時間が過ぎれば、太陽がその位置を変えていく。
陽が動けば、いつか…夜になる。
鳴り続ける携帯を、ただ…じっと見詰めて。
「出なくても…良いんですか?」
小さな画面に表示されているのは、朝…捨ててきた「家」。
「…良いんだ、出なくても」
電源を切ってしまえば、鳴る事なんて無い。
けれども、何処からどんな連絡が有るか分からないから、それは出来なくて。
まだ鳴り続ける携帯を、そのままそこに置いて。
月さえ傾く頃に…そろそろ、その日の別れを告げねばならない時刻。
それを口にしないで済むのは、一つ処(ところ)に過ごす所為。
いつでも、傍に居る。
その事の、とても分かりやすい例え。
また、携帯が鳴る。
確認してみれば、やはり「家」からで。
また、出ないままそこに置く。
それを数回繰り返すうちに、それが何処から掛かってきているのか悟ったらしくて。
出なくて良いのか…とは、問わなくなった。
ただ…悲しそうな、申し訳無さそうな顔を見せるだけ。
無為に鳴り続けるその音を、仕方無く聴く事は…自分の罰だから。
でも、その音が同時に。
彼女までを傷付けて、罪を感じさせてしまうのなら。
やっと黙った携帯を、もう一度取り上げて、設定を変える。
「家」からの着信に「無音」を充てて、彼女の耳には知らせないように。
ここに、彼女の傍に居る為に。
家族を置き去りに捨ててきたのは、他の誰でもなく…自分。
彼女の為ではなく、彼女の所為でもなく…ただ、自分の為だけに。
その報いは、当然に自分だけが受けるべきもの。
彼女に振り替えてしまうつもりなんて、毛頭無く。
最初からそれに気付けないで、目の前の人にそんな顔をさせてしまった事は、重ねての自分の愚かさ。
自らまた、手痛い罰を引き寄せてしまうまでの、愚かしさ。
◇
◇
◇
◇
あの…約束の部屋。
あの時とは違う時刻に、調度が揃ったくらいで、見紛(みまが)うはずも無い。
病院内の「夜」は早いから、そこにしばらくを過ごしてそのリズムを身体が憶えてしまっている。
その上に、今日はいつに無い長い距離を歩いて来たのだから、疲れていて…当然。
そんな様子が表れてしまったらしくて、眠った方が良い…と。
それでも…眠ってしまえば、傍に居て欲しい人がそこに居るのかどうか…分からなくなってしまうから。
眠ってしまって目覚めたら、今が…夢で終わってしまいそうな気さえしたから。
眠ってしまいたくない、眠れない。
これほどまでに…怖いから。
「じゃあ…また、明日」
そう言って、病室(へや)を出て行く背中を見送りながら。
閉ざされるドアが、とても…恨めしくて。
この目から、その姿を見失わせてしまうから。
次の日の陽が昇っても、今去った人が来ない…戻って来ないような気までしたから。
促されるままに、ベッドの端に腰を下ろして。
見上げる人の、言葉の優しさを半分に聞きながら。
昨日まで居た部屋の午後に、この人を…見送った錯覚。
ほんの昨日まで、抱きながらも言葉にも表情にも出せなかった、本当の想い。
一緒に居る、貴方の傍に居る。
ここが、あの日の。
そんな約束の部屋だったから…きっと、私は…。
知らずに捕まえていた、袖。
途惑う声に、躊躇(ためら)いがちに名を呼ばれてしまうまで。
俯いたままで居た自分は、自身がそうした事にさえ気付いていないで。
…驚いた。
自分で気付かないほどの「無意識の自分」の、羨ましいまでの素直さに。
それから、少し…慌てた。
自分の行動に、驚かせてしまった事を。
でも…この手が、離せない。
だって…私自身は、昨日と何も変わっていないのだから。
日毎(ひごと)、ドアの閉ざされてしまうまで見送りながら、次は無いかも知れないと思っていた自分と。
日毎、そのドアから現れるを見ながら、それでも明日は無いかも知れないと思っていた…自分と。
何も。
一緒に居て欲しい。
貴方に、傍に居て欲しい。
ずっと…抱え込んできた、とても素直な気持ち。
もう、それを口にしても…良いですか?
なのに、まだ。
何も口には出せないまま、ただ…そのまま見上げてしまうしか出来なくて。
何を言っても、何をどうしても、泣けてしまえそうな気がしたから。
ただ、わがままに。
あの日の約束をもう一度、全てを塗り潰してしまうまで繰り返して、何度も何度も、言って欲しいと。
卑怯なまでに、希(こいねが)ってしまいそうだったから。
だから、まだ動けなくて。
途惑わせたまま、その袖を離す事も出来ずに。
見上げたまま、その視線を外す事さえ出来ないで。
◇
◇
◇
◇
溜息のような、軽い深呼吸。
「…傍に居るから、ずっと」
わずかに震えているような気のするその手を、逆の手で…袖からそっと剥がして。
「俺は…君の傍に居るから」
その場に腰を落として、見下ろしていた姿を逆に、少しばかり見上げてしまうほどに…相対して。
一旦は引き剥がした彼女の手を、そのまま、手離す事も忘れたままで。
何の為に、何を捨ててきたのか、今また思い出す。
「そうと望むなら、いつでも、何度でも繰り返して…約束するから」
もう、ここにしか戻って来られない。
今更…何処にも、引き返せない。
何を、言えば良い?
何と、言って欲しい?
これからも、何にも裏切られないなんて言えない。
今からは、何にも傷付かないなんて在り得ない…それでも。
他の何を捨ててまでも、自分は…何を選んだ?
今、目の前に居る人を。
遥かに異郷に出逢ってしまった人を、この故郷(ほし)の上で。
寄る辺(べ)無いと知れている人を、そんな何もかもまで承知の上で。
生温(なまぬる)い好意だけではきっと、抱えきれないだろう現実の重さと刺々(とげとげ)しさまでを、何もかも全て承知の上で。
「君の傍に居る、俺は…ずっと」
言葉では、表面をなぞるだけの優しい事しか言えない。
「そうと、君が望む限りはずっと、俺は君と一緒に居る」
軽い言葉を、繰り返すだけしか出来ない。
それでも…そんな言葉の何処にも、嘘は無い。
真実、思っている事そのままでしか無いから。
傍に居たい、居て欲しい。
…それ以上に。
君を護りたい、今度こそ…最後まで。
護ってみせる…きっと、間違い無く。
「君の傍に居る、ずっと」
目の前に在る顔が、淋しそうな表情を捨てて微笑ってくれるなら。
そんな事も、君を護るという約束の何分の一かを果たす事には違いないだろうから。
幾らでも繰り返す、同じ事を何度でも。
他に、何も出来ない…と、ただ嘆くよりは。
自分にはそれしか出来ない…と思いながらでも、それだけを、何度でも繰り返して。
距離の隔たりに、本当に…何も出来なかった口惜しさを思えば。
全然…では無い事がどれだけ有難い事なのか、悲しいくらいに知っているから。
◇
◇
◇
◇
一度は、光さえそのままでは追い着けない遠さに別れる事を、許容出来たはずなのに。
本当は…何て信じられないほどに弱い、自分の心。
同じ空間を、わずかに区切るに過ぎない壁に。
その姿が見えなくなる事さえ、どうにも耐えられないと感じてしまうまでに。
横たわる耳に、まだ。
何度も繰り返される言葉は、子守唄のようで。
手に伝わる、その温かさは。
目を伏せてまでも分かる、傍に居るよ…という約束。
他…を殺してしまったあの時から、他を拒絶し続けてきた自分に。
何かに…誰かに受け容れられる時が在るなんて、思っていなかった。
だから、そんな現在(いま)が信じ切れなくて。
泥(なず)む意識に、声が遠く…近くに聞こえて。
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Last Update:20040806
Tatsuki Mima