身に過ぎた、好意と親切と優しさに…途惑いながら。
それでも、そんな事に甘えてはいけない…と思いつつも、それが居心地良く…少しばかりは癒される日々。
「…?」
見慣れぬ顔の訪問に…少しばかり当惑する。姿を見れば、医師であるようなのだけれども。
目覚めてから今まで、たった1人の医師にしか対面しては居なかったから。
「佐渡先生に、直々に頼まれちゃいましたからね」
…と微笑う顔の温かい、まだかなり若い医師とだけしか。
「貴女ですね?
他の惑星の女性と言うのは」
平坦な語調で、多分に…尖(とが)った物言いに、尚更に途惑う。
名を呼ばうでなく、真実であるとは言え…その言葉に、過分に傷付けられる。
「…はい、そうです…」
既に承知している、自分が「異邦人」である事を…今更ながらに突き付けられて。
「私と、来て戴きましょう」
もう、既に…困惑。
丁寧な話し方ながら、優しさの欠片も無く、有無を言わせぬ強要に。
それから…他人の心など読めないながらに、これほどまでに強く感じられてしまう…その負の感情に。
いつか…そう、あれは白色彗星に。
彗星帝国に感じた、傲慢なまでに誤った力強さ。
その困惑の表れた顔に苛立ったように、医師らしき男はテレサの腕を掴んで引いた。
否応無く、間近に近付いた顔に…平坦に、冷淡に。
「たかが標本(サンプル)たる貴女に、選択の権利は無い」
敵意は、恐ろしくない。
何も聞こえず、見えぬ振りをしていれば、例え…この身を滅ぼそうとも、ただ通り過ぎ去っていくものだから。
死は…恐れるべきものではない。
いずれは、この身にも仕方なく訪れてしまうもので。
一度は…贖罪の一つとしてそれを願った事も、無くはないのだから。
「…何を…?」
だが、今は…どうしようもなく怖い。
一言に悪意とも言い切れない、方向を間違っていながらも…変に真っ直ぐな…目の前に在る感情が。
自分に…体力の無い今でなくとも、振り解(ほど)く事の適わないほどに。
この手首の潰れてしまいそうなほどに、強く掴んで放さない…その腕が。
「標本たる貴女に、教える義務も無い」
再度聞かされた「標本」という言葉に、目の前の男にとって自分が…「人間」ではない事をようやく悟る。
「貴女はただ、私と私の研究の為に生きて…」
あまりに真っ直ぐ過ぎて、道を見誤ってしまい…恐らくは、限りなく狂気に近い所に堕(お)ちた思考を、痛いほどに感じる。
「死んでくれれば、それで良い」
死んでいく事など、怖くは無い。
「…嫌です」
それでも…如何な罪人たる自分であるとは言え、人間としてではなく…死んでいきたくは無い。
「私は…行きません」
人間である事まで捨ててしまったならば、それは…きっと贖罪ですらない。
「貴女に、拒否する権利など無い!」
「私は、私です。
貴方の為になど、生きるつもりも死んでいくつもりも有りません」
言葉と同時の、敵わないまでも…の抵抗。
「私は…あの人の為にしか…死ねないのですから…!」
この手を振り解けなければ…その人を待つ事すら、出来なくなってしまうのだから。
膂力(りょりょく)では敵わない、それは最初から承知していた事。
その指の一つも解けないまま、安々と引き摺られてしまい。
口惜しさに…それでもまだ、なお敵うはずのない抵抗は止められずに。
「お放しなさい…っ」
自然、強くなってしまった口調が…相手を煽(あお)るだけだと分かっていながらも、止まらない。
「…おいっ、お前…っ!」
開いたドアに、病室から廊下に運び出されてしまった所で。
そんな遠い声に、その手の力が緩(ゆる)む。
変わらず抗(あらが)い続けていた事が、自分の腕をそれから解放させる。
引き摺られて外れた医療機器が、詰所に生命反応の途絶えたアラートを鳴らしたのなどとは…まだ、気付かずに。
眠っていた時間が萎(な)えさせた脚は、自分自身を支えきれずに…その場に座り込む。
掴まれていた手首が痛い、無理矢理に外れた点滴の針の跡が痛い。
何より…いきなり戻って来た恐怖感に、胸が…どうしようもなく、痛過ぎるまでに痛い。
痛さが…ひたすらに、愛しい人の名を呼んでしまう。
声に…ではなく、心の内で。
繰り返して…なお強く繰り返して、呼ぶ。
もう…どうしようもなく、自分自身でも止められないほどに。
遠去かる足音に、近付く足音。
「テレサさんっ、大丈夫ですかっ?」
見慣れた医師の、聞き慣れた声に、ようやく…息を吐く。
そんな間にも、近付いて通り過ぎ…多分、あの男を追っているらしい足音も聞く。
「もう…大丈夫ですからね?」
治まらない動悸に、答えられないでいる耳にそんな声が届いて。
それとは意識していないだろう…当たり前の優しさが、今は…優しく感じ過ぎて…否応無く泣けてしまう。
「大丈夫ですよ。
もう…何も、起こりませんから、ね?
…大丈夫です」
自分に向けられた、悪意…だとか、狂気…だとか。
そんなものを感じないで済むという事が、それだけで…こんなに泣けてしまう。
呼ぶ人が…現れないという事が、それだけで…こんなにも泣けてしまう。
◇
◇
◇
◇
いつものようにやって来て、いつもと違う事に途惑った。
「あれ…?」
今まで一度も、この病室では逢った事の無い看護師が1人、そこに座っていたから。
病室を間違えたか…と思って、一歩下がって、廊下のドア脇の部屋番号を確認する。
「お姉ちゃん、具合悪いの?」
「いいえ…眠っているだけよ」
恐る恐る訊ねてみた事に、看護師の笑顔が戻って来てほっとする。
「まだ、起きない?」
「今…眠ったばかりだから、多分…ね」
実際にはただ普通に眠った訳ではなく、鎮静剤の投与の結果…である。
だから「多分、起きない」なのだが…そんな事まで、次郎に知らせてしまう必要は無い。
返って来た答えにちょっと残念そうでも、伊達にまだ目覚めないテレサを毎日見続けていたり…ああいう兄を持っていたりする訳ではない。
逢えない、話せない…という事には、良くも悪くも慣れ過ぎている。
手にした一輪を思い出して、既に花の活けられている花瓶の隙間に差し込みながら。
「お姉ちゃんが起きるまで、ここに居るの?」
次郎が、そう看護師に問えば。
「どう…かしら?
他に、お仕事も有るし…でも、それでもまた来るわよ?」
実を言うと…ずっと、ここに居る。
看護師本来の仕事からは外れるが…簡単に言えば、護衛の為に。
女性警備員の充(あ)てが付くまで。
だが…それこそ、次郎には伝えられない。
「じゃあ、お姉ちゃんが起きたら言ってくれる?
大介兄ちゃん、5日くらいで帰って来るって」
家族だからこそ、平時でその航海に機密性が薄い限りは、そんな問い合わせにも答えてもらえる。
それを…次郎は、今日の見舞いに持って来たのだった。
「ええ、分かったわ。
ちゃんと伝えるわね」
看護師の確約に、次郎は満足そうに笑った。
無理矢理のまどろみに…夢を見た。
闇に…捕われて、動けなくて…逢えない…夢を。
自身で、自身を縛り付けていたテレザートのように。
明るくも無く、暖かくも無く。
しかし、もし…そうと望みさえすれば、いつでも出て行ける…巨大な牢獄に…では無く。
自分の意思では、何一つも敵わない…本当の獄舎(つなぎや)に。
薬剤による眠りの、覚めた後に特有の…頭の重さに。
身体の重さまで、いつも以上に感じて。
動きたくない…何もしたくない…と、怠惰な感情。
それも、実はわずかに残る薬剤の所為。
「目が覚めました?」
気分はどうか…と問われて、悪い…とは答えられないで。
黙ったまま、静かに首を横に振る。
悪くは無い…と、その意味で。
「眠っている間に、男の子が来ましたよ」
そう言われて、ああ…そうか…と。
今日は、逢えなかったのだ…と。
そして…逢いたい…と。
…誰に?
待つ人の、幼い弟に?
それとも…待つ…その人に?
「その子から、貴女に伝言を預かりましたよ。
お兄さんが、5日ほどで戻られる…と言う事でした」
その言葉に、思わず身を起こす。
いきなり持上(もた)げた頭が少し眩(くら)んだが、そんな事に構っている余裕は無い。
「後…5日…?」
初めて、はっきりと聞かされた時間に、むしろ…それが信じられなくて、訊き返して。
「ええ、確かに。
そう言ってましたよ?」
返って来た笑顔に、本当なのだとやっと信じられて。
しかし…途惑う。
抱いた感情は…何故か、得体の知れない恐怖感。
欲も得も無く、ただ…逢いたいだけの人。
しかし…何も考えず、何も思わずには…どうしても逢えない人。
その人の所為ではなく、ただ…自分の昔と今が在る為に。
ただ…待ち続けてきたのに。
それが間近に見えて…今頃、何故、今更。
逢いたいだけの人に、ただ逢いたくて。
待ち暮らした事を、後悔さえ出来てしまうほどに…怖いと感じてしまう?
『標本たる貴女は、ただ私の為に生きて、死んでくれればそれで良い』
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Last Update : 20040326
Tatsuki Mima