悲しい哉(かな)。
雨は降らず、降りそうも…無く。
だから致し方無く、古代に借りた車のキーを手に取って。
「…島さん?」
彼女の病室の入口で、思わず…立ち止まってしまったのは、室内に「色彩」が有ったから。
「あ…いや、何でも無い…」
色とりどりでも、ちんまりとしてさほど目立たない花瓶の花たちではなく。
それよりももっとはっきりとした、鮮やかな…彼女の服の色。
今までに、この部屋で逢った彼女はわずかにオレンジ色の掛かった、でも…殆ど白としか見えない病衣だったから。
晴れた日の空の色が、否応無く「今は失い惑星(ほし)」での記憶を呼び覚まして。
短く、簡単な謝罪の言葉。
意味が分からず、しかし問いもしないでこちらを見る瞳(め)に。
「君の…着る物の事を、全然考えてなくて…」
とてもそのままでは、外に出られるはずも無い病衣の彼女を目の前にして、外出を誘っておきながら。
そんな事も思い至らなかった自分の、間抜けさ加減に…目を伏せて。
それでも彼女は、言っている事の意味が分からないかのように、少しだけ首を傾げたまま微笑んで。
◇
◇
◇
◇
車で移動する意味が有るのかどうか、分からないような時間。
何を話すでもなく、黙ったまま。
自分1人だけなら、間違いなく…歩いた距離。
辿り着いた先は、灰色じみた街に埋没している、ありふれた…建物の一つでしかなく。
とても…相手が彼女でなくとも、わざわざ「見てもらいたい」ほどのものとは思えないもの。
それでも彼女は、促されるままに車を降りて。
弱った筋力が、見知らぬほど危なっかしく彼女を歩かせるから。
その怖さに、自分も当たり前のように手を貸して。
「人から…預かってきただけなんだ…」
一つの部屋の前で、そんな言い訳をしながら鍵を使って。
招いた部屋には、何も無く。
地球人の「住居」を知らない彼女には、この部屋は…どう見えているんだろう…と思いながら。
それでも、当たり前に地球に生まれて育った自分には、単身者向けとしては相当に余裕のある造りだと知れて。
ここが「住居」である事は、彼女も悟ったようで。
見知らぬ造りに普通の興味は惹かれたようで、壁を伝うようにしてゆっくりと見て廻る。
壁を支えにして立つ分には…危な気ないように見えたから、手は貸さないで…彼女のままにしておいて。
一渡りを見て、彼女が戻ってくるのを…気長に待って、何も無い床に座らせて。
自分はその斜め前に、彼女を…正面からは外して座り込んで。
さっきまで、一生懸命に彼女を目で追っていた事など忘れたように、彼女となるべく…視線を合わせないように。
「病院を…出る事になったら、君は…多分…ここに住む」
ここが…彼女に「当面」宛(あて)がわれるはずの部屋、いずれは…追い出されてしまうはずの部屋。
それから、忘れかけた事を思い出しながら話すように。
ひどく…間隙を持ちながら、ぽつりぽつりと。
お兄さんから聞かされてしまった、容赦の無い「現実」を彼女にも。
…少しばかりは、省いた事も有るけれども。
彼女に、彼女が地球人ではないのだと。
地球(ここ)では、彼女は異邦人でしかないのだ…と。
既に分かり切った事を、今更そう告げるのが…自分である事の、皮肉。
言葉にしながら…自分が、口惜(くや)しい。
生まれた惑星にも、独りで生きてきた人に。
今は病室に、1人で日を過ごしている人に。
その後までも…この部屋に、独りで生きていけ…という事を教えねばならない事が。
自分の本意が何処に在っても、それもまた「地球の実際」だから。
どんなに言葉を選んでも、どう…言葉を繕おうとも。
その意味が優しくない事には、何ら変わりがなく。
現実が、想いと懸け離れていれば離れているだけ、いっそ泣きたいくらいに言葉が淀む。
彼女はただ、黙って聞いているから。
何も無い部屋に、自分の言葉ばかりが零れて転がっていく。
自分の言葉の間隙に、無音がこの耳に痛くて。
それがまた、自分の中から声を引き摺り出していく。
──何故…僕が、今。
こうして、こう…と話さねばならない?
そう…と聴かされた僕自身、あれほどまでに胸が痛くて息苦しかったのに。
そして…本当に、言葉が尽きる。
全て…口にしてしまったから、もう…他に何も無く。
軽い…既視感。
──私が…滅ぼしたのです。
あの…本当を告げた時の、自分と。
今、目の前に居る人と。
困惑した横顔は俯きがちに、こちらを全然見ないままに。
その言葉は、呟くよりもまだ途切れて、囁(ささや)くよりもまだ幽(かす)かに。
聴かされて、見ていて…苦しい。
目を伏せて、耳を覆いたいほどに。
悪意有って他人を傷付ける人は、自分はその事では傷付く事など無いけれども。
他人の痛みの分かる人なら、他人を傷付けると分かっている時には、誰よりも…先に自分自身を傷付けているから。
聴かされて痛い真実なら、言わされる方はもっと…痛いから。
偽りの通用しない分だけ、何物にも覆(くつがえ)されない真実は…それだけに重いから。
…だから。
「…そうですね…」
せめて、表情と声を作って。
「本当の…事ですから」
それでもまだ、微笑う事は出来るのだ…と知らせる為に。
◇
◇
◇
◇
本当…が、いつも優しいとは限らない。
本当だから…いつでも正しいとも限らない。
少なくとも、今は。
こんなにも…息苦しいから、きっと。
立ち上がる動作に紛れて、軽い溜息を吐き出して。
痛さにまだ笑えないでいる自分の、感情に馬鹿正直なまでに素直な表情に、自分で苛立ちながら。
「まだ…見せたいものが有るから、もう…一つだけ」
それでも、彼女のようには笑えないまでも、精一杯に「普通」を装って。
差し出した手を、彼女は当たり前のように捕まえてくれるから。
その事が少しだけ、さっきまでの自分の言葉を許されたような気がして…有難くて。
思わず…ほっとして、息を吐(つ)く。
立ち上がろうとする彼女を、まだ…当たり前のように支えていられる、自分のこの手。
それもただ、今はまだ…彼女が捕まえてくれるから。
拒絶されてしまえば、もう…ただ空(むな)しく下ろすしかない。
何も押さえないままでは、今はまだ長く立つ事も。
その前に立ち上がる事も、とても難しいから。
それと分かっているように、当たり前に差し出される手が…嬉しくて。
このまま…その手を離さずに、抱え込んでしまえるなら…。
ささやか…だけれども、とても贅沢な望み。
一度は…振り切ったものだから、二度目には…突き放してしまったものだから。
護りたいと願ったあの時に、この次…を諦めたはずのものだから。
そんなはずのこの手に、まだ今も…触れていられる慮外の幸い。
在り得ないはずだった…現在(いま)。
──これ以上を望むなら、それはきっと僕のわがままでしかないから…。
──今以上を望むのは…きっと、私の甘えでしかないのだろうから…。
◇
◇
◇
◇
来たと同じ道を、引き返す。
さっきよりは長い時間を、やはり…黙ったままで車を走らせて。
また…さっきと、何も違った所の無いようなありふれた建物の前。
違うのは、敷地内に入る前に門衛の横を通り抜けた事。
ただ…それくらいで。
また…何も無い部屋。
「これも、まだ…預かっているだけなんだけど…」
ドアの前での言い訳さえ、似たような事を言って。
明らかに、先程よりも広い部屋。
造りの分かってしまう自分には、彼女と同じように見るのは初めてでも、世帯向けだ…と知れる部屋。
やはり壁を伝う彼女を、目で追う事も怠らないまま。
さっきが有るから、今度は細かい所までは見ない彼女よりも…自分の方が、余程うろうろと室内を見廻してしまっていて。
意味が在るから。
僕にとっては、この部屋には…ものすごく大きな意味が。
退院後の彼女に宛がうと予定されたあの部屋は、僕には…何の意味も無いけれども。
後を追って歩を進めないと、この部屋の造りは彼女を視界から失わせてしまうから。
自然…彼女に少し遅れて、その後をついて廻って…最後の部屋。
車を降りた時には、まだ青いだけだったはずの空は、たったこれだけの間に朱(あか)みを増していて。
正しく南面していない窓から、低くなった陽が斜めに差し込んでいて、明るくて。
あの部屋でも、一渡り見てしまった後に僕の言葉が有ったから。
多分、今度もそうなのだろう…と見当は付いていたらしくて、彼女が…黙って振り返って。
それから、少しばかり首を傾げてみせるから。
「ここは、僕が…住むようになるかも知れない…部屋」
また、きっと…長くなってしまいそうな話に、前もって。
この手を貸して、彼女をその場に座らせてしまいながら…そんな事を。
「まだ…そうと決まった訳じゃなくて…」
そして、自分も彼女の目の前にそのまま座り込みながら。
でも…やはり、視線はわずかに彼女から外したままで。
「それを…決めてしまうのは、君…だから」
「一度しか…言わない」
わがままだと承知している事を、何度も…繰り返す気は無いから。
「僕は…1人では、この部屋に住むつもりなんて…無い」
心臓の音が煩いほどに大きく聞こえて、自分の話す言葉が聞こえにくいほどに。
「今は…家族と、一緒に居るけれども」
何を言っているのか…良く聞こえない。
自分で、自分の言葉が…良く分からない。
「それが…ずっと、そのまま続いて。
それが…当たり前だと思っていたけど…」
呼吸(いき)が苦しい。
「それ以上に…家族以上に、傍に居て欲しいと思う人が…現在(いま)は居るから」
彼女が、少しだけ…身じろいだような気がした。
「…今、この部屋の中に」
また…あの惑星での、あの時のように。
全ての決定を…君にそのまま投げてしまうと分かっているけれども。
「…だから。
そう…と決めてしまうのは…君、だから」
だから、一度しか言わない。
二度とは、もう…言えそうにはないから…。
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Last Update:20040520
Tatsuki Mima