影を引く落日:03

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「…ああ、そう?」
    相当に遅れ馳せながら、やっと太田の耳にも聞こえてきた。 勿論、相原から…では無く、守からの「実害」のごく薄い南部からのご注進だったが。
「ああ、そう…って、反応薄いですねえ」
    相原は朝出るところを捕まったが、こちらは二勤明け、日付の変わってから帰ってきたところを捕まった。 玄関のドアを開いて、非常識な時間の突然の来客も当たり前のように手招いて。
「だって、航海長から聞こえてきてないだろ?」
「…それは、俺の言う事が信用ならないって事ですか?」
    そんな事を笑いながら言って返しながら、手招かれた方は遠慮無く上がり込んだ。

「そうは言わないけどさ」
    教えなくともどうせ、その辺りに勝手に座り込むはずの南部に、座ってろよ…とおおよそを指し示して。
「普通、こういう話って当人が出所だろ? でも、お前の話の出所って相原? それとも、雪さん?」
「どっちも外れ。 アナライザーからです」
これまた勝手に引っ張り出してるだろう…と踏んだから、グラスと氷だけ運んでくれば、案の定。
    南部が車で来ているだろう事は、訊かなくても分かってる事だが。 アルコールの入っている状態で運転しない奴だ…とも分かっているから、何にも言わない太田だ。
「…誰でも良いけど」
    ただ、こいつの分の朝食出せるかなあ…と、冷蔵庫の中身を思い出しているだけだった。
「何にも言ってない…って事は、何か考えてる事が有る…って事だろ。 以前(まえ)から、そういう部分有ったしさ。 航海長って」
    航海に関わる事なら、完全に黙っている事は無い。 考えた事を黙っているより、協議に掛けた方がまとまるのが早いから。 だから、太田の言う「以前」もそれ以外の部分で。
「…まあ、分かりにくい人ですけどね。 古代さんとか相原君よりは、最初っから」
    お前が一番分かりにくいよ…と太田が思ったのは、この際内緒。
「だから。航海長が黙ってる間に、俺らが勝手にあれこれ言ってても、言うだけ無駄」

        ◇     ◇     ◇     ◇

    緩い風に流されて途切れた雲から、肥満した月が顔を覗かせる。 その途端に夜の色が濃紺から、青白い色にさあ…っと切り替わっていく。
    カーテンを開いたままの部屋の中も、また同じ色に。

    だが、一点に集中していた思考は、そんな明るさの変化にも気付かなかった。

    俺は、どうすれば良い?
    少しばかりは前後しながら、だが結局は同じ所をぐるぐると廻っているだけの思考。 頭の中に、繰り返し巻き返し流れて消えていくのは、一頃の記憶。
    その記憶に付いて廻るのは、失わずに終わった安堵感と、だが…何も出来なかったという罪悪感。
    同じような事は繰り返したくない。 罪悪感にそんな気持ちが、繰り返してしまったらどうしよう…という不安にすり替わっていく。 それでも、繰り返すのかも知れない…という、自分への不信に塗り潰されていく。
    自身が信じられないなら、他に…何を信じれば良い?

    膝の上に肘を置くように俯き気味の姿勢に、疲れたような気がして。 吐く息と共に、そのまま後ろに。 ソファの背に、頭までを全部預けてしまって。
    天井に、磨かれた床が鈍く跳ね返した月光が斜めに、帯のように。 かすめていく薄い雲に、それは波打つように明るさを変えてもいく。

    …天の川みたいだ。
    宇宙から…艦橋から眺める、瞬(またた)く事の無い360度の景色では無くて。 地上(ここ)から見上げる、少し揺らいで見える星の集団のよう。
    いつか出逢った惑星(ほし)も、あの中に。 今は、もう…失いけれども。

    やっぱり頭を預けたまま、改めて吐いた溜息も天井に。
    吹く風に、動かない水の面も波立つように。 天井に映り込んだ光の帯は、本当は過ぎていく雲に…だが、まるで自分の呼吸に揺らいでみせた。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    ふ…と、目を覚ます。 それは、珍しくも無い事。
    何の考える事、悩む事も無く。 うたうた…として誰かに揺り起こされるまで深く眠り続けていられるほど、幼くは無いから。
    特に…現在(いま)は、これまで以上に考えてしまう事も有るから。

    …涼しい、と思った。
    あまり良く見えない薄暗い中にも違和感を感じて、そろり…と半身を持上(もた)げる。 そう感じたのも、当然。 そこに居るはずの人は居なくて、その体温もそこには無くて…だから少しばかりの室温の差。
    そうと理解した途端に、あたふたと早鐘を打つ心臓(むね)。 ひどく突き放すように、慌てて起き上がる。 たった今、居ないと見たはずなのに、また薄暗がりの室内(へや)を見廻して。
    …どうしよう。
    嫌な記憶が、否応無く引き摺り出されていく。 目の前から見失いそうだったあの時が、繰り返されてまた…それ以上に。
    ベッドの上、半身起こして座り込んだ状態のまま…どうにも動けない。 足元から這い上がってくるような何かに、膝折るように引き寄せた脚も、起き上がるに突いたままの腕も捕(とら)われて。
    いつかまでは、たった独りでも過ごしていたのに。 現在(いま)はこうやって1人にされただけで、身の置き所を失くしたようなどうしようもないほどの不安。
    それまでの「強さ」を、私は何処に置き去りにして来たんだろう?

    …探さなきゃ。
    沈み込むベッドの上でまるで泳ぐよう、何だか…力が入らなくて上手く動けない。 ようやく床に脚を下ろす事が出来て、そこまでで既に強い疲労感。
    溜息を吐くように、そのままひとつ呼吸(いき)を整えて。 灯りも点けないまま、立ち上がって。 リビングに繋がるドアまでの、数歩の距離が…とても長く感じた。
    …このドアの向こうに、あの人が居なかったなら…どうしよう?

    寝室の薄暗さに反して、リビングは意外と明るかった。 一番最初に気付いたのは、日暮れに閉ざしたはずのカーテンの開いていた事。 そして、そこから射し込んだ月明り。
    ぐるり見渡して、すぐに探していた人の輪郭を見付けて。 ほ…っとひとつ、安堵の溜息。
    けれども、それと同じくらいの不安を。 何故なら、見付けた人の表情(かお)は薄暗さに読みにくいながらも、確かに…物思っている様子だったから。
    そんな表情はきっと、自分の所為なんだろう…と思ってしまえば、何を考えているのか…とは問えなくて。 どうすれば良いんだろう…と途惑って、そこから動く事を忘れてしまって。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    随分の無言の後に、考える事を諦めたように。 何度目かの溜息を、やっぱり…天井に。
    ソファから立ち上がるつもりで、預けっ放していた頭と背を起こしたところで…島はテレサに気付いた。 視界の端には映っていたはずのに、身動(みじろ)ぎの無かった所為でその時まで全く気付けないままでいた。
    簡単に言ってしまえば、しまった…と。 まるで、悪戯を仕掛けているところを見付かって、叱られるぞ…と身構えて首をすくめる子供のように。
    いつから…と訊こうとして、訊かないままその言葉は呑み込んで。
    自分が気付けなかった事を、彼女に振り替えるだけの言い訳にしかならない…と思ったから。
「…ごめん」
立ち上がる事を忘れたまま、ただそれだけを言って。

    視線が合って、声を聞いて。 砂鉄が磁石に吸い寄せられるかのように、探していた人のそんな仕草に引き寄せられて、その眼前まで。
「何を…?」
    何をしていたのか…では無く、何を謝っているのか…と。 ただ、今こうしてここに居る事を謝しているのだと思われるから、どちらの意味で問うても同じ答えの戻ってくるような気もしたが。
    一瞬の間が有ってから、ほんの少しだけ苦笑してみせて。
「…ちょっと、ね。 眠れなくて…」
つい今しがた、謝罪を口にした事さえ忘れたように…明るくさえ聞こえる語調で。

    開いているカーテンを指して、星を見ていたのか…と訊くから。 いいや…と。
    星空も月も、街灯りも、全てを含めて「夜景」。 だから、星だけを見上げていた訳じゃない。 その意味で、決して嘘を答えた訳でも無い。
    休暇を願った事を既に悔いて、この官舎(へや)から逃げ出したいと思った訳じゃない。 その意味でとても簡単に、たった一言に否定して。
    目の前に立ったままの女性(ひと)を見上げる。 直接は射し当たっていないはずの月光に縁取られて、いつか…燐光をまとって初めて逢った時のように。
    こちらの両手で、その両手を掴んで軽く…だが、不意に引く。 引かれて、膝折るように落ちてくる身体を間違い無く、抱き止めて。
「え…あの…?」
途惑う声を、頭上に聴く。
    彼女と、その胎内(うち)に在るはずの…まだ握り潰してしまえそうなほどのささやかな生命と。 そのどちらの心臓からも外れた所でこの耳は、彼女の拍動だけを聴いていた。
    …護りたい。 このどちらも、護りたい。
    だけど…ごめん、護れないかも知れない。

「…俺は、どうすれば良い…?」

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Last Update:20060113
Tatsuki Mima