島の官舎(へや)には、もう1つ部屋が有る。
机を入れて、航法関連の本を置いて、言わば…島の書斎のようなものだが。
本を読むにも書き仕事をするにも、リビングなりダイニングなりで済ませてしまうから、実質的には空き部屋も同然だ。
先に守を押し込んでおいて、島が後から。
そのまま後ろ手に、廊下との境界を閉ざして。
「…あの書類、そういう事だったんですね?」
「そういう事だ」
乱雑さの見えない部屋に、普段使ってないな…と思いながら、守は机の前から椅子を引いて座り込む。
「何で…全く説明無しに、話進めるんですかっ?」
「テレサの関わってくる事を下手にお前に説明すると、話が進まなくなるから…だ」
ああ言えばこう言う…と腹立たしく感じながらも、今はいざ知らず、過去なら外れているとは言い切れなくて返す言葉に窮する島だった。
「説明しようがしまいが、地球に生きて暮らしてる以上、戸籍は有った方が便利だろ」
「…それは、分かりますけどね…」
続いた守の言葉に、やっとそれだけを言って返す。
地球上に籍が無いから。
それだけの為にテレサは、今まで自分という身元保証人を必要としてきたのだし、それでも色々と不便な事が山ほど在った。
それは分かっている。
同じ事は、スターシャと守にも当てはまる。
「だからって、2人とも…『地球人』になる事を喜ぶとは思えません」
「俺は、地球人で『日本人』だが?」
「そういう…問題ですか?」
「似たようなもんだろ」
…テレサはどうなんだろう?
自分だって、経緯を本当に知っているか…と問われれば自信は無い。
テレサの…簡単に説明してしまう言葉を、聞いただけなのだから。
少なくとも、あんな短い話に語って済ませられる時間の出来事では無かったはずだ。
もし…この手で、地球を滅ぼしたとしたら。
それでも、俺は「地球人」で居たいんだろうか?
それとも…それを忘れたいと思うんだろうか?
そうして、イスカンダルとテレザートが…目の前でそれぞれに砕け散って、消えていく。
「…スターシャさんは、それで…良いんですか?」
恐る恐る…と。
「さあ…どうだか、な。
本当の所は、俺にだって分からねえよ」
そう問うてきた島に反して守は、至極あっさり…と言って返した。
「…女の方が、男より上手に嘘は吐くからな」
◇
◇
◇
◇
地球に戸籍が出来た…という事は、もう既に過去だ。
テレサや島が、そんなもの要らない…と言ったところで。
死んでしまうか、地球とその開拓の範囲から恒久的に出ると言わない限りは、その抹消は無いだろう。
「分かりました。
そっちは…説明して納得させます」
要するに、今更何も出来ないから諦めろ…という事だ。
「でも…」
続けた言葉は、島も…全く全てを否定するつもりで切り出した訳では無かった。
「サーシャと『同じ立場』に置きたきゃ、それでも良いぞ?」
だが、守は最後まで聞くつもりも無く、一番端的で一番突き刺さってくる例を持ってきて答えた。
「母親が『存在しない』、それで良ければな」
黙って、少しだけ俯いて。
言葉を探しているらしい島の様子に、守は自分の言った言葉が狙った通りの効果を上げている事を知る。
「…俺は、な?
意外と普通の人間なんだよ」
その無言をしばらく聞いてから、呟くように。
「惚れた女なら、傍に居て欲しいし一緒に暮らしたい。
入籍…なんて、公式(おおっぴら)に『俺の所有物(もん)だ』って言える訳だからな。
願ったり適ったりだ」
「その…入籍が、今まで出来なかったんですけど、ね」
戸籍が作られないから。
最初から地球に生まれて育った人間には、想像の付かなかった理由で。
何らかの思惑有ってしなかった…訳ではなく、否応無しに出来なかった。
たった、それだけの理由(こと)で。
「そうだ。
しなかった…じゃなくて、出来なかった」
意識せず、島の考えると同じ事を口に繰り返す守だ。
「既に暮らしてた時間を無視して、お前は『独り者だ』と宣言してくれた訳だ。
政府が、な」
そうして…苦笑する、とても…仕方無さそうに。
「母親のはっきり知れてるサーシャにも、お前には『母親なんて居ない、地球上に存在しない』と言い放ってくれた…って事だ」
ああ…そうか、と島はひとつ気付いた。
苦笑(わら)っても見せて、静かでもあるが。
この人は地球に戻って来てからずっと、不機嫌に怒ってたんだな…と。
「2人の籍を作るように働き掛けたの…って、お兄さん…ですよね?」
「…当たり前の事、訊くなよ。
この地球上に、あの2人には戸籍が無い…と身近に分かってる人間が、どれだけ居ると思ってるんだ」
そして、その為に今までという時間を費やして、実績と発言力を作ってきたんだ…と、当然の事のように胸を張ってもみせる。
「イスカンダルで生まれたサーシャは仕方無かったとしても、地球上に生まれてくる子供まで同じ扱いか…と、談じ込んでやった」
「それ…って、スターシャさんの為ですか?」
それとも…テレサの為ですか?
島が言わないままに済ませた後半を、透かすかのように…一瞬だけ黙って見ていたが。
「誰の為じゃない、俺の為だ」
守は、真顔でそう言い放った。
◇
◇
◇
◇
他に椅子が無い…もあったが、島はずっと…ドアを背にしたまま立っていた。
そうしないと、話の途中で守が出て行ってしまいそうな気がしたから…だ。
もっとも、守がその気になったら戦闘士官でも無い島の1人くらい、邪魔とも何とも感じないのだが。
ふ…と、軽い溜息。
呆れたとか…そういう事ではなく、積めていた息を吐いただけ。
もう、事は転がっている。
それ以上は止められるかも知れないが、今までの事は元には戻せない。
「俺も…普通の人間なんですよ」
好きで、入籍しないままだった訳じゃない。
守のように「所有権」を主張する気は無いが、実際に即しただけの「立場」は欲しかった。
一緒に暮らしているなら、夫と妻…という立場をそれぞれに。
「…でも。
テレサに説明して納得してもらうまでは、記入(か)きませんし提出(だ)しませんからねっ?」
「…お前、マニュアルを読み終わってないと落ち着かない性格だな?」
そう言って、守は苦笑してみせた。
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Last Update:20051014
Tatsuki Mima