運が良かった…と思う。
むしろ、良過ぎるまでに。
何も出来ないままに、失くしてしまったと思っていた…彼女は、また目の前に居て。
それを…現実として見ている自分も、確かにここに居て。
「…島さん?」
彼女の物問いたげな瞳に、何でも無い…と微笑って答える自分が居て。
逢いたい…と、あれほどに渇望していたながら。
実際目の前にすると、彼女を…真正面に見られない自分が居る。
そして、そうとは見せないように振舞う事に…疲れている自分が。
本当に話したい事は、他に有るのに。
話さなければならない事は、別に有るのに。
ひどく当り障りの無い、どうしようもなく他愛無い事だけを、記憶の中から一生懸命に探し出しては話して聞かせて。
彼女を相手に、そんな話の出来る事が楽しくあるのは、本当。
彼女に対して、そんな話をしている時では無いだろう…と思う心も、実際。
彼女は、微笑ってくれる…自分の言葉に。
ただ、今。
自分が目の前に居るという事を素直に、言葉と表情に乗せて見せて。
とても静かに、綺麗に…微笑う。
話したい事もそのまま、口に出来ないような男だとは知らないで。
本当に話したい事を、せいぜいに先延ばししようと足掻(あが)いてるような男だとは知らないで。
そんな事だけを…ただ繰り返す、そんな…この数日。
これほどまでの…申し訳無さは、何処から来るんだろう。
◇
◇
◇
◇
気付いてる、気付かない振りをしている。
それを…自分に、気付かれないようにしようとしている事にも、もう…気付いているから。
だから…気付かないでいる振りを、また今日も。
そんな事だけを…ただ繰り返す、そんな…この数日。
他人の心の内など読めないから、見えるもの聞こえるものでしか分からなくて、それも…想像でしかなくて。
思い出すのは、今目の前に居る人の…想う事の知れなかった頃。
自分の想いが「片恋」でしかないのだと、まだ信じていた頃の事。
「…どうしたら良いんだ?」
と。惑って思いあぐねたそのままの混乱を、聞かされてしまった時の事。
嬉しい…と思った、この気持ちが相愛であったと知った事が。
愛しい…と思った、どうしようもなく。
それほどまでに考え惑うほど、自分を想っていてくれる人の事を。
そして、思った。
「ここに…残りたい…」
この人は、とても…怖い…と。
何もかも失くして、もう…この身体と生命以外には、何も失うものなど無いと思っていた。
そして…失う事は、怖くないと思っていた。
まだ…失くしていないものがたくさん有るはずの人が、何もかも捨ててしまえる…と言い切ってしまえる事が。
そういう人が居るのだと知って…それが、怖かった。
そんな人を、失くしたくない…と考えてしまう自分が…どうしようもなく、怖かった。
もう…失って怖いものなど、何も…無かったはずなのに。
明らかに、目の前の人に引き摺られてしまっている自分が…怖い…と。
それならば…護ろうと。
失くして嘆く、自分の姿が怖いからではなく。
失くして構わないと言ってしまう、その人の姿を見るのが怖いから。
だから…護ろうと。
「…私も…行きます」
済みません…嘘です、私は…貴方とは一緒に行けません。
…どうしても。
…それでも。
そんな嘘が、この人から何も失わせないで済むというのなら。
幾らでも…嘘を吐(つ)きます、それを通して…みせましょう。
これ以上、この人の怖さに引き摺られないで居られるうちに。
それだから、気付いた。
また…何か有るのだ、と。
また何か、思い惑っている事が有るのだ…と。
でも…恐らくは、訊ねても言ってはもらえない。
きっと、教えてなどくれない。
想いも考えも、あの…それ以上に無いほど間際まで、何も知れなかった人だから。
…多分。
それを聞かされるのは、きっと。
何も出来ないほど最後の最後に、有難いほどに嬉しくても…どうにもならないまでに切羽詰った言葉を。
自分の知らない、他愛も無い話を。
微笑って話して聞かせてくれる事が、嬉しくて…本当に楽しくて。
だから…笑ってもいられるのだけれども。
…怖い…と思う。
どんな思いで、何を考えているのか…知れなくて。
「何でも無い」
ふ…と、その名を呼ばわってみれば、判で押したように同じ笑顔で同じ言葉を。
そして、そんな笑顔に。
自分の心は、愚かしくも簡単に誤魔化されてしまう。
本当ではないと分かっている笑顔や言葉でさえ、それが自分に向けられたものだと思えば…嬉しくて。
そんな事よりもまず、その人が目の前に居るという事からが…ただ、嬉しくて。
何を考えて、何を…隠そうとしているんですか?
また…私の事なのですか?
今度は、一体…何を捨てようとしているんですか?
愛しい…と思う事の実際が、そう思う相手の考えているままに騙されてしまう事なら…それは、それでも良い。
そうだと言うのなら…このまま、騙され続けていようと。
騙されているという振りも…そのまま、続けていこうと。
それが…今、目の前に居る人に対して出来る、多分…唯一の事だから。
◇
◇
◇
◇
「…具合悪いんですか?島さん?」
名を呼ばれた事に島が顔を上げると、そこには南部が立っていて。
「いや、別に…」
「じゃあ…何で、廊下に座り込んでるんですよ?」
当たり前のように、その手を差し出してくるから。
つい、その手を捕まえてしまって。
「何でも無い、ちょっと…考え事してただけだ」
それに引かれて、仕方なく立ち上がる。
「考え事ならロビーとか、自宅(いえ)に戻ってからすりゃ良いでしょうに…」
そこまで会話が進んで、やっと気付く。
「どうして、南部がここに居るんだ?」
「島さんに逢いに。
いや…一番は通院なんですけどね、佐渡先生が煩いから」
そう言いながら、南部は持っていたファイルを島に手渡して。
「太田からです。
あいつ、今日から大気圏外なんで預かって来ました」
渡されたファイルを開いて見ると、航海班の…訓練と帰還の報告書。
「新人連中の評価と、航海長の署名(サイン)入れて、艦長代理に廻しといてくれ…って事だそうです」
一応は仕事の話になるので、その説明の言葉は丁寧で。
古代と島の両方を、役職名で呼ばう。
「あ…あ、分かった…」
ざ…っと見ていて気付かされるのは、やはり…帰路の記憶が曖昧な事。
毎日2度の報告を太田から受けていた…らしいのに、しっかりとは…その内容を憶えていない事。
「ここ…テレサの病室ですよね?」
その名前に無条件で反応して顔をファイルから上げると、南部は真ん前のドアを指差していて。
「入らない…ってか、逢わないんですか?」
「いや、さっきまで…逢っていた、から」
廊下の向こうの角に、南部の姿が見えなくなってしまってから、また思い出したように島はその場に座り込む。
テレサの病室の、ドアの…真ん前に。
昨日からもう既に、集中治療室から一般個室に移動したから。
ガラス越しに部屋の中を見る事も出来ず、廊下に…長椅子も無く。
だから、壁を背にしてそのまま床に座り込むしかなく。
『逢わないんですか?』
言外に、逢うのが当たり前だろう…と突き付けられて。
南部から…他人から見た場合に、それが当然のように思われている事を突き付けられて。
目の当たりに逢うより、壁の向こうに彼女が居るのだ…と、ここで思う方が楽…なのはどうしてなんだろう…と。
逢いたくて、話をしたくて、矢も盾もたまらずここまで来ているのに。
部屋の中に入る事を、どうしてここまで厭うんだろう…と。
…分かってる。
強い不安と罪悪感に。
逢ってしまう事が怖くて、逢う資格など…無いような気がして。
だから、ここで逢い惑い。
逢って…いや、逢った振りをして逃げて来ておいて、そのくせ…ここからは立ち去りがたくて。
傍に、居てあげられなかったから。
護る事が…出来なかったから。
ヤマトに…乗る事など、しなければ良かったのに…と。
ここに残りたい…と思った気持ちのまま、地上に留(とど)まっていれば、今度こそは…護れたはずなのに…と。
どうして…傍に居る事を選ばなかったのか…と。
自分が傍に居れば…いや、傍に居ても…?
自分は…彼女を護ってあげられたんだろうか?
護り切れないで…目の前からまた、見失ってしまったり…しなかったんだろうか?
どうしようもなく…怖い。
彼女を失う事が、怖い。
奪われてしまう事が…怖い。
護れないかも知れない…自分が、何よりも怖い。
「わざわざ、こっちに掛けてきて…どうかしたのか?」
科学局。
外線だ…と呼ばれて、真田が受話器を取り上げてみれば、相手は南部で。
「何言ってるんですよ、真田さん。
携帯切ってるか、電池切れしてるでしょ?」
言われて取り出してみれば、確かに電源を切ったままにしてあって。
「島さん…変ですよ?」
まずは、至って単刀直入に。
「…島が?」
実を言うと、さっさと帰ってしまわず、廊下の角に消えた振りをしていた南部だった。
「そうです。
俺、中央病院の前なんですよ。今」
太田にファイルを頼まれていた事から、テレサの病室の前で逢った事までを説明して。
「…どうして、いきなり病院に行くんだ?
自宅じゃなく」
「こっちの方が、確率高いと思ったんで。
俺も、診てもらわなきゃなんないですし」
もし居なかったら、テレサに渡して頼むつもりだった…と、けろ…っとして言ってのけて。
「…で、俺と別れた後。
また座り込むんですよね、廊下に。
島さん自身は、具合は悪くない…って言ってますし、熱も無いみたいなんですが」
両方が素手だったから、体温を測る為に手を貸して立ち上がらせる辺り…周到だ。
「診察の時に佐渡先生に訊いても、テレサの状態って安定してるって言うし。
ぼーっとしてる理由が分かんないんですよね、島さんが。
…何か、心当たり有ります?
真田さんでも、古代参謀でも良いですが」
「…そこで、どうして古代の名が出る?」
守の連絡先を知らないから…と、南部はあっさり断っておいて。
「知ってそうですから、『今度も』。
2人のうちの…どちらかは」
そうでしょう?…と、畳み掛けて来る。
それには、答えないまま。
「分かった…古代に言っておく」
…結構、勘の良い奴だな…と思いながら、真田は電話を切った。
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Last Update:20040417
Tatsuki Mima