当に徹底的に泳げない。
    泳げない者が全く珍しくないからこそ、威張っていられるサーシャでもある訳だ。
「じゃあ、教えて?」
    そのお願いは、教えるほど上手くない…と逃げられた。

「死なない程度に2、3回溺れりゃ、嫌でも憶えるだろ」
    あっさりとそう言ってくれた実父に、お父さまに習うのは止めておこう…と思った娘である。

「こういうとこ来てて、錆びないの?」
「錆ビマセン」
「…って、泳げないでしょ?」
「泳ゲマセンガ、潜レマスヨ」
「それって…沈んでるだけ、って言わない?」
    …全くもって、不毛な会話である。

「泳げなくは無い」
    問われて、きっぱりと。 だが…実に微妙な言い方をした真田に、当然のように突っ込んでみたサーシャだ。
「普通の人間と『比重が違う』からな、そのままじゃ『浮かない』んだよ」
    言われてみれば、なるほど。 流石に我が義父の事だから、サーシャにそれ以上の説明は要らない。
「…って、これ。 『いつもの』じゃない訳?」
つい、その腕を捕まえて、他人だったなら相当に無遠慮な事を訊く。
「そんなもの作る暇が、有ったと思うのか?」
    …これは、お義父さまも駄目か…と仕方無く諦めた。

「…何で、僕に来るんだよ〜っ」
    そう言われても、もう他にアテが無いのだから仕方が無い。
「古代さんとか…島さんはっ?」
「え、う〜ん…怒られはしないと思うけど。 教えて…って、言いにくくない?」
    見れば、古代は雪と一緒に…は結構なのだが、もれなく後をついて来るアナライザーを追い払うのに忙しそうだ。 島は、島でさっきから。 精一杯テレサを宥めているようだが、どうやら一向に首を縦には振って戴けない様子だ。
    あれに割り込んでお願いする勇気は、ちょっと…起きない。
「…分かるような気はするけど、嫌」
「え〜っ、何でよ〜っ?」
    他にも、泳ぎにものすごく自信が有る訳じゃない…とか、もう少しもっともらしい理由も有るのだが。 それより、何より。 後ろの方で守が、思いっきり睨み付けてるのが分かるから…とは、あんまり言いたくない相原である。
    …そんなに「露出の高い我が娘」に「男性」の近付くのが嫌なんだったら、もっと本気でこの計画潰す方向に動いとけば良いのに。
    そうは思ってもそうと言えない辺りが、守と相原の肩書きと階級の差…である。
「南部が起きてから、教えてもらえば?」
    守と南部を較べるなら、どちらが「後が怖くない」か…は考えるまでも無い。 現在睡眠中で反論のしようの無い人間に、勝手に振って責任を回避しておく相原だった。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    誰も教えてくれない…ごく一部にはあんまり教わりたくない…ので、止むを得ず波打ち際での「水遊び」に徹していたサーシャだったが。
「も〜っ!いつになったら起きるのよ、南部さんは〜っ!」
陽が南中するに至って、ようやく痺れを切らした。
    気温の上がり切らない朝のうちからやって来ていたのだから、既に3時間。 なかなか良く、我慢した方だ…と言えるだろう。
「放っといたら、いつまででも寝てるぞ? 南部は」
「え〜? だって…」
    そんなの、嘘だ。 真っ先に、そう思ったサーシャである。
    何故なら、イカルスから地球までの往復を同じ艦橋の中に在(い)た。 その往路の、昼夜問わなかった戦闘に一度だって欠けていた事は無かったのに。
「『乗艦勤務中』だろ、それって。 仕事が無くて予定も無かったら、ホントに1日寝てるぞ。 こいつ」
    太田に重ねて言われて、う〜ん。
「予定有るじゃない。 海に行こう…って」
「だから『来てる』だろ、ちゃんと。 泳ぎ教えてくれ…とは言われてないし」
    どうでも良いが、このやり取り。 すっかり寝てしまっている南部のすぐ傍で…なのだが、サーシャのトーンがかなり甲高くなってるにも関らず、未だに起きる気配も無し…だ。
「…相原さ〜んっ?」
「今、起こすってば」
    起きないと分かってて、教えてもらえって言ったわね…とサーシャの恨みがましい言葉の続かないうちに、相原がした事は…南部を揺り起こすじゃなく携帯を引っ張り出す事。
「…って、何やってんのよ?」
「叩き起こすより早いから、南部の場合」
    大いに反論したそうなサーシャを言葉に抑えてながらも、手は操作に掛かっていた。

    そうして、荷物の山の何処かで着信音が聞こえた。

    傍で2人がこれだけのやり取りをしていても、本当に身動(みじろ)ぎもしなかった。 明らかに、南部は熟睡していたはず…である。
    …ところが。
    1度目も鳴り終わらないうちに、たった今まで伏せていたはずの頭を起こして。 余人にはその音が何処から聞こえてきたのか方向掴めなかった…のに、流石に自分の携帯、しっかり取り上げて開くところまで。
    今まで伊達に、警報(アラート)や電話での呼出に叩き起こされてきた訳じゃない。 これくらいの反応の素早さを見せなかったなら、これまでの何処かで撃沈(しず)んでいたはずなのだから。
「おはよ」
「…こういう起こし方、しないで下さいよ」
    画面に出ている、誰からの電話なのか…の表示。 その当人が目の前で携帯持ってそんな事言ってくれれば、まだ目覚めていない頭でもただ起こされただけ…なのは一目瞭然。
    だからこそ、打っ伏していた状態から肘を突いて頭起こした時のままの格好で、不機嫌そうな表情(かお)して掛けてきた相原を見上げていた。
「でも、もう昼だよ」
    言われて、改めて携帯の画面で時刻を確認する。
「…まだ、3時間じゃないですか〜」
「3時間『も』、だよっ」
    これは相原の言う通り、仮眠で3時間は如何にも寝過ぎである。 しかも傘の下とは言え、この季節の好天の屋外で水分補給もしないまま…だと別の問題も出てくる。
「ほら、良いからさっさと起きるっ」

「泳ぎ…って、泳げなかったんですか?」
「泳げると思ってた訳?」
    起きた時から…と言うより、寝ている間から…だったが。 ずっと眼鏡を外しっ放しの南部を、珍しいなあ…と思いながら見ているサーシャだ。
「小惑星(イカルス)の何処で泳ぐのよ」
    その南部の問いには、朝のうちに太田に言ったと似たような事を言って答えた。
「…で、何処まで出来るんです?」
    顔も髪も洗うし、シャワーも使うから「顔に水の掛かる事」は平気だが、どうやら「水に顔をつけた事」は無いらしい。 つまり、ものすごい初歩的な部分から教えないとならない…という事。
    思わず南部は、溜息を吐いた。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    時刻も午後になった事だし、南部も起きた…と言うより起こされてしまったし。 じゃあ、食事にしようか…という事に。
「食べたっ」
    早々に終わらせて波打ち際にとっとと戻ろうとするサーシャを、古代が慌てて引き止める。 そこを雪が代わって「食後すぐに、泳いじゃ駄目」と諭しておく。
    なかなかのコンビネーションである。

        ◇     ◇     ◇     ◇

「1日中遊びまわるような、体力は無い」
    いや…体力は残っていそうだが、単に飽きただけだろう。
「『保護者』は、任せた」
娘の監督だけで無く、弟とかその婚約者とか…その他「自分より年少者」の監督責任を放棄して、昼寝を決め込む事にした守である。
    当然だが、その役を押し付けたのは友人…に、だ。
「無理を言うな、古代」
    その真田は、とうとう「事故」を装って雪に触ったアナライザーの頭を、砂に埋めている最中だった。
    いや…真田にはそうする義理も必要も無いのだが、触られた当人、雪からのえらい剣幕での苦情が来たので仕方が無い。 取り敢えず、反省した「振り」くらいはしていろ…という事だ。
「『これ』だけで手一杯だ、俺は」

    顔を水につける、その状態で目を開ける、息を吐く…までは簡単にクリアしたが。 いかにも水泳初心者らしく、見事に沈んでしまうサーシャである。
    当たり前だが、水深は腰の辺り。 多少パニクっても、脚が付くから溺れる事の方が難しい。
「人間、肺に空気が入っている限りは、力を抜けば浮くようになってるんですけどねえ」
    睡眠不足も空腹も、取り敢えず今は無いので不機嫌では無い南部だが、真面目に教えるつもりも取り敢えず…程度しか無いらしい。 わざとらしく吐いてみせる溜息が、多分その証拠だ。
「肺活量の所為かな?」
    それにまだ気付いていないのか、水面から顔を上げて、すっとぼけた事を言うサーシャだ。
「…素直に、浮輪のお世話になればどうです?」
「やだっ」
    教える側にやる気が無くとも、教わる側はまだまだやる気充分だ。 いい加減に飽きてくれないかな…と、もう一度南部が溜息を吐いた。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    居心地悪いなあ…と、朝から感じている古代である。
    まあ…それはそうだろう。 10年の年齢差に「どう足掻いても敵わない」と刷り込まれている兄が後ろに控えているわ、自分で遊んでくれる口さがない連中も一緒だわ。
    それでいて雪は、この…見事な露出度だ。
    古代だって普通に「男の子」しているのだから、こういう彼女の格好を視界に入れながら「他人様には…ちょっと言えないようなコト」を考えないじゃない。 だから…余計に、居心地悪く思う訳だ。
    …自業自得でもある訳だが。
    だからと言って、この場所と時間を楽しんでいない訳でも無い。 いつもの休暇のままだったら、せいぜい買い物に付き合わされたくらいで終わったはずなのだから。

    足腰に負担が掛からない…というだけで、泳ぐ事自体は全身をくまなく使う運動である。
「…ほら」
なので水から上がった途端に、それまで浮力にすっかり忘れていた重力に改めて引っ張られて、ど…っと疲労感が戻ってくる。
「あ、悪りぃ」
    島から差し出された缶を大人しく受け取る辺り、古代もそれなりにお疲れのようだ。
「雪って、元気だよな〜」
開けて一口、島の隣に腰を下ろす勢いでそのまんま転がる。
「いつでも元気だろう、雪は」
    お前と居る時は…という言葉は、故意に省く島だ。 自分の地上に居ない時の雪の様子など古代が知っているはずが無いのだから、言っても仕方が無い。
「大体…お前、真剣に泳いでただろう?」
    座り込んで軽く抱えた膝の上、頬杖突いたまま。 そこに転がってしまった古代を見下ろしながら、島がぼそ…っと。
    怒っているなどという訳では無いが、脚を晒すのが嫌だ…とテレサは朝からずっと座ったきりだ。 思い出したように戻っては話し掛け、宥めてみるが相変わらず。
    …で、結局。 昼前から、それに付き合うようにそこに座り込んでいる島だ。
    その会話の合間に眺めていて思った事を言った訳だが、全く外れていたでは無いようで。
「競泳用プールじゃないぞ、海(ここ)は」
「…放っとけよ」
砂の上から古代は、面白く無さそうな表情(かお)と声で返してきた。

「もう…っ!」
    しばらくして雪も水から上がってきたが、上がってくるなり文句を言われているようでは…どうやら古代は、雪に一言の声も掛けずにとっとと休憩に入ったらしい。
    雪にしてみれば、知らないうちに置いてけぼりを喰らった訳だ。 それは文句の一つも言われて当然だな…と思いつつ、雪に逆らう気はさらさら無いので黙っておく島である。
「泳がないの?」
    一通り古代に文句を言って終わったので、すっかり気が済んだらしい。 そんな声に振り仰いでみたら、雪が簡単に髪を拭いながらそこに居た。
「いや…まあ、ね」
    問われて、苦笑するしか出来ない。
    朝からずっと、そこに座りっ放しのテレサだ。 冬に膝掛けを使うように、バスタオルで脚をきっちりと隠してしまっているのも、ずっと。
    スターシャが居るのだから、話し相手には困らなかったのだろうが…何と無く。
「…そんなに、脚出すの嫌かしら?」
    雪が、テレサを挟んで島の反対側に腰を下ろす。 そう言っている雪も、さっきまで髪を拭っていたタオルで少しだけ…だが何と無く隠してしまっているが。
「君は?」
    はっきり名指して問われた訳でも無い、どちらかと言うと独り言に近いような雪の言葉に上手く答えられないでいるテレサを助(す)けるように、島が雪に問う。
「それは…別に好きじゃないわよ、恥ずかしい…ってのは有るし」
    まあ…確かに、普通の服装でいる限りはここまで脚を…肌を晒す事なんて無いだろう。
「あの…やっぱり嫌、なんですか?」
    さっきの問いに上手く答えられなかった所為か、テレサがそろそろ…と雪に訊いた。
「嫌じゃないわよ。 『水着』だもの」
だが、雪はあっさり笑いながら、そんな回答。
    似たような露出でも下着なら真っ平御免…だが、水着なら一向に平気…だと言う事だ。 しかし、それはテレサにはどうにも理解出来ない事のようで、困ったような表情(かお)で首を傾げていた。

「…ねえ、テレサさん。 一つ、良い事教えてあげましょうか?」
    そんな様子を見ながら、雪がくすくす…とまた笑いながら。
「水に入っちゃえば見えなくなるわよ、脚」

        ◇     ◇     ◇     ◇

「…も〜」
    午前中は寝ていただけ、昼から後も海には入ったものの全く泳いでいないはず…なのだが、疲労感を全然隠す気無く戻ってきた南部である。
「こういう事は保護者が教えてといて下さいよ、保護者が」
    この場合、南部の言う「保護者」は守限定である。
    イカルスに居た頃なら真田に保護責任と教育責任が在っただろうが、今ここは地球である。 一緒に暮らしている訳でも無い。 従って、転がっている守を見下ろしながら…のご意見だ。
    上から降ってきた昼寝を邪魔してくれる声に、薄く眼を開けて…守は。
「…眼鏡無いと間抜けた顔(つら)してんな、お前」
「踏みますよ?」
    どうして、いきなり漫才になるんだろう…と思ったのは。 後から上がってきた…こちらは本気で何度も沈んで、ホントにお疲れなサーシャである。
「そんなに、ひどいか?」
    守はまだ転がったままで、そこに居る南部越しにサーシャを指差して。 それで南部は初めて、サーシャが後ろまで戻ってきていた事に気付いた。
「海難事故が有ったら、真っ先に『行方不明』になるだろう程度には」
    しかし、当人が真後ろに居るから…と口に遠慮するような南部では無い。
「浮かないんですよ、全く」
    勿論、大人しく黙って聞いているようなサーシャでも無い。
「教え方が悪いんじゃないっ、南部さんのっ!」
きっちり南部を捕まえて、きゃんきゃんと騒々しく吠え立てた。

「…ライフジャケット作っとけよ、真田」
「根本的な解決にはなってないだろうが、それだと」

    浮力に慣れた後の重力のきつさに荷物の場所まで戻る気力失せて、波打ち際辺りに座り込んでいた相原が呟いた。
「…あ〜、良かった。 関わんなくて」
    距離も多少、サーシャの声の甲高さに南部の声があまり聞こえてこないが、きっと…涼しい顔してのらりくらりとその追及をかわしているんだろう。
「『触らぬ神に祟り無し』…って奴?」
    太田が、答えてまた呟く。 大田にとっての「触りたくない神」がサーシャでは無くて、守だったりスターシャだったりする辺りが相原とは微妙に違う点だが。
「まあ…取り敢えず、あれが収まるまでは近寄らないのが利口だよな」
「…だよねえ」

        ◇     ◇     ◇     ◇

    その表情(かお)も声も、間違い無く途惑って。
「…え?」
テレサが、雪に問い返す。
「だから、水の中に入っちゃえば見えないのよ」
    問われて雪も、もう一度改めて。
    上空(うえ)から見るなら、また話は別だが。 砂浜の上から、ほぼ水平から眺める分には海面が光を反射(はじ)く為に、水中の様子は分からない。 波も有るから、尚更に。
    古代君も私も、皆泳いでたけど…どうだった? そう問い返されて、慌てて首を横に振るテレサだ。
    言われた通りに、確かに「見えなかったから」それを肯定する意味で…では無く。 実は、殆どろくに見ていなかったから…だ。
    何故なら、座り込んでしまってから後も、ずっと島がそこに居てくれて。 時折、声も掛けてくれるものだから…つい。
    島にしてみれば、1人放っておくのも何だし。 傍に居て、黙り込んでいるのもまた何だし…というつもりでしか無かったのだが。
「だから…泳いできたら?」
    スターシャが全くその気無く居るのと、サーシャのものの見事なカナヅチっ降りは、視界(め)の端でしっかり気付いていたのだから。 テレサだけが泳ぎを知っている…とは、流石に思っていない雪だ。
「教える気は有るんでしょ?島君?」
    言われて、思わず顔を見合わせた2人である。

「…そう言や、お前って泳げたっけ?」
    訓練学校の頃には既に地下だったし、無重力を想定した水中訓練は外せなかったが水練が必要だった訳では無い。 そのまま航海に駆り出されたし、その後はそれほど顔をあわせる機会も無いし…で、島が泳げるのかどうだか本気で知らない古代だ。
「茶々入れないでっ」
    見た事が無いから…と素直に訊く婚約者に、多少呆れながらもきっぱり。 ついでに膝の上に置いてあったタオルを、見事に古代の顔にヒットさせた雪である。

──教える気は有るんでしょ?
    それは、勿論。 ここまでの雨…などの「水」に対することごとく物珍しげな反応に、島もテレサが泳ぐ事を経験として知っている事は無いだろう…と思っていたのだから。
    ただ、水に入る事を怖がるなどという以前の問題。 砂の上から立ち上がろうとしない…とは、まさか思わなくて。
「…どうする?」
    こちらに教える気だけが幾ら有っても、相手に教わるつもりが全く無いならどうしようも無い。
「あの…」
    問われて、また途惑う。
    確かに、泳ぐという事の経験は無い。 だが、朝から…少しは見てきた訳だから、それがどういうものなのか一応の理解は。 正直、水に…海に対して物珍しく興味の有る分、出来るなら泳いでみたいとも思っているテレサだ。
    しかし、羞恥は興味をまだ上回る。
    どうする…と訊いてきたのは島ながら、問われたテレサの視線はひどくうろうろとして…雪にも少しは向けられて。
「古代君、向こう向いてて」
「…は?」
    分からなくて間抜けた返事をした途端に、き…っと一つ雪に睨み付けられて。 慌てて、その言う通りに余所向く古代である。
    それをしっかりと確認してから、いや…雪じゃなくてテレサが同じように確認出来るまで待ってから。
「…ほら、行ってらっしゃい。 今なら、誰も見てないんだから」
と、その背を「保護者」の方に突き放した。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    現地集合、現地解散。

    首をくるり…と廻してみる。 カリカリ…と軽い雑音が、それに交じって聞こえてくる。
「砂ガ入ッタ」
「前を向いて運転しろ、アナライザー」
    内部に…では無く、単に頭部と胴部の間に砂を噛んだだけだと分かっているので、あっさり素っ気無い返答の真田だった。

「あ〜、疲れた」
    体力的に…は、実はそれほどでは無い。 疲れたのは、むしろ精神的に…だ。
「腹減ったよな〜」
「あ。じゃあ、どっかで食べてく?」
    元々、大人しく黙り込んでいるタイプでも無い。 駐車場までのそれなりに長い距離を歩きながら、いつもの調子で暢気に話していて…その途中で、会話に加わっていないのが1人居る事に気付いた相原と太田である。
「…って、おーい」
「南部?」
    振り返れば南部は、黙っていただけでは無くて2人にかなり遅れていた。 立ち止まって、近付くのを待って、改めてどうした…と訊いてみれば。
「も〜、眠くて〜」
「…今から寝るつもりか、お前」
    太田の呆れた突っ込みも、ごもっとも。 まだ夏の陽のようやく沈もうか…という頃、子供だって滅多に眠いとは言わない時刻だ。
「って言うか、まだ寝る訳?」
    ついでに相原の言う通り、昼に起こされてからまだ数時間しか経っていない。

「…ったく、お前も車くらい買えよ」
「嫌だ」
    相変わらず、操艦がその仕事の島だ。 大きさにはどれだけの差が有るが、四輪(くるま)も輸送艦もどちらも「乗り物」である事には変わりない。
「仕事離れてまで『運転手』したくない」
    勿論、島だって免許は持ってはいるが、そんな理由で自分の車を持たないまま、今まで。
「何で…俺がわざわざ、お前を迎えに行って送ってやらなきゃなんないんだよ」
「あの…済みません、古代さん」
    ぶつぶつ…と文句を言う古代に、予想していなかった位置から謝罪の声が掛かる。 並んで歩いていた島の、そのまた向こう側から半分隠れるようにもしながら。
「良いんだよ。 古代(こいつ)は、俺に言ってるだけだから」
    いつまでも女性の扱いに慣れない奴だな…と思いながら、慌てて狼狽(うろた)えて、上手くテレサに言い訳出来ないでいる古代の代わりに、島が答えておく。
「分かってんなら、帰路(かえり)くらい運転代われよっ!」
「嫌だ、と言っただろう?」
    また2人で、今度はさっきよりも少し強い調子になっているのに途惑ってしまっているテレサに、別に喧嘩してる訳じゃないのよ…とは言っておいて。
「いい加減にしないと、歩いて帰ってもらうわよ?2人とも」
    古代の手から、キーホルダーを引っ手繰(たく)った雪だった。

    泳ぐつもりの無いらしい事は、予定なった辺りから承知はしていた。 しては、いたのだが。
「…ねえ? 朝からずーっと座ってるだけだったけど、お母さま…は楽しかったの?」
    本当に、スターシャはただ座っていただけ。 途中、転がっていた守を相手に何かしら話してはいたようだが、本当にそれだけ。
    ふと、面白くなかったんじゃないかなあ…と思って訊いてみたサーシャである。
「ええ。どうして?」
    しかし、その当の本人。 極めてにこやかに、しかも何故そう思うのか…と訊き返してまできて。
    我が母親ながら、お母さまって良く分からないわ…と真剣に思い知らされた、思考回路は100%完璧に「地球人」な娘だった。

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Last Update:20070813
Tatsuki Mima