蜘蛛の糸:07

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    玄関先、ドアの前でしばらく呼吸を整える。 本当は…その時間さえも惜しかったけれども。
    距離は長くないが走り通した後で、ほんの少しの時間だがエレベーターの箱の中。 下手に立ち止まった形になってしまった事が、それまでの走るに合わせた呼吸のパターンを狂わせて。
    だから…現在(いま)、ひどく息苦しくて。 同じ理由で、急に走るを止めた事が膝にも来ていて。
    …このままじゃ、何も言えない。 何も出来ない。
    何か…嬉しくない何かが起こっていても、それを止める事も出来そうに無い。 追う事も探す事も…もしかしたらそれを嘆く事さえ、出来ないかも知れない。

    それは…嫌だ。
    だから、仕方無く。 内心、どれだけ苛々としながらも。 ここに、時間の過ぎていくのを…数えていた。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    …うとうと、としていた。
    何故だか分からない。 だが、この頃…いつもでは無いが時折、ひどく眠気を憶えて…気付けばうたうたと眠ってしまっている。
    その以前と変わった事と言えば、自分自身。 この、身の内の事。 誰にそれを問うでも無く、良くは分からないながら、その事が理由なんだろう…と思っていた。
    目を覚まして最初にする事はいつも、時間を見る事。
    いつでも、そんなに永い時間じゃない。 わずかに数分…でしかない事も、度々。 良く眠っていた…と自身でさえ思うような時でも、せいぜい半時間ばかりでしかない。
    今回(いま)も…どうやら、10分ばかり。

    …そう言えば、どうして目を覚ましたのだろう?
    何か…眠りの中で遠くに聞いて、それに起こされてしまったような気も…するのだけれども。

    乾いた物音に、当然のようにその発せられた方向を振り返る。
「…島さん?」
リビングの入り口に、出掛けたはずの人の姿を見て…思わず、時計をもう一度。
    時計の読み方は、上手くない。 さっきからどれだけ過ぎた…なら、もう少し何とか。 しかし、ある時刻からどれだけ以前なのか…を読むのは、まだひどく苦手で。
    え…と、戻ってくると言っていた時間なら…針があの位置を指すはずだから、現在(いま)はまだ…それより以前(まえ)…のはず。 それも、まだ随分と早い…はず。
    そんな風に、文字版を指差すようにして一生懸命に、針の角度から時間の長さを計算していると。 また一つ、今度は…もう少し遠慮の無い大きな物音を聞いて。
    見れば…閉ざされたドアを背に、その場に沈むように座り込んで。 膝に…その頭を抱え込むようにして。

        ◇     ◇     ◇     ◇

    リビングに入って最初に見たものは、ソファの肘に頭を預けて眠ってしまっていた人。 ドアの開くわずかな音に目を覚ましたようで、寝起きの少しだけぼう…っとした表情(かお)で、壁の時計を見上げて。
「…島さん?」
ドアを閉ざす音にこちらを向いて、きょとん…としたような顔をしてみせて。
    居て欲しい人が、居て欲しい場所に居てくれた。
    ものすごく当たり前かも知れない事を、目に確認して。 は…と、詰めていた息を思いっきり吐き出す。 それと同時に、ひどい疲労感と…脱力感。
    ドアを背に、体重を預けたまま…ずるずると座り込んで。

    …どうしよう? こんなにも俺は、テレサを…必要だと思ってる。
    もう…泣けるほど。

    軽い足音、衣擦れの音。
    俯き切った視界の端に、最初に影が…それからその場に座り込む裾が映る。
「島さん…?」
    見ていないのに…こちらを少し下から覗き込むようにしているだろう姿が、頭の中に映る。 きっと、少しばかり困ったような…心配げな表情(かお)をして。
    肩に、途惑ったような優しい圧力。
「あの…どうかしたんですか?」
    まだ荒い呼吸に、肩の上下している事が自分で分かる。 この距離に、彼女にもそれはきっと聞こえてしまっているんだろう。
「…大丈夫」
    俺は。 ただ…ひどくほっとしただけ。 それが過ぎて、動けないでいるだけ。
    うかうかと、泣いて…しまっている自分に気付いたから、顔が上げられないだけ。

    …どうしよう? 今頃、気付いた。
    「子供」の居る未来なんて考えた事は無かった、そのはずなのに。 まだ…この目に見ていないまま、その存在だけは既に当然だと思っている自分が居る。
    サーシャに、異星の女性から生まれた…という特殊で他に無い条件だとは言え、易々(やすやす)同一視してひどく身近に置き換えられてしまうほど。

    護りたい…じゃない、護らなきゃならない。
    現在(いま)はその胎内(なか)に置いているテレサごと、いずれ身二つに分かれてからならその両方を。 でも…その為に、俺は。
    …一体、何が出来る?

        ◇     ◇     ◇     ◇

    まだ荒い呼吸と、そこに座り込んだまま動かない事に。 これは…体調が悪いのだろう、とすっかり思い込んだテレサだった。
    …だとしたら、このまま座らせたままにしておくとその状態がひどくなる。 取り敢えずは、ベッドまで運ぼう…とその腕を両手に抱くようにして、一生懸命に持ち上げようともして。
    だって…一度、見ている。 出来れば、思い出したくない事…もう、あんな事は嫌。
    思いっきり引っ張られる左腕につられたように島がようやく顔を上げてみれば、ひどく間近に一生懸命で心配そうなテレサの顔。
「…島さん?」
    途惑いながら問うたのは、わずかにこちらを見上げてきた島が。 何故だか…泣きそうな表情(かお)を見せていたから。 その実、既に泣いてもいたのだが。

    伸ばす…までも無い、少し上げるだけでこの指先に充分に触れる頬。 たった現在(いま)は、これほど近くにも居るのに。 また俺は、こんな温かさもここに置き去りにして、宇宙に出るんだろう。
「俺は…どうすれば、良い?」
    ここに居て、傍に居て…と言いながら。 その俺こそが、ここに居付かないでいて。 それなのに、どうして君にばかりを望んで。
    指先の力に、君の頭が落ちてくる。 途惑って驚いた声と一緒に、この肩の上に。 続いて流れて落ちてくる髪が、さらさら…と耳元に音を立てる。
「ここに…居ても良い?」
その流れる優しい音が、子守唄のようなリズムで聞こえる距離に。

    このまま、眠ってしまっても…構わないだろうか?

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Last Update:20060417
Tatsuki Mima