ver.2.x:02

NovelTop | 第三艦橋Top

    この腕を押さえる指の力の強さに引かれて、その場に…隣に座り込む。 今まで見下ろしていた人を、身長差に今度は逆に、わずかに見上げるようにして。
「…ごめん…」
    こちらが、何か問おうと。 口を開くたびに、そう…繰り返す事に気付いたから。 そうとばかり繰り返す意味を、問うてみたくて仕方無かったけれども…黙っていようと。

    きっと…この腕には、痕(あと)が残るだろう。 それほどの強さで押さえられて、当然に感じていた痛みも…今はもう、何だか遠く。 謝りの言葉を口にしている時でさえ、ただ真っ直ぐにこの…顔を見ていた瞳(め)はいつの間にか、俯いてしまっていて。
    せっかく淹れた紅茶も、どちらも口を付けないまま冷めていく。 壁の時計は微かな声で、正しく秒を刻んでいく。 窓から差し込む光に落ちる影は、見えないほどの速度で、それでも位置を変えていく。
    …時間は、有るから。
    あの惑星(ほし)に誰かの訪れを、あの病室にたった1人の訪れを。 待ち暮らした時間を思えば、いつまでだって待てるから。
    だから…無言の時間が、ゆっくりと過ぎていく。

        ◇     ◇     ◇     ◇

「…人が、死んだんだ…」
    静かだったから、やっと聞こえたほどの呟き。
「…ご存知の…方、だったんですか?」
    その様子から、そう問うのが当然だと思った。 問わないまでも、そうなのだろう…と思った。 けれども、ひどくゆっくりと首を振って。
「知らない」
…確かに、そう言った。

「逢った事なんて無い、部署も違う」
    防衛軍に所属する者として、軍内での交際範囲は…かなり特殊で、相当に狭い。
    自分のように訓練学校を経た者にとっては、そこが軍人としてのスタートライン。 積極的に、他人と関わろうとはしなかった、その場所での最初の頃。 それが結局、最期まで尾を引いて、たった1人を除いては「顔見知り」以上の存在は無かった。
    さほど永いとは考えられていなかった「未来」と、そこまでに残してきた数値と順位が、余計に周囲を取り払っていった。 この…地球という惑星の将来(さき)を口惜しくも諦めて、仕方無く捨てて、他の地に生き永らえるという事を目的にした計画の為に。
「同じ任務に、就いた事も無い」
    たった一艦での、長大な距離の往復。 員数の限られた、広くも無い艦内。 それでも、それなりの人数の中で、いきなり…頂上近くに放り込まれて。
    それはその当時、どれだけ追い詰められていたのか…の証明。 経験の永さよりも、訓練の多寡よりも…年齢よりも。 数値と、それからはじき出される確率だけを判断材料にしてしまうほどに、人的な余裕も無く、宛ても無く。 果てしなく、限り無く、その航海が「賭け」に等しかった…という事の。
「…だから、知らない」
    賽(さい)は転がって、賭けには勝った…この地球(ほし)は辛くも生き永らえたが、未だに瀕死の頼り無さ。 操艦(これ)しか出来ない、そうする事でしかこの大地を癒せない、潤す事が出来ない、だから…また繰り返して艦に乗る。 似たような艦内(ばしょ)に、一向に拡がっていかない他人との関わり。
    最初の航海が、特殊過ぎた。
    それまでには存在しなかった推進機関、現実として想像出来なかった距離、知り得なかった空間。 旅…と呼ぶには永過ぎる時間、日限の切られた猶予。 一度ならず、この眼前に…今にも触れそうなほどの背後に感じた「死」。
    そんな…極限を語って正しく理解してくれる、同じ経験を共有する者は…もう、わずかに一握りしか残されては居ないから。

「顔も知らない、名前さえ…聞いた事が無い」
    そんな言葉を、黙ったままで聴く。 言葉を挟むのは簡単な事だったが、至極単純な短い相槌で良いものかどうか、迷っていたから。
    この腕を押さえていた指は、一旦は解かれて…すぐに思い直したように、そのままの位置で今度は袖を…布地だけを捕まえていた。 わずかに引かれる袖が、左の肩を少しだけ押し下げている。 まだ、何も話そうとはしてくれなかった、随分と前から。
「ただ…同じだったんだ」
    その指の上に、この右手を重ねていた…呟くような声で、ゆっくりとして途切れがちに話し始めた、少し前から。 だから、その言葉を口にした瞬間に、捕まえてある袖をまた押さえ直そうとするように。 一層きつく握り締める手を、目では無く、自分の指に気付いていた。
「…同じだったんだ…俺と、生まれた年が」

        ◇     ◇     ◇     ◇

    人間の死…なんて、至極ありふれた事。 戦いの最中ならば、最早…日常茶飯事とまで言えるほどに。
    そうでない時であったとしても、生まれてきた以上…いつか死ぬのは定められて、逃れようの無い事。 目に触れる場所、触れない場所。 話の聞こえてくる範囲、それよりも遠い範囲外(そと)。 所を問わず、時も問わず、誰かは死んでいく。
    たまたま自分の知らぬ人も、誰かにとっては家族であり、友人であり。 だから、誰の生命が何処でいつ終(つい)えようと…誰かは必ず、その死を悼んで、悔やんで、話にも乗せる。
    その人は、訓練学校を経て、軍人となった訳でも無く。 今まで、一緒に仕事をしたという訳でも無く。
『顔も知らない、名前さえ聞いた事が無い』
だから…今、言葉にした通り。
    そのままなら…普段なら、何かの拍子に出た、単なる話題の一つにしかならないような事。 10数分ばかりも、雑談のうちとして語られれば良いような、あっさりと通り過ぎていくだけのはず…だった事。
    たった、20年ばかりのその人の歴史。
    種として滅びを眼前にした放射能にも、あの彗星にも生き永らえておきながら。 詰まらない事故で、あっさりと消えてしまうような人間(ひと)の生命。

    …そのどちらにも、もっと近しい場所で対峙して、刃(やいば)をすり抜けるようにしてまで永らえた自分は?

    未だ「生きている」からこそ、今すぐにでも「死んで」しまえる事に気付かされた、今更。
    自分自身も。 他の見知った、誰も彼も。 何より失いたくないと思う、君さえも。
    過ごした年月など関わり無く、どんな身の上にも全く平等に。 死んでも当たり前だったかも知れない場所を、辛くも生き延びた事など何の役にも立たない。 例外を許さない、死というものの前には。

        ◇     ◇     ◇     ◇

「…居なくなったら、君は…どうする?」
    誰が…とは言わない、けれども分かる。
「…分かりません…」
そうとしか、答えられない。 それが、本当の気持ちだから。
    傍に過ごす事が無くなる…という意味では無く、死んでしまったら…と問われても。 今までを思い出にして…1人で生きていきますとも、きっと…後を追うだろうとも、答えられない。 本当に…分からないから、今は。
    意に添わぬ言葉でも、何か…そうと聞かされる事を望んでいる言葉が有るのなら、それを口にもするのに。 それも、今の私には分からないから。
「君が…居なくなったら…俺は、どうしたら良い?」
    そこまで俯いていた人に、いきなり…見られて、開きかけた口が止まる。
『生きていて欲しい、貴方には』
それは確かで、変わらない私の気持ちなのに。

    …何と答えても、きっと…駄目なんだろう…と感じた。

    散々、猟犬に追い立てられて逃げ惑って。 疲れ切って、飛び出したその目の前に…猟師の銃口を見た時の、狩りの獲物のように。
    本当の原因は、いざ知らず。 抑え切れない自分の思考に、ひどく追い立てられて立ち止まれなくて、彷徨(さまよ)い続けて。 やっと…私の目の前まで、今更…辿り着いて。
    ちょっと…突付けば、泣き出しそうなほど。 怯えた瞳に、どんな言葉が役に立つのだろう…と。

    右手をそっと、その頬に。
    その瞳の色に引き摺られそうな気持ちを封じて、無理矢理に薄く…微笑ってみせて。
「…大丈夫です。 傍に居ます、いつでも」
    …不思議なものですね。 無駄だと、役には立たないと感じた言葉も、自然に…素直にこの口に上る。 多分…心の底から、そう思っているから…なんでしょうね。
    この左の手も、その頬に。 変わっていく角度に窮屈になった貴方の指が、私の袖から静かに離れて落ちていく。
「何処にも行きません、貴方の…傍に居ます」
    …良いんです、貴方が私の腕を取らなくとも。 私の方こそが…よほど、貴方に触れて…縋り付いていたいと思っているのですから。
    両の手の中に、血の通う…貴方の温かさ。 あの日に護りたいと思ったものを、その通り…護れたのだという証(あかし)。 それだけで、幸い。 今、こうして…触れていられる事は、それ以上の僥倖。
    そのままこの手を、その温かい頬に滑らせていく。 そっと…この顔を近寄せていく。 そうして…静かに、貴方の頬をこの腕の中に抱え込む。

    ここより他に、貴方の傍より他に…私は、何処にも行きません…行く所など無いんです。
    それは…もう、分かっている事でしょう?

<< PREVIEW | NEXT >>

| <前頁
Last Update:20040827
Tatsuki Mima